御坂城(みさかじょう)

御坂城の基本情報

通称・別名

所在地

山梨県南都留郡富士河口湖町河口他

旧国名

甲斐国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

武田氏?

築城年

不明

主な改修者

北条氏忠

主な城主

武田氏、後北条氏

廃城年

遺構

土塁、横堀(空堀)

指定文化財

町史跡

再建造物

説明板

周辺の城

勝沼氏館(山梨県甲州市)[11.7km]
小山城(山梨県笛吹市)[11.9km]
勝山城(山梨県都留市)[12.6km]
谷村城(山梨県都留市)[12.9km]
八田家御朱印屋敷(山梨県笛吹市)[15.5km]
連方屋敷(山梨県山梨市)[16.0km]
勝山城(山梨県甲府市)[16.0km]
於曾屋敷(山梨県甲州市)[16.4km]
山中氏館(山梨県南都留郡)[16.4km]
本栖城(山梨県南都留郡)[17.0km]

御坂城の解説文



御坂城(みさかじょう)は、山梨県笛吹市と南都留郡富士河口湖町の境にあった日本の城。笛吹市側は市指定史跡に、富士河口湖町側は町指定史跡に、それぞれ指定されている。

概要 

築城年代は不明だが、戦国時代に甲斐武田氏が築いたといわれている。 天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍による甲州征伐によって武田氏は滅亡する同年6月、織田信長が本能寺の変に倒れると、相模国の北条氏直、三河国の徳川家康らが甲斐・信濃を巡り争う(天正壬午の乱)。甲斐では七里岩一帯において北条・徳川両氏が対峙し、御坂城は都留郡を制圧した北条軍の前線の城となる。御坂城には北条一族の北条氏忠が修築し、その守備についた。北条・徳川間で和睦が成立すると北条氏は撤兵し、甲斐国は徳川家康のものとなり、城もそのまま廃城となったと思われる。

城地の所在場所は長らく不明であったが、1968年(昭和43年)に御坂城の古地図が発見され、調査の結果遺構も発見された。

参考文献 

  • 笛吹市教育委員会 2017「指定文化財一覧」『笛吹市文化財ガイドブック(https://www.city.fuefuki.yamanashi.jp/documents/607/5bf21d9faea4d.pdf)』p.14 笛吹市

御坂城の口コミ情報

2023年12月26日 RED副将軍
御坂城



標高1,500m以上の高所に築かれた北条氏による凄まじい土木量の名城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。武田氏により築かれたのが始まりで、烽火台の様な簡素な城郭であったとされます。
1582年に北条氏忠により大規模に改修されたのが現在に残る遺構の様です。
1582年に織田信長により武田氏が滅亡すると、織田信長家臣の河尻秀隆が甲斐を統治。しかしその後、直ぐに織田信長が本能寺で没したため、甲斐の統治が不安定になり、河尻秀隆は一揆により討死。その後の甲斐国統治を巡って徳川家康と北条氏直が対立。甲斐・駿河・相模の境目の要衝に北条氏が大改修をして最前線の拠点としたのが御坂城です。
御坂城には北条氏忠が守将として入城し、対する徳川勢は甲斐小山城に鳥居元忠が入城し対峙しました。
膠着状態が続き、御坂城の北条氏忠・北条氏勝らは甲府盆地の黒駒へ進軍するも鳥井元忠の急襲を受けて惨敗し御坂城へ撤退。
その後、北条氏と徳川氏は和睦。御坂城は役目を終えて廃城となった様です。

見所
甲斐・駿河・相模を結ぶ鎌倉往還の要衝である御坂峠に築かれています。標高1,575mの国内屈指の高所に築かれた山城ですが、高所とは思えない様な途轍もない土木量です。
標高1,500m以上の山城と言えば、長野県の楡沢山城(1,754m)、天ヶ上(1,604m)、さるが城(1,510m)くらいでしょうか。これだけの高所の城郭はただでさえ珍しい上に大規模な譜勢がされていることは上述の山城とは全く違いもの凄いことです。
御坂山と黒岳の間を東西に走る尾根上に築かれており、南北の両側面に横堀と竪堀が配されています。横堀は折れや分岐を伴う複雑なもので馬出し状の空間も残ります。
高所の東西約1km近い広い城域にビッシリと空堀が掘られており要所の峠を守るためとはいえ、やり過ぎ感は拭えません。

行き方は、国道137号の新御坂トンネル南から県道708号に入るとすぐに登山口があります。
県道の向かいに駐車場があります。比高は約680mと全国屈指です。自宅を深夜に出発し、そのまま登城しましたが寝不足のテンション高めで意外と楽に登ることができました。

2023年11月20日 枡
御坂城



三ツ峠入口から登城しました御坂トンネル出て直ぐ左に曲がると右側に駐車場が有ります保々登山でしたが遺構はしっかり残って居て見応えが有ります。特に横堀は見事!宮城の前川本城ミニチュア盤って感じでした富士山も良く見え…その先の黒岳迄足を延ばせば眺望が更に良いみたいです

2023年08月07日 たまちゃん
御坂城



天下茶屋の近くに車を停めて登りました。尾根道まで比高150m程、そこから最初のピークまで比高50m程、その後は20~50mくらいの高低を繰り返し4つ目あたりが御坂山山頂(1,596m)です。次のピークから城域のようで、横堀、竪堀が峠の茶屋(廃屋)の東西のピークに張り巡らされています。ここまで70分くらい。尾根道に出てからは風が当たるのでそんなに暑くはありません。天下茶屋、尾根道途中の鉄塔からは富士山と河口湖がよく見えます。

2022年09月12日 徳賀Y絵康安房守
御坂城



三ツ峠入口のバス停の辺りの登山口から登り始め、旧御坂峠まで、1時間15分程かけて登りました。その後、少し左(黒岳方面)に行けば、御坂城があります。堀がよく残っていて、横堀の長さはそれなりにあります(添付写真ありますが、少し見にくいです。申し訳ありません)。横堀の側面はとても急です。城を後にし、御坂山山頂の方面に向かうと、途中に鉄塔があり、その辺りからは富士山がよく見えます。そして御坂山山頂(1596m)を越え下山しました。下山した辺りにはバス停がありましたが、バスの本数はとても少ないようなので、ご注意ください。

2022年03月06日 大膳大夫マイリバ
黒駒合戦の激戦場解説板[御坂城  碑・説明板]

本日現在、Googleマップに登録されておらず、ググっても詳細な位置が判然としない黒駒合戦⚔に関する解説板です😚
天正壬午の乱で甲斐をめぐり北条🆚徳川の間で繰り広げられた激戦🤤想像するだけでヨダレものですが、解説板に記述のある「岩石落とし🪨」が非常に気になります🤔

〜以下、解説板より〜

黒駒合戦の激戦場

黒駒合戦は、今から約420年前、天正10年8月に、甲斐の支配をめぐって徳川家康と北条氏直が御坂峠から 新田一帯にかけて激しく戦闘を繰り広げました。
本能寺の変後、北条氏は若神子(北巨摩)、雁坂口(東山梨) 、御坂口の三手に分かれ甲州に進攻してきました。
黒駒への 侵入には峠に御坂城を築城し、拠点としました。
一方、徳川軍は上九一色から入り、勝山城(中道町)、小山城(八代町) を固め、大将・鳥居元忠は1,500余を率いて新田の山宮神社付近、撫台に陣を敷き、北条軍10,000余と対決しました。
苦戦を強いられた徳川軍は鉄砲の威力と、岩石落としの 作戦が功を奏し、勝利することができました。
北条軍の 死者は2,670人余で、その多くはこの付近や五輪塚と呼 ばれる場所に埋葬されたと伝えられます。
本町では埴原内匠助(成田)・武藤嘉左衛門(国衙)・小沢孫次右衛門(尾山) などの武田遺臣や地域住民は徳川方に加勢し、信玄の孫 である北条氏直には味方しなかったといわれています。
桧峰神社神主・武藤左衛門は徳川の案内役として、二宮神主・上野勝義は氏子を引き連れて御坂口の警備にあたり、 それぞれ戦闘に貢献したとして、武藤神主は土地を、上野神主は旱魃時の水利権を与えられました。

御坂町教育委員会

2022年01月31日 坂元右近将監にゃんこ斎
御坂城



説明板、ほとんど色褪せてます。よほど近寄らないと見えません。

2021年02月01日 安濃津渡島守壱午
御坂城



これから僕の失敗談を話そうと思います。

僕が御坂城に訪れたのは1月1日の事です。登り始めたのは15時過ぎでした…ちなみにこの時の日の入りは16:44でした。片道1時間掛かり往復で少なくとも2時間掛かるというのに軽い気持ちで登ろうとしたのがそもそもの間違いでした😨

僕はトンネル脇の駐車場に停めて、鎌倉往還を通りました。この時はまだ明るかった…☀️道端にかつての石畳などがあり、趣が有りました。呑気に登っていると、ふと気付きました。『あれ?日沈むの早くね?』と。登って40分ほど経ったころでした。山腹なので、余計に日が沈むのは早かったです。しかし、ここまで来たしまったならもう本丸まで行くしかないと思ってしまいます…😱やっとの事で御坂城のどっかの曲輪まで来ましたがもう日暮れ寸前です。『ヤバい!』となり、本丸まで行くのは諦めました😢おまけに、携帯の電池も切れてしまい、遺構を撮ることさえ出来ません😭写真は僕の父が撮ったものです。

その後は死に物狂いで下り始めます。途中で美しい富士山が見えますが、最早それどころではない(笑)20分ほど下るとほとんど真っ暗😰『やばいやばい、遭難する!』焦りに焦ります。足元は何も見えず、いつの間にか富士山も見えなくなっています。頂上から35分でようやく下りて来ましたε-(´∀`*)獣と遭難と足元の出っ張った岩に怯えながら。

皆様は絶対にこんな時間から山に登り始めないように🙏🏻1歩間違えれば遭難です。幸い僕は道を迷いませんでしたが。山城に登る際は、

①日の入りの時間を調べること
②携帯の充電は満タンにすること
③所要時間をきちんと調べること

が大切であるということを身をもって知りました。遭難したら元も子も無いですからね。

以上、僕の失敗談でした。

2020年01月12日 愛甲太閤【相模の狂人】
御坂城



史跡にも指定されず、ひっそりと山中に眠っているような土の城ながら遺構の素晴らしさは「東国の玄蕃尾」とも言えそうな素晴らしいもので、一見の価値があると思います。
まず目を引くのが、尾根上の一番低いところにある主郭から東西両側の郭まで連結するよう、尾根の北側を這っている長い空堀でしょう。長さ数百メートルにわたってシッカリした土塁で区画されています。尾根も土塁のように整形されたように見えます。他ではなかなか見られないでしょう。
主郭と周囲の土塁も、だいぶ大人しくなっていますが西側には枡形虎口も残っていて、複雑な縄張をシッカリ主張しています。
城内を通る御坂山地の稜線は縦走コースになっていて、森の中の静かな山歩きが楽しめます。一部足場が悪いので軽登山の装備で行くのが良いと思います。

2019年09月30日 ひなすけ☘参議
御坂城



御坂峠コースから登城しました♪

《登山口》
御坂峠コース(旧鎌倉街道)
比高約500m。

河口湖方面からは国道137号線を北に進み、御坂トンネルの手前県道708号線を東へ。
すぐに[御坂峠]の看板があるのでココから。
南側に駐車場があります。

☆こちらからの登城は、アップダウンが少なく、足場も良いのでオススメ♪

女性の足でものんびり1時間20分くらい(休憩時間除く)。
鳥の囀り、木漏れ日を楽しみながら[峠の茶屋]まで苦する事なく行けました♪

《遺構》
先人方々のおっしゃる通り、どの部分を見ても見応えあり。

長大な竪堀、食い違い土塁等々、百聞は一見にしかずですので是非♪♪♪

御坂城の場所が長らく不明だったことは不思議…

[参考]
中央の主郭が他の郭より低い位置にある。
両端の郭には、強い部隊を配置してたのかなぁ〜

2017年05月27日 【隠者】史学会帰新参
御坂城

 城内最高所の標高は1570M、天下茶屋周辺は1300M、登山口から城跡までの比高270Mだが、アップダウンがあり数字以上に大変である。
 入口の天下茶屋から御坂山と清八山との分岐点までの約300Mの登山道は145M程登るのでかなり険しい道である。分岐点の後はアップダウンがあり、標高1596Mの御坂山山頂を登る。その後はまたアップダウンがあり50Mほど下り30M上ると城の北側に着く。
 分岐点から城の北側まで約1.5キロある。途中何度もアップダウンがあり歩く距離が長くてここも大変である。
 天下茶屋には男女別水洗トイレがあるが、朝は閉鎖していた。店舗が閉まっているとトイレも閉鎖しているみたいである。城内にもトイレがあるが、水道はなく水は出ない。個室部分は扉がないので使用できない。
 御坂城は城の中心に御坂峠があり、ここが城内で一番低い。城の北側と南側は峠より50M高い場所にある。城の北から南の細長い城である。曲輪、空堀、土塁が良好に残る。城の東西に備えて造られた広大は空堀、土塁は見事である。
 百名城に選ばれたどの山城より登るが大変だった。並の山城3城登るより大変な山城であった。


2016年12月21日 三輪左近衛少将直虎
御坂城

天下茶屋ルートはアップダウンが激しいです。三ツ峠入口から鎌倉街道を登ると1時間半で城跡へ。九十九折れの緩やかな山道でした。

2016年04月30日 治部少輔しん@蓋と城
御坂城

標高1590mは日本で一番高い場所にある城・・・、と思いきや、長野県には標高1760mの場所に贄川城というのがあるらしい(^_^;
とはいえ、富士山が綺麗に見えるだけでなく、天正壬午の乱において、北条氏が築いた城の遺構は見事に残っています!

2015年04月25日 若狭守きこりん
御坂城

4月25日登城。雪なし草なし、暑からず寒からず、快適でした。数多くの堀が横になり縦になり、交わったり並行したり…遺構は楽しめます。ややハードな登山を強いられますが、苦労する価値はあると思います。

2014年08月18日 摩利支天
御坂城

標高1500mの高地にある御坂城。恐らく日本一高所にある城跡ですが、県道708号線の御坂隧道まで車で行けます。隧道手前の茶屋付近から登れるので実際の比高差は200m位だと思います。

茶屋から城跡のある御坂峠までは御坂山を越えて約一時間半。道は整備されて歩きやすいですが、標高が高く空気が薄い事と何度もアップダウンが続くので
かなりキツイ登山となります。

ちなみに出発点の茶屋の辺りは富士山のビューポイントなので、早朝は容易に車を止める事が出来るんですが、昼頃になると富士山見物の車が増えてきて車を止めるスペースが無くなります。

御坂城の周辺スポット情報

 (遺構・復元物)

 (遺構・復元物)

 (遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 黒駒合戦の激戦場解説板(碑・説明板)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

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