新府城(しんぷじょう)

新府城の基本情報

通称・別名

所在地

山梨県韮崎市中田町中条字城山他

旧国名

甲斐国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

武田勝頼

築城年

天正10年(1582)

主な改修者

徳川家康

主な城主

武田氏、徳川氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(新府城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

能見城(山梨県韮崎市)[1.8km]
日ノ出城(山梨県韮崎市)[2.6km]
白山城(山梨県韮崎市)[3.9km]
若神子城(山梨県北杜市)[6.5km]
獅子吼城(山梨県北杜市)[9.9km]
平瀬烽火台(山梨県甲府市)[11.7km]
湯村山城(山梨県甲府市)[12.8km]
深草館(山梨県北杜市)[12.9km]
古宮城(山梨県北杜市)[13.0km]
比志城(山梨県北杜市)[13.6km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)127 新府城

設置場所

韮崎市民俗資料館[地図

新府城の解説文



新府城(しんぷじょう)は、現在の山梨県韮崎市中田町にかつてあった日本の城である。1973年(昭和48年)には「新府城跡」として国の史跡に指定されており[1]、保存のため公有地化された。本丸跡地には藤武稲荷神社が建立されている。

地勢と構造 

甲府盆地西部に位置する。八ヶ岳の岩屑流を釜無川と塩川が侵食して形成された七里岩台地上に立地する平山城。西側は侵食崖で、東に塩川が流れる。

石垣は使われない平山城で、本曲輪・二の曲輪・東の三の曲輪・西の三の曲輪・帯曲輪などにより構成され、丸馬出し・三日月堀・枡形虎口などの防御施設を持つ。ちなみに本曲輪・二の曲輪は躑躅ヶ崎館の本曲輪・西の曲輪に相当し、規模も同程度であることから政庁機能を持つ施設と考えられる。

近年発掘作業や間伐など整備がなされ、甲州流築城術の特徴である丸馬出しや三日月堀、特徴的な鉄砲出構、その他土塁や堀跡、井戸や排水施設などの遺構が確認できるようになった。また、陶磁器類も出土している。支城として白山城能見城がある。

勝頼期の武田家の築城の特徴として、台地の突端部(側面・背後は断崖や川)を利用し戦闘正面を限定させ、なおかつ正面からの敵の圧力を側方に流すような構造が挙げられる。具体的には、正面の丸馬出しより城側面に続く比較的深い堀を敵兵に歩かせる。横矢を掛け敵兵を攻撃すると、堀は断崖・川へと続いており、こちらへ追い落とすことにより敵兵を無力化できる。同様な構造の代表的な城に遠江では諏訪原城小山城、信濃では大島城がある。ただし、新府城の場合は現在遺構とされる城跡ではなく、能見城を中心とする新府城北方の防塁跡にこの構造が見られ(浅野家文庫・諸国古城之図)、上に挙げた城に比べその規模の大きさは群を抜く。また能見城防塁は複雑に屈曲し、最大限横矢を掛けられるような構造となっており防塁が多数配置されている。

ただし諏訪原城は発掘調査から現在見られる縄張は徳川家が整備したことが判明しており、新府城の北側防塁も天正壬午の乱時に徳川家が構築したものとの説がある。

このような大規模な構造から、少なくとも数千から万単位の兵力による運用が前提となるようである。実際天正壬午の乱においては、徳川家康の北条氏直の軍に対する本陣として使用されている。

有効であったかどうかは定かではなく意見の分かれるところだが、新府城北側に2箇所ある鉄砲出構は江戸時代に築かれた洋式城郭である五稜郭の設計思想と同様の、突出部分の敵と当たる面積を抑えつつ突出部及び出構間に強力な火力を投射するためのものであると考えられる。

使用された期間は短いが、七里岩突端部の南北7-8キロメートル、東西2キロメートルという周辺の自然地形全体が軍事的意味をもっていたことを考慮に入れれば非常に大規模な城であり、武田家を代表する甲州流築城術の集大成となる城である。

新府城をめぐる歴史 

武田氏の領国拡大と本拠

戦国期に守護甲斐武田氏は本拠の石和(笛吹市石和町)から甲府へ進出して川田(甲府市川田町)に居館を移転した。信虎期には甲斐国内を統一し戦国大名化し、古府中に居館である躑躅ヶ崎館が築かれ、家臣団を集住させて城下町(武田城下町)を形成した。

晴信(信玄)期には領国拡張と平行して城下の整備拡張が進み、政庁としての役割を持つ府中として機能している。続く武田勝頼時代にも整備は行われているが、後背に山を持つ府中は防御に適しているものの城下町の拡大には限界があり、信濃、西上野、駿河へと拡大した武田氏の領国統治にとって不備であったため、府中の移転が企図されたと考えられている。

新府城が位置する韮崎は盆地北西端に位置しているが、戦国期に拡大した武田領国においては中枢に位置し、古府中よりも広大な城下町造営が可能であったと考えられている。また、七里岩は西側を釜無川、東側を塩川が流れ天然の堀となる要害であり、江戸時代に韮崎は甲州街道や駿州往還、佐久往還、諏訪往還などの諸道が交差し釜無川の水運(富士川水運)も利用できる交通要衝として機能していることも、新城築造の背景にあったと考えられている。

新府城の築城と武田氏の滅亡

天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦い(設楽ヶ原の戦い)において、武田方は織田・徳川連合軍に大敗し、勝頼は長篠敗戦後に領国支配を強化する。『甲陽軍鑑』によれば。天正9年(1581年)3月には御一門衆で甲斐河内領・駿河江尻領を領する穴山信君(梅雪)が勝頼に対し、新たな築城を献策したという[2]

一方、史料上の初見は「長国寺殿御事跡稿」(真田宝物館所蔵文書)で、天正9年(1581年)正月21日に、武田家臣の真田昌幸が配下の国衆に人足動員を命じたものとされる。「武州文書」によれば、同年9月に一応の城の普請は完了したという。このため、穴山信君の献策は天正8年(1580年)7月のこととする説もある。

この書状を根拠に新府城の普請奉行を昌幸とする説もあるが[3]、この説は戦後になって唱えられ始めたことが指摘される[4]。この書状では昌幸は勝頼の命により麾下の諸将に人夫動員を通達したものに過ぎず、昌幸が普請奉行であったとする見方を慎重視する説もある[5]。なお、この書状は『長国寺殿御事跡稿』に収録されているが、近年原本が発見されている[6]。『長国寺殿御事跡稿』と原本では同様に宛所が欠如しており、『長国寺殿御事跡稿』では宛名を出浦対馬守の子息で松代藩士の昌相と推測している[7]。一方で、『君山合偏』でも写本を掲載し、宛所は大戸浦野氏であると推定している。江戸時代にこの文書が出浦家に伝存していることから、出浦昌相が武田氏時代から真田氏の与力であったとする説もある[8]

また、新府城近くには字名として「隠岐殿」の地名が存在し、戦国時代末期の館跡である隠岐殿遺跡が所在している[9]。「隠岐殿」は真田昌幸の実弟である加津野昌春(真田信尹、真田隠岐守)とする伝承がある。

築城は天正9年(1581年)から開始され、年末には勝頼が躑躅ヶ崎館から新府城へ移住している。

天正10年(1582年)、信濃での木曾義昌の謀反を鎮圧するため諏訪へ出兵するが、織田・徳川連合軍に阻まれて帰国。織田軍はさらに甲斐国へ進軍し、勝頼は3月には小山田信茂の岩殿城に移るために、城に火をかける。勝頼は岩殿城に向かう途中に笹子峠(大月市)で信茂の謀反にあい、天目山(甲州市)へ追い詰められ武田一族は滅亡する。

「天正壬午の乱」から近世の新府城

武田氏滅亡後、織田氏は甲斐・駿河諏訪郡に家臣の河尻秀隆を配置し、秀隆は岩窪館(甲府市岩窪町)を本拠としたという。同年6月には本能寺の変が発生し、秀隆は混乱のなかで横死する。これにより主に甲斐・信濃の武田遺領を巡る「天正壬午の乱」が発生し、三河国の徳川家康と相模国の北条氏直が甲斐へ侵攻した。天正壬午の乱において徳川勢は新府城を本陣に、能見城など七里岩台上の城砦に布陣した。対して後北条氏は都留郡を制圧し、若神子城に本陣を置くと同様に周辺の城砦に布陣し、徳川勢と対峙した。同年10月には徳川・北条同盟が成立し、後北条氏は甲斐から撤兵する。

これにより甲斐は徳川氏が領し、徳川氏は甲府の躑躅ヶ崎館を本拠とした。天正18年(1590年)の小田原合戦により後北条氏が滅亡すると、豊臣政権に臣従していた家康は関東へ移封される。甲斐は羽柴秀勝・加藤氏・浅野氏が領し、豊臣系大名時代に躑躅ヶ崎館を中心とする武田城下町の南端にあたる一条小山に新たに甲府城が築城され、甲府城下町が形成された。関ヶ原の戦いを経て甲斐は再び徳川氏が領し、近世を通じて甲府城は甲斐の政治的中心地となり、新府城は廃城となった。

近代の新府城

戦後には1973年(昭和48年)7月21日に「新府城跡」として国の史跡指定を受ける[10]。1986年(昭和61年)には韮崎市が史跡の管理団体となり、史跡内私有地の公有地化が実施される[11]

1998年(平成10年)からは環境整備事業に伴う発掘調査が実施される。

2005年(平成17年)からは史跡整備が実施される。

2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(127番)に選定された。

アクセス 

  • 鉄道
    • 東日本旅客鉄道
      • 中央本線(新府駅)
    • 道路
      • 中央自動車道
        • 国道20号
        • 国道141号

    参考文献 

    • 山梨県韮崎市教育委員会『新府城と武田勝頼』
    • 平山優①『中世武士選書5 穴山武田氏』 (戎光祥出版、2011年)
    • 平山優②『真田三代 幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る』PHP新書、2011年
    • 平山優『大いなる謎 真田一族』PHP文庫、2015年
    • 丸島和洋『真田一族と家臣団のすべて』新人物文庫、2016年
    • 山下孝司「史跡新府城跡の調査」『山梨県考古学協会誌』山梨県考古学協会、2011年

新府城の口コミ情報

2022年09月24日 ひでき刑部丞
新府城



大手丸馬出し、三日月堀、大手桝形虎口が綺麗に整備され迫力があります。
大河ドラマ「真田丸」の新府城のシーンが見たくなりました。

2022年09月20日 豆姐
新府城



神社に続く急な石段を登るより、周りをぐるりと巡るコースの方が楽だし、色々な跡を見られますし、森林浴気分が味わえます。

2022年05月08日 小豆のおこわ甲斐守
新府城



南側の枡形や丸馬出の前の三日月堀は綺麗で見応えがあります。しかしながら、三の丸や別の馬出は鬱蒼とした藪に覆われてその姿が分かりづらくなっています。二の丸から西側へも行きづらく、もう少し整備されていれば歩き易い所なのかなと思います。

2022年04月13日 しげしげ左馬頭信繁
新府城

新府城は2回目です。前回は縄張りなど全くわからなかったので、県道から45度の階段を直登しましたが、今回は韮崎民族歴史センターで地図をもらって行きました。大きな駐車場があり(平日でしたが満車でした)そこからぐるりと回れるコースがあります。大した登り下りもないのでお年寄りの方が沢山ウォーキングしてました。

2022年04月10日 モコみち
新府城



入り口は道路に面していて分かりにくい上に交通量も多く危険です。階段は普段歩いたりしてれば10分程度で登れると思いますが、急で危ないので自信が無ければ横の産道(乙女坂)を使うと良いと思います。今は桃の花がピークでとても綺麗でした。続日本100名城スタンプは3キロほど離れた韮沢市立民族資料館にあります。

2021年11月03日 善三郎弾正尹のママ
新府城

本には新府駅からと書かれている事が多いですが、韮崎歴史民俗資料館の方から穴山駅からの方が近い、と教わりました。お城より韮崎歴史民俗資料館に行く方が時間も限られていて坂道の登りで困難でした。

2021年04月04日 *勘解由長官えぶぅ*
新府城

続100名城スタンプのある民族資料館が城からも駅(韮崎駅)からも遠い(徒歩30分)ので、公共交通機関利用の方は注意。城自体は新府駅からのほうが〇

2021年02月21日 銀猫隼人佑
新府城



城郭情報は、先達が多数残してくれているので、登城口と周辺情報を記載します。

現代の登城口は、計7つです。
メジャーな、北西:乾門口、北東:東出構口、東:藤武神社参道階段、東:車道口(昭和期に新設)。
マイナーな、南:三日月堀南端口(pic4)、南西:南西角口(pic3)、西:祖母石口(pic2_七里岩直登_牛ヶ手古道)の7つになります。
*南東の大手門口は藪が濃く、難儀なため今回は除外しています。今後の整備に期待します。

駐車場は、北東の東出構の前にあります(自販機はありますが、ここにはトイレはありません)。
トイレは本丸にありますが、冬季の間は閉鎖されているので、事前に済ませておくことをオススメします。近隣の公衆トイレは、韮崎中央公園か、穴山さくら公園(能見城の隣)にあります。

御城印とパンフレットは、韮崎中央公園近くの韮崎民族資料館でいただけます(入場無料)。裏手には、水車や花子とアンの撮影で使われた、古民家もあります。

あと、城から直近の歩いて行ける距離に景勝地として屏風岩があります(pic1・5)。こちらも頂上からの眺めは絶景なので、時間と体力に余裕があれば、合わせて散策するのもありです。
車で行く場合は屏風岩下に、5台程度は駐車可能です。
*屏風岩はGoogle Mapsだと個別表示がないですが、姥母石_石碑に隣接してます。

最後に、遺構が少ないと思われがちな、支城の能見城の遺構情報も大きく更新されているので、そちらもぜひ参照してみて下さい。
*車で2、3分の距離にあります。

2021年02月14日 にゃん太
新府城



武田氏らしい工夫がふんだんに盛り込まれた城郭。規模が大きく雄大な造りなのですが、それが逆にとてもディフェンシブな印象を与え、武田氏の勢いが失われていることを思わせます。まずは、東出構から搦手にまわり、二の丸に上がっていくと面白いです。

2020年11月23日 ようくん渡島守
新府城



JR中央本線韮崎駅下車、徒歩30分で韮崎市民俗資料館に到着。スタンプと御城印をゲットし、城の案内図を頂いた後、更に徒歩35分で登城口に到着。
本丸に有る新府藤武神社の鳥居をくぐり参道(山道)ではなく階段登って登城しました。

2020年11月23日 cay韮崎
新府城



11月に新府城に登城しました。以前に比べ、丸馬出周辺や新しい通路が整備され、非常に歩きやすい状態となっています。

2020年06月12日 ⁂北条民部大輔氏康⁂
新府城

平日の昼前に車で行きましたが、無料駐車場がある車道(七里岩ライン)は交通量が多い割に車線幅も狭く、皆スピードを出している為、結構危ないです。
極力、北側から城に向かって車を走らせて駐車場に入った方が安全かもしれません。
駐車場から城に向かう際は歩道の無い車道を歩くと轢かれかねないので、側道を南下し林の中に歩道があるのでそこから直角に車道を横断して神社参道から入城した方が安全です。

2020年01月13日 青空仰
新府城



2020/01/13 青空が仰ぎたい

新府城は続日本100名城であり、先達がレポートされていますので細かい説明は省略します。

新府地区は桃の産地ですので、時期にはピンクの花が咲き誇る様子をアップします。


【行き方】
・Googleナビで目的地まで問題なく案内してくれます。

【駐車場・トイレ】
・駐車場は写真のように広いです。
・トイレはありません。近くにも見当たりません。
・韮崎方面から進んだ場合、新府城の5.6km手前の韮崎市営総合運動場か、その前にコンビニがあります。
・時期には簡易トイレが設置されていた記憶がありますが常設でないようです。

【見所】
・武田流の馬出し
・国道20号方面から仰ぎ見る七里ヶ岩は迫力あります。後日アップします。

【観光・食事・特産品】
○食事
・韮崎市役所前、うどん 「さくら」
・ジャンル:吉田のうどん
・オススメメニュー:肉冷やし
(肉つけも美味しいですが、冬でも冷やしを注文するのが勇者)


2019年05月18日 純風亭兵庫頭枡蔵
新府城

本丸だけでは城が高い崖(七里ヶ岩)上にあることが実感出来ない。北西の搦め手か二ノ丸及びその馬出しから、西の崖下を覗いて見よう。くれぐれも踏みだし過ぎて落ちないように。

2019年05月10日 愛甲太閤【相模の狂人】
枡形虎口[新府城  遺構・復元物]



乾門の枡形虎口に入る手前で西堀末端の土橋状を渡ります。往時の面影がどこまで残っているか分かりませんが、土橋の西堀側がきれいなお椀状で面白いです。★枡形虎口はここからすぐです。

2019年05月07日 愛甲太閤【相模の狂人】
東出構[新府城  遺構・復元物]



城域北側の草地の中に四角い塚が東西2基突き出しており、出構と呼ばれる。写真は県道に近い側の「東出構」。草地は往時は堀で、その役割は今もはっきり分かっていないとの事。

2019年04月26日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
新府城



大手門跡を馬出西枡形付近から。前に馬出、馬出の左右には枡形と、特異な構造の門であった。

2019年04月26日 タンスに権大納言速水右近
新府城



倒木ではない。土塁に沿って横ばいに伸びる桜!武田の歴史にさも似たり。雪と桜の珍しい光景。

2019年04月25日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
丸馬出[新府城  遺構・復元物]



大手前丸の丸馬出。地形の高低差を活用している。土塁は低いものの明確にわかる。この辺りは未完成と思われるふしがある。

2019年01月06日 感謝大宰少弐はる ◢͟│⁴⁶
新府城

交通機関を利用して行きました。

韮崎駅から100メートルの観光協会で電動アシスト付き自転車を借りて行きました。

アシスト付きは2600円ですが、返した時に2000円返ってきますので、600円です。アシスト無しは確か400円だったかも?ですが、かなり急勾配の坂を登るので脚力に自信が無い方は確実にアシスト付きのが良いと思います。

スタンプを求めてない方は新府駅から歩いて行った方が近いと思います。

新府城をガッツリ一周し、白山城を攻略する為に橋を渡って戻って往復で2時間30分前後でした。
帰りの電車の中では足がガクガクでした。

2018年12月21日 感謝大宰少弐はる ◢͟│⁴⁶
新府城

資料館が休みの際はスタンプは押せないとの事です。

スタンプのシールやスタンプを押した紙なども、この投稿日現在対応していないそうです。

2018年11月19日 みやび姫
新府城

まずは資料館に行かれることをお勧めします。おお〜!ってくらいの土器や須恵器などが年代別に展示してあります。階下の窓口で新府城までの道のりを尋ねるとパンフレットをくださいました。無料駐車場もあるのですが、石段手前の空き地に停めても大丈夫ですよ、と仰るのでその通りに。すぐ目の前の石段をヒィヒィゼェゼェしながら上がれば本丸はすぐです。

2018年07月26日 衣谷関白其土
新府城

城郭ではなく資料館の方ですが…

無人化されガランとしています。なので他のように閉館30分前までに行かなきゃ…ということはなさそうです。

2018年03月18日 嘘つき宰相アベ
新府城

かなり大規模な城跡。武田勝頼が最後の拠り所としようとしたのがよく解る。新府駅から桃の果樹園を抜けて10分で城跡入口に着く。神社の急な参道階段を登るとそこは本丸。駅からは道標もよく整備され本丸跡にはトイレもある。実際に攻城する価値は十分あり。

2017年05月28日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
新府城

電車では新府駅。

車は無料駐車場があります。
砂利引きで色々観光情報書いてある、裏面が新府城の看板があります。

駐車場から新府城の入口迄は公道で歩道が狭く歩くには車に轢かれないよう気を付ける必要あり。

本丸は神社と武田勝頼のお墓とトイレがあります。
駐車場と逆方向に歩くと馬出しとか色々遺構があります。
二の丸や三の丸なども。

駐車場側の向かいは梅か果樹園か分かりませんが畑があり、お堀等遺構の看板があります。
ベンチともあるし、土塁的なものもあります。
果樹園に迷惑かけないよう歩いて、整備されてる広場迄行きましょう。

2016年09月05日 関白頼光
新府城

思ってたよりも大規模な城跡でした。
ただ、時期柄藪だらけで余り城の構造物等は今の時期は見づらいです。
また、ヘビや蜂もいますので、晩秋から春にかけて行った方が良いかと思います。
今の時期は、藪を掻き分けて進まないと行けない場所もありました。
心霊スポットとも知らずに写真撮りまくってましたΣ(゚д゚lll)

2016年07月30日 まるき〜主殿助
新府城

登城口が府道17号線(七里岩ライン)沿いにあり北側駐車場からの徒歩での移動は歩道が無く危険でした。線路寄りにもう一本道があるのでそちらから登城口まで行くのがよい。南側にも駐車場の標記がありましたが車が入れないようにロープが掛けられていました。そのロープの横からなだらかな坂道を登りながらの城攻めは土で出来た立体物と案内板を見ながら… 南大手口の土塁や虎口が二重になってたりするのが印象的!〜フムフム…そうなんか!コレが武田の城…と自分の中で思いながら三の丸〜二の丸を経て20〜30分位で本丸到着。本丸付近は開けていて土塁に囲まれている感がある。勝頼公の墓、家臣の慰霊碑、稲荷神社等がありドラマに伴い幟が上がってます。伐採された木、丸太があちこちに積み上げられておりヘビが…
毒ヘビのヤマカガシがおそらく沢山居るかと思われ、注意です。勝頼公がこの城を出た後、武田家滅亡の道を辿ると思うと本当に感慨深い場所でした…。ちなみにこの場所、心霊スポットで山梨県の行ってはいけない場所10選に選ばれているようですね!
お城だったら何処も同じだと思うんだけど!

2016年05月16日 甲州甲斐守ワイン
新府城

搦手側がよく整備されており、枡形や東西の構えなど見応えあります。説明の石碑もあります。
大手の方は、時期のせいかヤブが凄くて縄張りが分かりづらいです。
行きは大手側・搦手側どちらかから登り、帰りは逆に下りるといいと思います。
大河の影響でノボリがありました。
土版のミニ彦根城のような印象。オススメです。

2015年04月29日 左馬助梅さん
新府城

城の北東に駐車場ありました。北西側にある搦め手からいきましたが道も迷う事なく二ノ丸から本丸と行けてその後に馬出、西三の丸、東三の丸、大手口と裏側から攻城しました。


2013年08月11日 中務卿一之介
新府城

新府駅から道なりでまっすぐ行きます。ところどころに案内板があるので、迷わないと思います。
本丸跡に建つ神社に向かう急な階段を登りますが、城跡に向かって左側にも、なだらかですが城内に長く続く道があります。

周辺は桃畑が多いので、桃の花が咲く頃はきれいだと思います。
ただし、店の類はなく、駅にも自販機すらないので、あらかじめ調達しておく必要があります。

2012年07月14日 
新府城

塩川、釜無川の流れと侵食された崖を利用した大規模な平山城です。三日月掘り、丸馬出しといった武田流築城術も用いられているので武田好きの方は必見です。
また防衛面のみならず、街道筋にあり、水運の利点もあることから、勝頼が行政面でも優れた人物だったことがうかがえます。
新府駅から歩いて行ける距離なので、電車派の方にもオススメです

2012年01月30日 赤いRVR甲斐守@松本
新府城

駐車場は県道沿いの堀際にあります。近年出構えも整備されました。県道沿いにある248段の石段を登れば本丸に出ます。

2010年07月23日 徳川内大臣源朝臣康武
新府城

[武将像]武田勝頼像
終焉の地、天目山に近い甲斐大和駅前に鎮座。新府城にはない。

新府城の周辺スポット情報

 丸馬出(遺構・復元物)

 東出構(遺構・復元物)

 三日月掘(遺構・復元物)

 井戸跡(遺構・復元物)

 枡形虎口(遺構・復元物)

 首洗池(遺構・復元物)

 大手口(遺構・復元物)

 西出構(遺構・復元物)

 本丸北側虎口(門)(遺構・復元物)

 井戸跡(遺構・復元物)

 大手丸馬出(遺構・復元物)

 曲輪(遺構・復元物)

 石築地(遺構・復元物)

 新府城跡石碑(碑・説明板)

 屏風岩説明板(碑・説明板)

 新府城想定復元図(碑・説明板)

 新府藤武神社(寺社・史跡)

 屏風岩(景勝地)(寺社・史跡)

 恩昌寺(寺社・史跡)

 韮崎市民俗資料館(スタンプ)

 簡易トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 無料駐車場(駐車場)

 屏風岩下駐車スペース(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 自販機(その他)

 武田勝頼公霊社(その他)

 三日月堀南側登城口(その他)

 南西角登城口(その他)

 祖母石側登城口(牛ヶ手古道)(その他)

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