深草館(ふかくさやかた)
深草館の基本情報
通称・別名
- 深草城、深草塁
所在地
- 山梨県北杜市長坂町大八田2416他
旧国名
- 甲斐国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 室町時代後期?
主な改修者
- -
主な城主
- 堀内氏(逸見氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、天守台
指定文化財
- 県名勝(深草館跡)
再建造物
- -
周辺の城
-
谷戸城(山梨県北杜市)[1.2km]
古宮城(山梨県北杜市)[5.6km]
笹尾砦(山梨県北杜市)[5.9km]
若神子城(山梨県北杜市)[6.6km]
獅子吼城(山梨県北杜市)[8.0km]
先達城(長野県諏訪郡)[8.9km]
比志城(山梨県北杜市)[9.8km]
能見城(山梨県韮崎市)[11.1km]
新府城(山梨県韮崎市)[12.9km]
日ノ出城(山梨県韮崎市)[14.0km]
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深草館の解説文
深草館の口コミ情報
2023年05月28日 みよ釆女正
深草館
田んぼのあぜ道を車で行けるとこまで行きました。20メートル程はあるきました。田んぼの中にぽつりと森。しかし良き見ると、堀が深く小川も流れていました。とても渡れません。完敗。ほかの角度から攻めていたら、城内に入れたのかもしれません…
2012年05月04日 三河守コーキしゃん
深草館
駐車場がないので路肩に停めました。
土塁により二郭に分けられていて真ん中に虎口があります周りは空堀が巡っています。
土塁は高い所で2m程あります。
立地
八ヶ岳南麓のほぼ中央に位置する。東を東衣川、西を西衣川によって開析された舌状台地の西南端にある。標高は760mである。南東には南新居集落が接し、東・西衣川の水利をいかした用水路が集落内を巡る。東衣川東の微高地には、北から西方にかけて土塁をもつ方形区画がある。歴史
「甲斐国志」は「深草城虚ト云処アリ、相伝テ城主下総守其次ハ主税助、宮内左衛門ナリト云」(一一二「堀内下総守」の項)、「相伝フ清光ノ臣堀内某居之、子孫堀内下総守ノ子主税助ノ時城陥落魄セント云々、塁濠全ク存セリ」 (四七「深草塁祉」の項)とする。調査等
館跡は東西50m、南北100mの不整長方形を呈する。西を除く三方を空堀で区画し、西は脇を流れる西衣川を堀として利用している。郭内は土塁によって北郭と南郭に二分されている。北郭は北西部分がやや突出した不整五角形で、東西40m、南北30mを測る。高さ1~2mの土塁が巡る。南郭との境界にあたる南側土塁は中央部が4m程虎口状に途切れている。南郭はド東西40m、南北60mの長方形を呈する。南郭中央あたりで東土塁は一段低くなり、西土塁は途切れる。この両地点を結んだラインには、東西方向に土塁の痕跡が残る。昭和初期の史蹟名勝天然紀念物調査段階ではこの土塁が明確に残っており、本来郭は3つであったことがわかる。館南側の堀を超えた集落内に、北西から東にかけて土塁が延びる。さらに集落東端を流れる東衣川の東にも北・西辺に土塁をもつ方形の区画がある。南辺には堀跡と思われる短冊形の区画もある。この方形区画の北西には石祠が数個あり、当館と関連した屋敷地と推定できる。当館の存続時期を明記する史料はないが、館主「堀内下総守」については、「武田御日牌帳」に元亀2年(1571)・天正4年(1576)銘での記述がある。その子主税助の時に館が衰退したとすれば、その時期は天正年間にあたろう。また周辺の発掘調査から、16世紀には館周辺に掘立柱建物跡群が存在していたことが判明した。館および南新居集落の景観成立は、少なくともこの時期以前に求められよう。
規模の大きさや隣接する集落を区画する土塁や屋敷地の存在などから、大八田荘を支配する領主の館跡と推定される。成立時期は16世紀代と考えられる。また西側の堀に代わる西衣川は、先に確立されていた集落南西域の水田の用水路と立体交差して集落を横断し、集落中央の微高地にある水田に灌慨されている。こうした状況は、当時領主が当館を中心とした計画的な土地開発寺行っていたことを示す。
現状
県の史跡に指定され、土地所有者により整備・管理されている。アクセス
・JR中央本線長坂駅下車、北杜市民バス大泉・長坂線「大久保」下車、徒歩約5分