古宮城(ふるみやじょう)

古宮城の基本情報

通称・別名

古宮屋敷、古宮館

所在地

山梨県北杜市須玉町下津金字御所(諏訪神社)

旧国名

甲斐国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

津金氏?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

津金氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

獅子吼城(山梨県北杜市)[4.1km]
比志城(山梨県北杜市)[4.4km]
谷戸城(山梨県北杜市)[5.3km]
深草館(山梨県北杜市)[5.6km]
若神子城(山梨県北杜市)[6.8km]

古宮城の解説文

立地
須玉川と波竜川にはさまれた台地東端に位置する。屋敷跡は諏訪八幡神社と旧津金小学校の敷地となる。佐久往還の古道が当地から上律金の大和集落を経て須玉川対岸の長沢(北巨摩郡高根町)に通じる。また海岸寺峠を越え佐久郡に至る道も当地を通過している。北方1.8㎞には源太ヶ城(須玉町)がある。標高は790mである。

歴史
別称に古宮城・古宮館がある。

当地域は中世には津金郷と呼ばれ、15世紀後半、武田信昌の頃、常陸佐竹氏の一族薩摩守・美濃守父子がここに拠り津金氏を称した。逸見筋の国境地帯に蟠踞した小尾・小池・比志・八巻・箕輪などの諸氏は、津金氏の子孫で、この一党は津金衆と称される(「甲斐国志」一一二、「津金衆」の項)。

「国志」四七、「古宮城述」の項では、文亀元年(1501)3月に武田信虎が信州からの凱旋に際し当地に宿り、「御所」と呼ばれるようになったとする養福寺(高根町)の寺伝を紹介する。

津金衆は国境著固を担い、武田氏滅亡後の天正壬午の戦いでは徳川家康に属し、徳川方の先峰として北条方の獅子吼城を攻略するなど活躍し、津金・小尾・小池の一党は当屋敷にこもったと伝えられる(「国志」)。

調査等
「国志」は屋敷に関して、お.よそ210m×120mの規模と土塁や堀の、存在を伝えている。小学校建設以前には運動場の辺りまで二重の堀と土塁が存在したとされるが、現在は諏訪神社の西側に幅6m、長さ75m程の空堀と、それに沿う土塁が南北方向に確認されるのみである。

1997年の発掘調査では、神社に残存する堀の南側延長線上、およびそれと直交する堀跡が確認された。「国志」四七が「源太城嘘」の項で「古宮ハ居館ニシテ、此処ハ要害ナリシニヤ、又烽火台ニ用ユベシ」と考証するように、当屋敷は源太ヶ城を守備した津金氏の本拠とされている。しかし、屋敷の大きさや発掘調査などからは、国人層に匹敵する勢力が想定され、前説には否定的な見方もある。

甲斐と信州佐久を結ぶ交通の要衝にあることから、戦国期には国境の守備に当った津金氏の本拠であった可能性が推測され、天正壬午の戦いにおける津金衆の拠点のひとつであったと考えられる。国人層の居館としては、逸見氏との関わりが推測されるが確証はない。

現状
諏訪八幡神社と津金三代校舎となっている。

アクセス
JR中央本線韮崎駅下車、山交タウンコーチ増富温泉郷線「北杜市役所入口」下車、北杜市民バス津金・百観音線「御所公民館」下車、徒歩約5分

情報提供:北杜市教育委員会

古宮城の口コミ情報

㊉猿おじさんマイリバ様[2010年06月08日]
旧津金学校の裏側が城跡です。堀跡以外に特筆すべき遺構はありませんが、明治校舎と大正校舎の間に画像の石碑が建っています。(石碑裏も要チェックです(^-^)b)
また、昭和校舎跡地に建てられた「おいしい学校」では昔懐かしい給食(カレーライスやシチュー&コッペパン)を美味しくいただけます♪

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