白山城(はくさんじょう)

白山城の基本情報

通称・別名

鍋山砦

所在地

山梨県韮崎市神山町鍋山

旧国名

甲斐国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

武田信義

築城年

平安時代後期

主な改修者

主な城主

武田氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、畝状竪堀、堀切

指定文化財

国史跡(白山城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

新府城(山梨県韮崎市)[3.9km]
日ノ出城(山梨県韮崎市)[4.7km]
能見城(山梨県韮崎市)[5.6km]
若神子城(山梨県北杜市)[10.4km]
湯村山城(山梨県甲府市)[11.9km]

白山城の解説文

白山城(はくさんじょう)は、山梨県韮崎市神山町鍋山に所在した日本の城。形式は山城。築城者は不明。「白山城」の名は城山中腹に鎮座する白山権現に由来する。別名に鍋山砦、『甲斐国志』では「要害城」を伝える。国の史跡。

立地と歴史的景観
所在する韮崎市神山町鍋山は県北西部に位置し、甲府盆地の北西端にあたる。「城山」と呼ばれる赤石山地北東の巨摩山地・甘利山地に属する独立峰状の尾根に立地する。標高は約573メートル。釜無川右岸で釜無・塩川の合流地点に近く、釜無川が七里岩の崖下に押し付けられ回廊状となった地形の末端部にあたる。前面には開削された段丘が広り、谷底平野が形成されている。

白山城周辺の釜無川右岸地域には、武田信義の居館跡があり、韮崎市神山町宮地には信義の菩提寺である願成寺や武田八幡宮など甲斐源氏や武田氏にまつわる史跡が分布している。七里岩上の韮崎市中田町中條には戦国末期に武田勝頼が築城した新府城が所在している。

白山城跡の南に隣接する尾根には南烽火台(ムク台烽火台)、北に隣接する尾根には北烽火台と呼ばれる山城が存在している。

周辺の往還としては信濃方面から西郡地域を経て盆地南部の河内路へ通じる西郡路(国道52号線)の道筋が存在するほか、甲州街道の一部である河路や韮崎宿から七里台上を経て八ヶ岳山麓の信州蔦木宿へ通じる原路など諸街道が存在している。

白山城の築城と利用
『甲斐国志』に拠れば、白山城は「城山」と呼ばれ、甲斐源氏の祖・源清光の子である武田信義が要害として築城したとしている。信義の子である武田信光の子孫・武田信時の系統は巨摩郡武川筋に土着し、戦国期には在郷武士団である武川衆が登場する。『寛政重修諸家譜』によれば、白山城は武川衆の一族である青木氏が領有し、武田信縄から信虎・晴信に仕えた八代信種が「鍋山城」を守備し、これが白山城にあたると考えられている。後に青木氏から別れた山寺氏が領したという。

一方で中世期の文書や記録史料には白山城に関するものは見られず、もっぱら近世期の地誌類や家譜などに見られる。寛永20年(1643年)『寛永諸家系図伝』、寛政3年(1791年)『寛政重修諸家譜』所載の青木・山寺両氏の家譜においては戦国期に武川衆の青木・山寺両氏が武田氏から「鍋山の砦」の守備を任されたとしている。

『裏見寒話』では、武田八幡宮の南に「鍋山八幡」の存在を記している。『裏見寒話』では「鍋山八幡」を源為朝伝説に付会した説を取り、これは白山神社・為朝神社に比定される可能性が考えられている。

戦国期の天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻により武田氏は滅亡し、武田勝頼は新府城を退去して家臣・小山田信茂の郡内領へ逃れる途中に、田野(甲州市大和町)において滅亡した。同年6月、本能寺の変で織田信長が死去すると甲斐・信濃の武田遺領を巡る天正壬午の乱が発生し、甲斐では三河国の徳川家康が新府城を本陣に七里岩台上に布陣し、若神子城に本陣を置く北条氏直と対峙した。天正壬午の乱において武田遺臣の一部は徳川家康に臣従し、白山城には武川衆の青木氏・山寺氏が配置され、諏訪口の監視を行った。白山城は天正壬午の乱において修築されていると考えられている。

江戸時代初期の寛文年間(1661年-1673年)廃城となった。...

白山城の口コミ情報

下総守きこりん様[2017年08月16日]
北烽火台とムク台の案内。
白山城の南北両隣の尾根にはムク台、北烽火台という二つの烽火台があり、三つセットで国史跡に指定されています。二つの烽火台は、この辺り特有の両側を浸食された極端な痩せ尾根に立地し、自然地形を利用して最小限の普請で築かれているのが特色です。
白山城本体へは、武田八幡宮から行くのは分かりにくく遠いのでお薦めしません。城直下の白山神社からなら明瞭な道を5分も歩けば到着です。大村美術館入口から川沿いの道を進み(googleマップで出ます)境内まで車で行けます。
武田八幡宮から近いのは北烽火台で、防獣フェンスを開けて本殿裏から尾根に取り付き、山腹工の際を登っていけばすぐです。
ムク台は白山神社への道の対岸の道を行けば、登城路の入口があります。付近に駐車スペースあり。
さらに白山城の南2kmほどに甘利氏の要害とされる扇子平山城があり、やはり痩せ尾根を利用しつつもより多くの平場を取り込んだ本格山城で、変化に富んだ地形を巧みに利用した縄張が素晴らしいのでついでにどうぞ!
いずれも夏〜秋はヒル注意!

浜浜左衛門佐二郎勝頼様[2015年10月06日]
武田八幡神社から徒歩約20分。

前半部が肝試し要素が強い分、稜上の土塁-堀切-虎口の重なりを乗り越えるのは興奮を感じずにはいられないはずだ。

位置関係は、北より武田八幡神社、三の丸、本丸、二の丸、白山神社。

最初は南側から登るも、腰の高さの草をかき分ける道に怖れをなして引き返し。やはり口コミのヒル情報が心にのしかかる。

北側の八幡神社から攻め直し。神社を前にして左手に見える山が白山城。駐車場から数分歩いたらすぐに電流柵のゲート(熊生息の看板付)。

ゲート(いわば檻)を開いて、内側から自らゲートを閉めるという行為に、なぜ山城に登らねばならないのかという根源的な問いかけをせずにはいられないであろう。

すぐ無人家と乗り捨てられた車を通り過ぎる。これはもう度胸試しの域をこえている。『日本の山城』に載っているからといって、か弱き婦女子の単独行は厳に慎みたい。しかしどうしても攻めたいというならば、足軽は2名は帯同したい。前後を固めよう。

薄暗い林を進み、尾根の取付には「本丸まで20分」の案内板。しかしここからは息切らせば実は10分ちょい。頑張ってみたい。

まー宮内卿様[2015年09月12日]
先人のヒル情報で止めました。武田八幡神社内でも蚊が寄ってくるのも理由の一つ。あと高圧電線の扉を開けると城跡までの看板がなかった。

下総守きこりん様[2014年06月06日]
ヒルがいるので要注意です。
くっつかれましたー

常陸入道ねんさい和泉守様[2013年10月14日]
城の北側の武田八幡宮から城跡に行けるはずだが途中から道が分からなくなり断念。白山神社から城跡に入る。白山神社までが少し分かりにくい。集落を抜けて高圧電流と有刺鉄線の門を開けて入ると白山神社がある。門は自由に出入りできるが必ず閉める事。神社から城跡までは思ったらより近かった。

富士丸式部大輔孫兵衛様[2013年04月17日]
白山城徒歩30分の看板を見て↑通りに進みましたが、高圧電流の流れてる有刺鉄線に遮られて登城は断念しました。
武田八幡宮、武田信義館跡などとセットで散策した方がいいです。

影艶弾正少弼様[2012年02月16日]
近くにある韮崎市役所の前には武田信義像があります

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