諏訪原城(すわはらじょう)

諏訪原城の基本情報

通称・別名

牧野城、牧野原城、扇城

所在地

静岡県島田市金谷

旧国名

遠江国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

馬場信春?

築城年

天正元年(1573)

主な改修者

松平家忠など

主な城主

今福氏、今川氏、松平氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

土塁、曲輪、堀、馬出、井戸

指定文化財

国史跡(諏訪原城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

勝間田城(静岡県牧之原市)[5.6km]
菊川城館(静岡県菊川市)[10.0km]
掛川城(静岡県掛川市)[10.8km]
犬間城(静岡県島田市)[12.3km]
小山城(静岡県榛原郡)[12.4km]

諏訪原城の解説文

諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国榛原郡金谷(現在の静岡県島田市金谷)にあった戦国時代の日本の城(山城)である。諏訪之原城とも書く。甲斐の武田氏が築城。城内に諏訪大明神を祀ったことからこの名が付いたとされる。徳川氏時代の城名は牧野城。『家忠日記』には牧野城のほか牧野原城とも記載。東照宮御実紀(徳川実紀)に、牧野の城(諏訪原をいふ)と記載。

現在は建築物は残っていないものの、堀・曲輪・馬出などの遺構がはっきりと残り、戦国時代の武田氏・徳川氏の築城様式を知る上で貴重なものとなっている。国の史跡に指定されている。

立地
諏訪原城(牧野城)は遠江国の東端近くの牧之原台地の舌状台地の先端部に立地する。城のすぐ南を東海道が通り、東の金谷坂を下ると大井川をまたいで駿河国に入り、西の菊川坂を下ると小夜の中山を経由して掛川(現掛川市中心部)を中心としたやや広めの盆地部に出る。また、南に牧之原台地を下ると、菊川下流域の平野部に出る。

歴史
武田軍が遠江(徳川領)攻略の出城として築城し、天正3年(1575年)には武田氏と徳川氏で激しい戦いが繰り広げられたが、同年8月落城、徳川氏の城となる。

築城
永禄12年(1569年)、駿河・遠江を領していた今川氏が武田氏と徳川氏に挟撃され滅亡し、駿河は武田氏に、遠江は徳川氏の所領となった。しかし、間もなく両氏は争うようになり、元亀2年(1571年)に武田氏当主・武田信玄は遠江南東部の高天神城を攻撃した。このときは落城させることができず撤退したが、翌元亀3年(1572年)には徳川氏に大攻勢をかけ、二俣城などの諸城を落城させ、さらに本拠地・浜松城から討って出た徳川氏当主・徳川家康を三方ヶ原の戦いで破った。

翌元亀4年4月(1573年5月)、信玄は病死するものの、跡目を継いだ武田勝頼も遠江の獲得を目論んだ。天正元年(1573年)の諏訪原城の築城もその一環であり、普請奉行馬場信春、その補佐を武田信豊に命じ、東海道沿いの牧之原台地上に城を築かせたという。ただし、このことを記す史料が『甲陽軍鑑』など後代に成立した史料のため、築城者については確定できないものの、この時期の築城は間違いないと考えられている(『武徳編年集成』には永禄12年(1569年)に「金谷城」を築城したとあるが、この城が諏訪原城と同一かどうかは断定できない)。信玄後期から勝頼期に建設された城郭の特徴である、台地の突端部を利用し戦闘正面を限定させる構造となっている。甲州流築城術の特徴である丸馬出及び三日月堀が3ないし5箇所あり、枡形虎口などの遺構も残る。城の三方は台地の断崖となっており、前面の巨大な空堀がこの断崖へと続いている。小山城と共に、大井川西岸の防衛線及び高天神城への補給線を確保する重要な拠点となった。

武田氏と徳川氏による争奪戦
その後も勝頼は遠江への攻勢を強め、天正2年(1574年)には主要拠点であった高天神城も武田氏の手中としている。ところが天正3年(1575年)5月、長篠の戦いで武田軍が織田徳川連合軍に大敗した。徳川家康は直ちに反攻に転じて三河・遠江の武田氏の各拠点の攻略に乗り出し、諏訪原城にも攻撃をしかけた。1ヶ月余りの攻防戦が繰り広げられたが、城主今福浄閑斎が討死し、残った城兵は夜半に紛れて田中城に逃亡して落城した。徳川氏が奪取した日時は、天正3年8月(日付は異同あり)とされる。

攻略後、徳川氏はこの城を拠点に武田勝頼軍の動向を監視・牽制を続け、殊に高天神城への大井川沿いの補給路を封じたことで戦いを有利に導いた。また徳川氏は武田氏の縄張りをそのまま引き継いだが、この時期に堀や丸馬出しを更に増強、大手曲輪なども築き、より東海道に近接した縄張りになったと考えられている。

廃城以後...

諏訪原城の口コミ情報

五瓜ニ唐花紋内大臣や〜きみ様[2017年05月08日]
山道を車で登り途中に諏訪原城の看板がありますが、私が行ったときは草が凄く藪こぎしないといけない状態でした。
車で上まで進むと平な平地に住宅や茶畑が広がりそこに駐車場があります。
ここから入れば楽に遺構を見学出来ます。
平なフィールドに遺構が広がってます。

【鉄騎兵】右衛門督かげちゃん様[2017年05月07日]
大手曲輪跡の茶畑で新茶の摘み取り作業が
行われていて、 向かいの農家で、今年の新茶の試飲がやっていました。くれぐれも、農作業の邪魔にならないように気を付けて下さい。

木下近江守湖一郎様[2017年03月07日]
周辺同様、城跡もかつては茶畑でした。そのため、茶畑の時の石積みが本曲輪や仕切土塁に残されています。
教育委員会さんにお伺いしたところ、仕切土塁は、茶畑の改植時にトラクターで石を集めたらしく、30〜40cm下に本来の土塁の土があり、鉄砲玉も出土しているそうです。

立花飛騨守様[2016年12月05日]
金谷駅からは、徒歩で20分くらいですが、途中の石畳の道は、雨の日は、非常に滑るので、ご注意ください。

登りはまだしも、下りは何回も滑ったので、遠回りして、舗装された車道を、行きましたが、こちらも、途中、急傾斜の坂道を通ります。

主要部や、堀底は、かなり草ぼさぼさですが、遺構は、ハッキリ確認できます。

新しい駐車場、お手洗いもできていました。

maria右兵衛督様[2015年11月29日]
諏訪原城近くの方に話を伺うと、発掘はまだまだ続くらしいとのことでした。
夏はヘビも出るし、本曲輪辺りはヤブ蚊が大量に襲ってくるとのこと。しかし、発掘途上のため立ち木も多いので、台地を吹く風は苦にならない程度でした。整備中のため立ち入り禁止も多く、用地買収された茶畑が木だけ抜かれたままの状態で、茶畑の石積みが残っていたり、足元はかなり悪いです。

土橋、馬出し、堀などの縄張りが初心者の私にもよくわかりました。何より、広大な本曲輪に驚きました。

本曲輪から、東には大井川越しに雄大な富士山が見えますし、北に目を移せば、南アルプスに連なる山並みが甲斐、信濃へと続いています。南は駿河湾、西は…牧之原台地が広がる眺望のよい場所に立地しています。

土曜日に行きましたが、工事はやってませんでした。平日のみなんでしょうね。

JR金谷駅からも近く、東海道の石畳が復元されている峠道も近くにあり、歌枕に名高い小夜の中山など歩かれるのもよいかと思います。

田部朝臣土持左衛門佐様[2015年01月03日]
バス停側駐車場が工事中で×肝心の丸馬出もほぼ全て発掘調査中で立入禁でした。しばらくはどうにもならないと思われます。近場の方は終了を教えていただけませんか?

尻啖え孫市下総守様[2014年04月20日]
そもそもは武田方の高天神城への兵站確保を目的としているが、三方を崖に囲まれ攻撃を一方に限定する点や馬出し曲輪を多く設けるところなど他の武田の城、例えば大島城、高遠城、新府城などと共通しており、武田の築上術を堪能できる。城は後世のような守るものではなく攻めの拠点なのだろう。戦国最強の武田かくありなん。躑躅ヶ崎館のシンプルな縄張りや、敢えて北条流築上術と比較してみると非常に面白い。

león伊豆守大途様[2012年07月07日]
武田の大井川流域確保の拠点となった、馬場信房の居城と伝わる城です。武田流築城術の代名詞といえる丸馬出し跡が残る数少ない城なので、武田好きにはオススメします

コアラ様[2012年03月14日]
掘が素晴らしい!一部発掘が行われている。出口にこじんまりとしたcafeがあります。

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