菊川城館(きくかわじょうかん)

菊川城館の基本情報

通称・別名

菊川城館[横地城(金寿城)・高田大屋敷]

所在地

静岡県菊川市東横地(地図は横地城を示す)

旧国名

遠江国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

横地家長[横地城]、内田氏?[高田大屋敷]

築城年

室町時代前期[横地城]、鎌倉時代?[高田大屋敷]

主な改修者

主な城主

横地氏[横地城]、内田氏[高田大屋敷]

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)[すべて]

指定文化財

国史跡(菊川城館遺跡群)

再建造物

石碑[横地城]、説明板[すべて]

周辺の城

黒田代官屋敷(静岡県菊川市)[4.4km]
勝間田城(静岡県牧之原市)[6.7km]
朝比奈城(静岡県御前崎市)[8.0km]
高天神城(静岡県掛川市)[8.2km]
相良城(静岡県牧之原市)[8.7km]
諏訪原城(静岡県島田市)[10.0km]
掛川城(静岡県掛川市)[10.8km]
小山城(静岡県榛原郡)[13.1km]
横須賀城(静岡県掛川市)[14.2km]
馬伏塚城(静岡県袋井市)[16.9km]

菊川城館の解説文



菊川城館遺跡群(きくがわじょうかんいせきぐん)は、静岡県菊川市にある中世の城館跡である。2004年9月30日に国史跡に指定され、2009年2月12日に追加指定が行われた。指定名称は「菊川城館遺跡群 高田大屋敷遺跡 横地氏城館跡」である。

概要 

菊川城館遺跡群は、静岡県の南西部に位置し、菊川流域の高田大屋敷遺跡と横地氏城館跡からなる。菊川町南部には、平安末期から鎌倉時代にかけて、内田荘の下郷内田氏と横地氏とが並存していた。内田荘下郷はほぼ大字下内田に相当し、下郷内田氏は工藤氏庶流の小御家人であった。下郷内田氏は、承久の乱の功績によって石見国に地頭職を得て14世紀に本拠を移した。横地氏は保元の乱に源義朝に従った有力武士である。源平の内乱期は頼朝に従い、鎌倉幕府成立後は有力御家人として鎌倉を中心に活動したことが『吾妻鏡』に散見する。南北朝期には足利方に属して菊川流域一帯を領し、のちに室町将軍家の奉公衆として京都を中心に活動した。15世紀中頃から活動拠点を東遠江の横地に移したが、15世紀後半に勢力を遠江に伸ばした今川氏によって、文明8年(1476)に滅ぼされた[1]

高田大屋敷遺跡は、下郷内田氏の本拠地に比定され、菊川と上小笠川の合流点付近、標高約11mの微高地に占地する。西隣には信州へ塩等を運んだ秋葉街道が通る。高田大屋敷遺跡は、昭和63年度から平成5年度にかけて、菊川町教育委員会が県営圃場整備事業に伴う発掘調査を実施し、菊川町は調査成果を踏まえて保存を決定して施工区域から除外した。東西約70m、南北約93mの土塁に囲まれ、南側から西側は旧河川と湿地を利用した堀跡が巡り、北側から東側は上小笠川の流路に囲まれた方形居館跡である。西側に続く古川神社境内地は外郭跡と推定される。北側土塁は洪水防止の堤防を兼ねており、出土遺物から中世前期に構築されたと考えられる。東、西、南側の土塁は後世の削平、撹乱が著しく、築造時期を推定することが難しい。中世の出土遺物は15、16世紀にも一定のまとまりを示し、下郷内田氏以降も何らかの施設が営まれたと考えられる。

横地氏城館跡は、高田大屋敷遺跡の東約3m、牧の原台地の南西端に位置する。菊川水系の小河川沿いの谷部と丘陵部に営まれた、横地氏本拠地の中世遺跡群である。菊川町教育委員会が昭和62年度から平成15年度に発掘調査及び民俗学、城郭史、石造物等の総合調査を実施した。五郎兵衛地区、殿ヶ谷地区、中上地区、大上地区、横地城跡の5地区に分かれ、東西約2km、南北約0.6kmの範囲に及ぶ。なお、本遺跡群はあくまで菊川にある城館の遺跡群という意味であり、菊川城という名の城が存在したわけではない。

菊川城館の口コミ情報

2022年04月19日 ファン掃部助トム治郎
菊川城館



横地城という国指定史跡です。今川義元以前の遠江の歴史を味わえる場所で一見の価値あります。

2022年01月18日 Yana
菊川城館



横地神社を超えて本丸まで行きました。とても見晴らしが良い場所です。

2021年04月24日 千閑斎【ケルベコス】
棚草城[菊川城館  周辺城郭]



棚草城の詳細は良くわかりませんが、三郭に今川宮が有り今川氏真と朝比奈小十郎が水神として祀られいる事から朝比奈小十郎に関係する城と思われます。

三郭の下に有った雲林寺は建物が無くなり更地になっていました。

主郭から三郭は全て茶畑でしたが、全く手入れされていない茶の木の樹海です。この樹海を抜けると山林部に堀切等若干の遺構が残っています。


2021年01月17日 Ryochin左京進
金玉落としの谷[菊川城館  寺社・史跡]

木の玉落としの間違いらしく、現在では碑が立っていたり、毎年谷の下で金色のボールを拾う祭りもあるらしいです

2020年11月07日 千閑斎【ケルベコス】
今川さま[菊川城館  寺社・史跡]



小和田先生の「歴史探索入門」に掲載されている*今川様*を訪ねてきました。今川氏真が朝比奈孫十郎に命じて用水を作らせ、水神として祀られています。現在も毎年3月13日に自治会の主催により祭事が行われているようです。裏山には土塁?や堀切?がありました、一帯は茶畑ですが、曲輪や切岸っぽい地形です。多分、棚草城です。

2019年10月22日 
菊川城館

菊川城館は、横地城跡で検索した方が良く、歴史としては、
源義家の庶長子・横地家永を祖とします。
1051年、陸奥の安倍頼良討伐に向かった源頼義が、長雨で遠江国見付に20日程留まり、その時、源頼義の嫡男・源義家が相良荘司・藤原維頼の娘を寵愛し、子が出き、
この子が横地家永で、横地に居を構えたそうです。
山城の中心「東の城」からは南に遠州灘、東に牧之原台地、その後方から北にかけて赤石山脈と南アルプスを望むことができます。  「東の城」から西に向かえば「千畳敷」、「一騎駆け」、「横地一族の墓」などが、いたるところに名残をとどめており、時を越えて“中世の世界”を感じることができるそうです。
駐車場もいくつかあるみたいですが、
私が行ったところは、2、3台しか停められませんでした。

2016年12月30日 まー刑部卿
菊川城館

『◯玉落としの谷』は現地にある標柱及び説明板そのままに記しましたが不適切な表現ということで記載出来ませんでした。
なお◯は金が入ります。

2016年12月30日 まー刑部卿
菊川城館

横地城跡案内図から登城口が3つあることがわかり県道245号線を御前崎市方面へ進むと『横地城跡入口』(先程の看板とは別)の看板があり左折。この道路は道幅広いですが大久保農道という道路で牛池と上池の間の道を進んだ先に駐車場有り(トイレなし)。農道をそのまま進むと駐車場とトイレが有ります。登城口から進むと一番初めに進みかけた道とぶつかる。更に進むと『◯玉落としの谷』→『二の丸跡斜面の井戸』→『二の丸跡に鎮座する横地神社』石段脇に『土塁壕跡』→『千畳敷(広場、横地城址石碑有り)』→『中城跡』と木戸があったと思える土塁有り→本丸(金寿城)の看板を進むと『木戸』→『井戸跡』を過ぎて本丸跡の石碑に到着。眺め良し。『一騎駆』は本丸下にある。自然公園のため草刈りしてあって歩きやすかったです。

2016年12月30日 まー刑部卿
菊川城館

横地城跡へは県道245号線に消防団の建物先右手に『横地城跡入口』にデッカい看板があったので行ってみました。進んでいき墓地を過ぎた辺りから道幅車一台分の道をひたすら上がる。途中横地一族の墓や斯波武衛邸宅跡、武衛原庭園跡があり茶畑が出現。この辺りは道幅は狭く側溝があったりで危なかった。軽自動車だったら余裕。更に進むとかくし井戸、のろし台跡の看板有り更に進むと(途中で引き返し消防団建物前に駐車し歩いて進む)横地城跡案内図と駐車場が有ります(トイレなし)。

菊川城館の周辺スポット情報

 詰の城(遺構・復元物)

 斯波武衛邸宅(碑・説明板)

 かくし井戸(碑・説明板)

 藤丸館(碑・説明板)

 横地氏一族の墓(碑・説明板)

 武田陣場跡(碑・説明板)

 棚草城(周辺城郭)

 今川さま(寺社・史跡)

 金玉落としの谷(寺社・史跡)

 塩買坂古戦場 石灯籠(寺社・史跡)

 横地城跡公衆トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

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