菊川城館(きくかわじょうかん)
菊川城館の基本情報
通称・別名
- 菊川城館[横地城(金寿城)・高田大屋敷]
所在地
- 静岡県菊川市東横地(地図は横地城を示す)
旧国名
- 遠江国
分類・構造
- 城館遺跡群
天守構造
- -
築城主
- 横地家長[横地城]、内田氏?[高田大屋敷]
築城年
- 室町時代前期[横地城]、鎌倉時代?[高田大屋敷]
主な改修者
- -
主な城主
- 横地氏[横地城]、内田氏[高田大屋敷]
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)[すべて]
指定文化財
- 国史跡(菊川城館遺跡群)
再建造物
- 石碑[横地城]、説明板[すべて]
周辺の城
-
黒田代官屋敷(静岡県菊川市)[4.4km]
勝間田城(静岡県牧之原市)[6.7km]
朝比奈城(静岡県御前崎市)[8.0km]
高天神城(静岡県掛川市)[8.2km]
相良城(静岡県牧之原市)[8.7km]
諏訪原城(静岡県島田市)[10.0km]
掛川城(静岡県掛川市)[10.8km]
小山城(静岡県榛原郡)[13.1km]
横須賀城(静岡県掛川市)[14.2km]
馬伏塚城(静岡県袋井市)[16.9km]
菊川城館の解説文
菊川城館の口コミ情報
2021年01月17日 Ryochin左馬允
金玉落としの谷[菊川城館 寺社・史跡]
木の玉落としの間違いらしく、現在では碑が立っていたり、毎年谷の下で金色のボールを拾う祭りもあるらしいです
2020年11月07日 千閑斎【】
今川さま[菊川城館 寺社・史跡]
小和田先生の「歴史探索入門」に掲載されている*今川様*を訪ねてきました。今川氏真が朝比奈孫十郎に命じて用水を作らせ、水神として祀られています。現在も毎年3月13日に自治会の主催により祭事が行われているようです。裏山には土塁?や堀切?がありました、一帯は茶畑ですが、曲輪や切岸っぽい地形です。多分、棚草城です。
2019年10月22日
菊川城館
菊川城館は、横地城跡で検索した方が良く、歴史としては、
源義家の庶長子・横地家永を祖とします。
1051年、陸奥の安倍頼良討伐に向かった源頼義が、長雨で遠江国見付に20日程留まり、その時、源頼義の嫡男・源義家が相良荘司・藤原維頼の娘を寵愛し、子が出き、
この子が横地家永で、横地に居を構えたそうです。
山城の中心「東の城」からは南に遠州灘、東に牧之原台地、その後方から北にかけて赤石山脈と南アルプスを望むことができます。 「東の城」から西に向かえば「千畳敷」、「一騎駆け」、「横地一族の墓」などが、いたるところに名残をとどめており、時を越えて“中世の世界”を感じることができるそうです。
駐車場もいくつかあるみたいですが、
私が行ったところは、2、3台しか停められませんでした。
2016年12月30日 まー刑部卿
菊川城館
『◯玉落としの谷』は現地にある標柱及び説明板そのままに記しましたが不適切な表現ということで記載出来ませんでした。
なお◯は金が入ります。
2016年12月30日 まー刑部卿
菊川城館
横地城跡案内図から登城口が3つあることがわかり県道245号線を御前崎市方面へ進むと『横地城跡入口』(先程の看板とは別)の看板があり左折。この道路は道幅広いですが大久保農道という道路で牛池と上池の間の道を進んだ先に駐車場有り(トイレなし)。農道をそのまま進むと駐車場とトイレが有ります。登城口から進むと一番初めに進みかけた道とぶつかる。更に進むと『◯玉落としの谷』→『二の丸跡斜面の井戸』→『二の丸跡に鎮座する横地神社』石段脇に『土塁壕跡』→『千畳敷(広場、横地城址石碑有り)』→『中城跡』と木戸があったと思える土塁有り→本丸(金寿城)の看板を進むと『木戸』→『井戸跡』を過ぎて本丸跡の石碑に到着。眺め良し。『一騎駆』は本丸下にある。自然公園のため草刈りしてあって歩きやすかったです。
2016年12月30日 まー刑部卿
菊川城館
横地城跡へは県道245号線に消防団の建物先右手に『横地城跡入口』にデッカい看板があったので行ってみました。進んでいき墓地を過ぎた辺りから道幅車一台分の道をひたすら上がる。途中横地一族の墓や斯波武衛邸宅跡、武衛原庭園跡があり茶畑が出現。この辺りは道幅は狭く側溝があったりで危なかった。軽自動車だったら余裕。更に進むとかくし井戸、のろし台跡の看板有り更に進むと(途中で引き返し消防団建物前に駐車し歩いて進む)横地城跡案内図と駐車場が有ります(トイレなし)。
【横地氏城館(横地城)】
横地氏城館は横地氏によって室町初期に築城された城館で、高田大屋敷の東約3キロメートルに位置する。こちらも発掘調査が行われ、東西約2キロメートル、南北約600メートルの範囲に及ぶ城館であることが分かっている。
【高田大屋敷】
高田大屋敷は、菊川流域の領主であった下郷内田氏の居館。昭和63年(1988)の発掘調査によって東西約70メートル、南北約93メートルの土塁に囲まれた方形居館であることが分かった。