朝比奈城(あさひなじょう)

朝比奈城の基本情報

通称・別名

朝比奈城山、南谷城

所在地

静岡県御前崎市下朝比奈

旧国名

遠江国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

朝比奈氏、曽根氏

廃城年

遺構

曲輪、堀切、井戸

指定文化財

再建造物

周辺の城

相良城(静岡県牧之原市)[5.4km]
黒田代官屋敷(静岡県菊川市)[7.2km]
菊川城館(静岡県菊川市)[8.0km]
高天神城(静岡県掛川市)[11.1km]
勝間田城(静岡県牧之原市)[13.1km]
小山城(静岡県榛原郡)[16.0km]
横須賀城(静岡県掛川市)[16.4km]
掛川城(静岡県掛川市)[17.7km]
諏訪原城(静岡県島田市)[17.7km]
馬伏塚城(静岡県袋井市)[20.4km]

朝比奈城の口コミ情報

2026年04月30日 でぇすけ大蔵大輔
朝比奈城

旧妙音庵薬師堂からのルートと、山を挟んだ道路から登るルート、いずれも分からず・・。前者は、駐車場のようなスペースありで、後者もお墓へ登る傍に1台くらい停められるスペースあり。がしがし山へ登って行く?

2026年04月23日 くろちび上野介
朝比奈城



朝比奈城は藤枝市(道の駅・玉露の里)にもありますが、こちらは御前崎の方の城です。

朝比奈城に最も縁の深い人物として浜岡町史は「天正2年1574年高天神城落城後、曽根孫太夫が大須賀家(横須賀城)組付けとなって、朝比奈村を拝領、屋敷を構えた」、と曽根孫太夫について伝えています。

曽根孫太夫は、今川氏時代の高天神城で城主小笠原長忠(信興)を支えた高天神衆の一人です。
小和田哲男教授によると今川氏家臣団には、寄親・寄子制があり、宿老の下に支城(岡崎、田原、吉田、野田、宇津山、井伊谷、引間、犬居、高天神、庵原、横山、葛山)を任される寄親がいて、その下に寄子がいました。小笠原長忠が寄親、曽根孫太夫が寄子ということになります。寄親に従う寄子は土豪・在地領主が多く、平時は領地で農作業を営む兵農未分離の身分で、合戦となれば10~20人の被官(軍役衆)を動員して軍務に加わったそうです。

小笠原長忠が今川氏から徳川氏に転じたとき(1568年)曽根孫太夫も長忠に従って徳川氏につきました。
1570年の武田信玄の高天神城攻めでは曽根孫太夫は武者奉行として本丸で籠城しました。
1574年、武田勝頼による高天神城攻めで35日で城は落ちます。戦い開始10日目に城は本丸、二の丸を残すだけとなり、後詰も得られない状況でした。城主長忠は勝頼から開城勧告が出されます。勝頼は、城にいる兵に対して命の保証をした上で、城に残って武田方につくか、城をでて徳川方につくかの選択をさせましたが、孫太夫は城を出て徳川氏につきました。
「遠州高天神城に関する史的推考」には、徳川方の戦死者の多くが今川氏時代の旧臣で、城内では今川旧臣と三河の家康家臣との間に温度差=帰属意識の乖離が生じていたことを勝頼は伊賀忍者からの諜報で把握していたのではないか、という説を載せています。

朝比奈城築城の時期は不明ですが、高天神城落城後、家康が城奪回の為に横須賀城を大須賀忠政に築かせた1578年頃ではないかと思います。孫太夫は横須賀城主となった忠政に仕えています。南紀徳川史にある「大須賀康孝九十人、其最顕者七人衆」の中の七人衆として曽根孫太夫の名前があります。その頃孫太夫は朝比奈村に屋敷を構えたので、城も築いたのではないでしょうか。

朝比奈城の役割ですが、家康が高天神城奪回の為に高天神城を取り囲むように、横須賀城や6つの砦(小笠原砦、能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦、中村砦、三井山砦)を築き、高天神城への兵糧、弾薬の補給、兵の出入りを封じる策を講じているので、孫太夫は、その地の地理を知る人間として、朝比奈城を拠点に、武田勝頼が築いた城(牧之原城、八幡平城、釜原城、天ヶ谷城、比木山城等)の監視をしたのではないでしょうか。勝頼が牧之原城(相良城)を築いたとき、地侍が武田方に付かないように高天神衆が色々な策を講じたともいわれています。

高天神城の戦いの後の孫太夫ですが、1614年大阪の役で息子長二と共に家康から召集されています。その後の消息は不明です。朝比奈城についても不明です。

なお、息子長二は大阪の役を遡る1590年小田原征伐の功で上総横田郷、山中郷、根岸郷に300石の地を与えられます。1619年には、家康の命で高天神功績者が紀州転封となった頼信と共に紀州に移り住みますが、長二もその一人で、紀州藩士になっています。

朝比奈城へは先人の方の口コミを参考に、御前崎朝比奈下朝比奈の番地を検索して行きました。下朝比奈集落にある城への道路、車で登ると何もなければ5分程で鉄塔のある広い道に抜けます。その手前に見えてくる小さな赤い祠の前と後ろに遺構がありますが、状態はあまりよくありません。また、車で行く場合要注意なのは、途中狭い所があり、片方崖、駐車場がないこと(登りきる手前カーブミラーのある曲輪に似た場所で停めました)落石、土砂崩れの怖れがあることです。訪ねたときは、10~20センチ位の石と落ちた枝が道を塞いでいて片付けないと先にすすめませんでした。(これからはマイシャベルを携帯しないといけない?)Google検索すると比木原第二公民館がでてくるので、そこに駐車して徒歩での登城が無難なように思いました。

(日本史小百科武将近藤出版、高天神城の総合研究大東教育委員会、遠州高天神城に関する史的考察大東町実年学級教養講座、南紀徳川名著出版、浜岡人物朝比奈・新野編浜岡人物誌朝比奈・新野編編集委員会)

2026年03月18日 【瓶割り】修理亮あぜり
朝比奈城



平地⇔台地(山の上)を結ぶ道があり、私は平地から車で登る。Googleマップの検索ではその中腹でストップ・・・。勿論登山口も何もない。この先もなかなかの悪路なのだが諦めずに進むとGoogleマップに写真投稿のあった祠が!!そこで位置登録したらリア攻めゲット。それにしてもなかなか不親切な場所だなぁと嘆こうとしたら、よく見れば道の両側ともかなり立派な堀切が施されているではないか!!特に崖下は間違いなく滑落レベルの鬼斜面なので眺めるに留まるが、良いものが見れた。

2025年02月25日 気分爽快権大納言
朝比奈城



旧妙音庵薬師堂からの登城路は全くわからず、リア攻めマップ北側の登城口より攻城。民家脇の坂を登りお墓を通り過ぎたら、後は城マークを頼りに進みました。

後で調べると、本曲輪を中心に4つの曲輪があり、堀切が4つあるようですが、縄張り図がないと素人には良くわかりませんでした。

①城跡に通じる道
②左側は土塁っぽいが遺構ではなさそう
③この先が本曲輪だろうか
④ここが本曲輪と思いたい
⑤堀切だろう
⑥⑦堀切だろう
⑧堀切だろう

2023年09月20日 式部大輔利信
朝比奈城

菊川駅よりバスに乗車し、平田本町バス停から徒歩30分の菊川市営保養センター小菊荘にて、自転車をレンタル、約55分。旧妙音庵薬師堂から直登するルートと、山を挟んだ道路から登るルートがあります。どちらも尾根伝いに二郭で合流、主郭あたりから堀切が見えるようになります。

2023年04月30日 ᴿᴱᴰ副将軍
釜原城[朝比奈城  周辺城郭]



主郭背後の出郭に続く細尾根が面白いナゾの城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

釜原城(かまっぱらじょう)と読みます。

築城年代や築城主等の詳細は不詳。「城主は聖道寺の前身であった真言宗の寺の大旦那で、南北朝時代の戦いにて落城した」と麓にあった聖道寺に伝わります。
武田信玄と徳川家康が争った高天神城の戦いにも利用された様で、現在の遺構は当時に改修されたものとも考えられています。

見所
東西に伸びた丘陵上に築かれており、東西に主郭と二郭が並びます。
主郭と二郭は大堀切で区切られていますが、埋め立てられ土橋状になっています。主郭背後の大堀切も同様です。
二郭はNTTの電波塔が建ち、主郭内部もかつては茶畑となっていたため改変されています。
但し、主郭北側の三本の尾根筋にはそれぞれに堀切が認められ見学ができる様にロープも付いています。
また、主郭背後の西側の長い細尾根を進めば出郭に辿り着き、途中に塹壕の様な土塁も認められ一番の見所と思います。

行き方は、城域東側麓に駐車場と案内板があり、舗装された道も付いてあります。比高も50mほどなので楽に辿り着けます。

2022年05月04日 泉地左近衛中将ばっかんまん
朝比奈城



前回は登城口が分からず断念したけど、今回は城友さんに教えて頂いた登城口を発見😃近所の方が居たので訪ねてみると、「そうだけど、なんにもないよ」と。山城って、そんなもんかな。でも、堀切もあるし小さな土塁もありました❗もう少しアピールしても良いじゃないかな🤫

2022年03月21日 なぞの旅人フー甲斐守
朝比奈城

車を停めて周囲を回りましたが、登城口を見つけられず。今回登城を断念しました。リア攻めマップの登城口を探しましたが…後で良く写真や口コミ見ると、あそこか!と。いや〜、参った(笑)次回リベンジします♪

2022年03月05日 いし♪
大手登城口[朝比奈城  その他]

舗装されている道ではなく案内板の右側の山に入る道が登城口です

2022年02月08日 らっちゃん
朝比奈城

先人の口コミにある「ナビの住所は静岡県御前崎市下朝比奈1721が登城口辺り」がとてもありかたく…そこには階段があり、お墓を通り過ぎると急坂に。10分〜15分程でアプリマップの城に到着。帰路を間違えないように登ってみて下さい。

2021年11月29日 ᴿᴱᴰ副将軍
八幡平の城[朝比奈城  周辺城郭]



堀切がザクザク、横堀がグルグルの武田テイストの堀キュン城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城時期等、詳細不明の城跡です。当地の有力土豪である新野氏の居城跡と考えられており、その歴史は古く、吾妻鏡に新野太郎の名が登場し、1190年頃には存在していた様です。

その後、今川系新野氏によって規模を拡大していったと思われますが、1564年に当主である新野左馬助親矩が曳馬城の戦いで討死し滅亡。高天神城を武田氏が支配した際に陣城のひとつとして機能したと考えられています。現在の厳重な縄張りは完全に武田テイストです。

見所
南西の主郭と北東の二郭を中心とした縄張り。
主郭は四方に延びる尾根を堀切で遮断、東側下に二重の横堀を敷設。
主郭と二郭も堀切で隔てられ、二郭は北に二重堀切、西に堀切、東側下に横堀を敷設。
横堀、堀切が幾つも配されるのは武田の魔城そのものです。

想慈院の駐車場に案内板があり、大手登山道を進めば1周できる様になってますが、あまりヒトが入った形跡は無く、昼間でも鬱蒼としています。9月下旬に訪城しましたが、ヤブ蚊とクモの巣が尋常では無かったのでご注意下さい。
遺構は素晴らしいが、そういう意味で★4としております。

2021年09月09日 左近衛中将かめかめ
八幡平の城[朝比奈城  周辺城郭]



車は、想慈院の駐車場に停められます。駐車場には案内板があり、縄張り図も確認できます。これを見ると大手か搦め手かどちらから攻めるか迷ってしまいますが、私は大手から登りました。
遺構はかなり良好に残っているので、土の城が好きな方は特にオススメです。

写真1:本郭(八幡平)北の堀切8(写真2の縄張り図による)
写真2:本郭の北にある副郭(仮)への侵入を防ぐ堀切2。
写真3:副郭西の大堀切。縄張り図では、堀切3。
写真4:違う角度から見た堀切2。
写真5:本郭に設置されている縄張り図
写真6:副郭東の堀切。横堀Cと接続してます。
写真7:本郭東の横堀Aからの堀切。
写真8:本郭南の二重堀切。

井伊家臣新野さんの居城で、後に武田が改修し、現在見られる遺構になったとのことです。

2021年09月08日 左近衛中将かめかめ
舟ヶ谷城[朝比奈城  周辺城郭]



【駐車場】
登城口手前まで行くことはできますが、ムリ攻めすると痛い目に遭う可能性あります。私は小心者ゆえ、少し離れた空きスペースに停めました。

遺構は、特に堀切が素晴らしいと思います。近くへ訪れる機会がある方は是非。

写真1:主郭西の4号堀切。深さ鋭さに驚愕。階段があって良かった。
写真2:主郭北の6号堀切。
写真3:主郭北の5号堀切。
写真4:北曲輪。現在の遺構では、唯一兵を駐屯できる曲輪
写真5:ちょっと浅めの7号堀切。
写真6:1号堀切。登城から5分でお目にかかれます。
写真7:3号堀切。
写真8:2号堀切。

2021年07月23日 左近衛中将かめかめ
天ヶ谷の城平[朝比奈城  周辺城郭]



【駐車場】
神明神社横に停められます。少し歩きますが周辺の雰囲気を楽しみつつ城郭を目指しましょう。

ここから攻める場合、切通しを進んだ後、主郭北の曲輪から入ることになります。堀切、虎口、横堀など良好な状態の遺構を見ることができます。

写真1:切通し
写真2:主郭北の堀切
写真3:主郭にある縄張り図!
写真4:二の郭南の虎口
写真5:二の郭南の虎口を出て西の尾根にある連続堀切と土橋
写真6:・・・思い出せない。二の郭南の虎口を出て東の尾根の堀切だったような。
写真7:二の郭東の堀切
写真8:主郭西の横堀

2021年07月22日 左近衛中将かめかめ
釜原城[朝比奈城  周辺城郭]



【駐車場】
県道85号から少し入った所に専用駐車場あります。

駐車場から道なりに500m程で二の曲輪へ到着します。二の曲輪付近は多少改変されていますが、遺構は良く残っています。

写真1:二の曲輪付近にある虎口のような遺構
写真2:本曲輪西の堀切
写真3:本曲輪北尾根・・・狭い
写真4:本曲輪付近にある縄張り図
写真5:本曲輪北東にある堀切
写真6:本曲輪から出曲輪間にある土塁
写真7:本曲輪、二の曲輪間の堀切
写真8:本曲輪北の堀切

2021年02月21日 オコジョ中務少輔
舟ヶ谷城[朝比奈城  周辺城郭]



駐車場があるようなサイトもありますが、実際に行くと車両進人禁止(この記述になっています。)になっていて車を止める所はありません。車は近くの天ヶ谷城の駐車場に止めて行くと良いです。
見所は堀切です。堀切が明瞭に残っています。本丸は砕石で消失しています。本丸のあった所に行くと細尾根になっていて危険です。

2021年02月21日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
天ヶ谷の城平[朝比奈城  周辺城郭]

遺構に行き着くまでは急な坂道を行くことになりますが、苦労するだけのことはあります。規模は小さいながら、しっかりとした意遺構が残る主郭と二の郭、そして堀切。ほぼ登山ですのでスニーカーではなくトレッキングシューズ推奨です。

2021年02月21日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
舟ヶ谷城[朝比奈城  周辺城郭]



本郭が砕土により消滅してますが、とにかく堀切がすごいです。堀切が唯一にして最大の見所といっても過言ではないかと思います。

2020年09月04日 龍馬備中守【】
八幡平の城[朝比奈城  周辺城郭]



静岡県の御前崎市にある八幡平の城♪

八幡平の城の詳細は不明です☆この地の土豪である新野氏の居城だったと推定されてます♪

大きな歴史詳細は不明ながら武田勝頼が高天神城への軍道の抑えの城として改修します♪もう武田好きなら一眼で武田の城だ♪って判ります♪かなりテクニカルな縄張りに驚きました♪本郭周辺はコンパクトながら力強い♪連続する堀切に馬出しなど武田氏独特の甲州流築城術を確認する事が出来ます♪良い城〜♪

高天神城が落城すると共に廃城になったと考えられてます☆

2020年07月22日 大隅守
八幡平の城[朝比奈城  周辺城郭]

想慈院の駐車場に停めます
遺構は良子に残ってます。

朝比奈城の周辺スポット情報

 八幡平の城説明板(碑・説明板)

 天ケ谷の城平説明板(碑・説明板)

 八幡平の城(周辺城郭)

 釜原城(周辺城郭)

 舟ヶ谷城(周辺城郭)

 天ヶ谷の城平(周辺城郭)

 比木城(周辺城郭)

 殿ノ山城(周辺城郭)

 城ヶ峰城(周辺城郭)

 横舟城(藤ヶ谷城)(周辺城郭)

 旧妙音庵薬師堂(寺社・史跡)

 想慈院(寺社・史跡)

 東京第一陸軍造兵廠 遠江射場観的所跡(寺社・史跡)

 斜め海岸林の初堤(寺社・史跡)

 徳川・武田方小競り合いの跡(首切り坂)(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 公民館駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 登城口(その他)

 大手登城口(その他)

 想慈院登城口(その他)

 登城口(その他)

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