掛川城(かけがわじょう)

掛川城の基本情報

通称・別名

懸川城、懸河城、雲霧城、松尾城

所在地

静岡県掛川市掛川

旧国名

遠江国

分類・構造

平山城

天守構造

型式不明[3重/1590年頃築/倒壊(地震)]、不明[3重/1621年再/倒壊(地震)]、複合式望楼型[3重4階/1996年再/木造復元]

築城主

朝比奈泰煕

築城年

文明年間(1469〜1487)

主な改修者

山内一豊

主な城主

朝比奈氏、山内氏、太田氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、二の丸御殿、太鼓櫓、石垣、土塁、横堀、井戸、移築門(油山寺)

指定文化財

国重要文化財(二の丸御殿)、国重要文化財(油山寺山門(移築大手二之門))

再建造物

復元天守、復元門、石碑、説明板

周辺の城

久野城(静岡県袋井市)[7.8km]
高天神城(静岡県掛川市)[8.8km]
飯田城(静岡県周智郡)[9.1km]
天方城(静岡県周智郡)[9.9km]
馬伏塚城(静岡県袋井市)[10.3km]
黒田代官屋敷(静岡県菊川市)[10.6km]
横須賀城(静岡県掛川市)[10.7km]
諏訪原城(静岡県島田市)[10.8km]
菊川城館(静岡県菊川市)[10.9km]
勝間田城(静岡県牧之原市)[13.1km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

42 掛川城

設置場所

掛川城御殿[地図

掛川城の解説文



掛川城(かけがわじょう)は、遠江国佐野郡掛川(静岡県掛川市掛川)にあった日本の城。

概要 

戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった。朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものである。

本丸を中心に、西に搦手、南東に大手を開き、北に天守曲輪である天守丸、その北に竹之丸、南に松尾曲輪、西に中の丸、東に二ノ丸と三ノ丸、その南を惣構えで囲んだ梯郭式の平山城であった。明治以降は、廃城令によって廃城処分とされ建物の一部を残して撤去され、道路や庁舎の建設によって大半の遺構が撤去されている。現在は、1854年に倒壊した天守や大手門などの一部の建物、塀が復元され、堀や土塁、石塁の復元が行われている。城跡の整備が城下に至り、電柱の埋設など都市景観の配慮に及んだ。予算の関係でこれ以上の木造復元計画はない。

歴史・沿革 

戦国時代

室町時代中期の文明(1469年 - 1487年)年間に大名・今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられている。当初は龍頭山より北東にある子角山に築かれており、龍頭山の城は1513年に新たに築城されたものである。

そのまま朝比奈氏が城代を務め、泰煕の子孫である朝比奈泰能・朝比奈泰朝が代々城を預かった。ところが、1568年(永禄11年)、朝比奈氏の主君の今川氏真が甲斐国の武田信玄・三河国の徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭い、本拠地たる駿府館を捨てて泰朝のいる掛川城に逃げ延びた。このため掛川城は徳川勢の包囲に遭ったが、泰朝はよく城を守ったためなかなか落城しなかった。この際、徳川勢はかつて掛川城があった子角山を拠点としたという説がある。しかし、兵数の差もあって和議で氏真の身の無事を家康に認めさせると、泰朝は開城を決断した。

氏真と泰朝は1569年2月8日(永禄12年1月23日)に掛川城を開き、相模国の小田原城へ退去し、掛川城には城代として家康の重臣・石川家成・康通親子が入った。間もなく駿河国に入った武田信玄が徳川家康と敵対し、掛川城に程近い牧之原台地に諏訪原城を築き、さらに掛川城の南方にある高天神城では武田・徳川両氏の激しい攻防戦の舞台となった。しかし掛川城は1582年(天正10年)の武田氏の滅亡まで徳川氏の領有であり続けた。

天正年間から慶長初年

その後も掛川城は石川氏が城代を務めたが、1590年(天正18年)に家康が東海から関東に移封されると、掛川城には豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が5万1千石(のち5万9千石)で入った。一豊は掛川城の大幅な拡張を実施し、石垣・瓦葺の建築物・天守など近世城郭としての体裁を整えた城郭とした。

江戸時代

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転した。その後、掛川城には多くの譜代大名が入ったが、最終的には太田氏(太田道灌一族の系統)が入り、何度か城の修築も行われている。ところが、幕末の1854年(安政元年)末に、東海地方一帯を大地震が襲い(安政東海地震)、掛川城も天守を含む大半の建物が倒壊した。この際、政務所である二ノ丸御殿は1861年(文久元年)までに再建されたが、天守は再建されることはなかった。

近代・現代

  • 1994年(平成6年)4月 天守が再建された。再建された天守は木造であり、日本初の木造復元天守である。建坪は92.3坪、10億5千万円を要した。天守閣の屋根を守る鯱は青銅製で、高さ4尺(1.2メートル)で一基約200キログラム(一対で400キログラム)である。復元では、和釘を使用している。大きさは2寸5分から7寸の釘を7,570本使用している。
  • 木造建築による地上2階と塔屋2階建で建築面積は209.00平方メートル、延べ床面積304.96平方メートル、最高高さ16.18メートル、軒高7.88メートル、地下深さ4.70メートルである。工期は1990年7月23日から1993年8月31日までで、事業担当は掛川市教育委員会社会教育課、設計管理は竹林舎建築研究所、施工は鹿島建設建設横浜支店が担当した。
  • 1995年(平成7年)大手門が木造復元される。ただし道路の関係で当時の位置から約50m北に建てられた。
  • 2006年(平成18年)には、日本城郭協会により日本100名城に選定されている[1]

遺構 

建築遺構としては、1861年(文久元年)に再建された二ノ丸御殿(二の丸御殿台所、釜戸、土塀、蔵、厠3部屋、割場、井戸の部分は明治時代に解体された)が現存し、1980年(昭和55年)に国の重要文化財に指定されている。現在、御殿内は入場可能となっており、採光や部屋割などをそのままにすることで、当時の風情を残す。そのほか構の遺構としては石垣や土塁、堀の一部が現存。

入場料: 天守閣・御殿 大人(高校生以上) 410円 / 小中学生 150円

このほかに、移築して現存する建築物としては、三ノ丸から本丸に移築された太鼓櫓が現存する。玄関下御門が明治維新後に、袋井市の油山寺にそのまま移築され、これも国の重要文化財に指定されている。大手門番所も幕末の建築であり、市の指定文化財に指定されている。また、掛川市円満寺の山門として蕗(富貴)の門が、どこの門か定かではないが菊川市西方(にしかた)の龍雲寺裏門に移築されている。

竹の丸は江戸時代には武家屋敷のあったところだが、明治以後は豪商の松本家が購入し、屋敷の建て替えを行った。この建築が、その後に掛川市の所有となって現存し、明治時代の上流階級の邸宅と小規模な庭園がある。2009年、建物の修復工事が行われ改修後は有形文化財として一般に公開されている。

天守 

1604年(慶長9年)の大地震で倒壊し1621年(元和7年) に再建されたが、1854年(安政元年)旧暦11月4日の嘉永東海地震により再び倒壊。その後、天守は再建されず、天守台などの遺構が残るのみであった。1994年(平成6年) 市民や地元企業などから10億円の募金を集めて、戦後初となる木造による天守を復元し、掛川のシンボルとなっている。

1621年に再建された姿は、『遠江国掛川城御天守台石垣土手崩所絵図』に描かれている。それによれば、2重目以上が板壁で2重目には唐破風出窓に華頭窓をもつ層塔型の天守が描かれている。3重目の壁は黒く縦横に線が描かれているため、戸板で囲まれた内縁高欄で、当初は外縁高欄であった[2]

木造復元

3層4階の入母屋造である点と、2重目の唐破風出窓や慶長時代の様式といわれる花頭窓などは、絵図などの調査に基づいて忠実に復元されている。また、この天守を木造復元するに際しては、山内一豊が掛川城の天守と内部構造が同じで、同様の姿に建てさせた高知城の天守を参考にしてそれと同じ内部構造とし、壁は白漆喰で塗り固められている。木造復元する上で参考とした、現存の高知城天守は江戸時代末期の再建であり創建当初のものではないと指摘されるが、創建当初の天守を忠実に木造復元したので[3]、一豊創建時の姿である。

一方で、掛川城の天守が地震で倒壊する数年前の1851年(嘉永4年)に作成された、天守台周囲の崩落した石垣と芝土手の被害状況を示した絵図面が残っており、同時に天守の形も示されているので、嘉永地震以前の天守を知る重要な手がかりとなっている(掛川市二の丸美術館蔵)。 現在の天守閣は、織豊期以降の近世の天守丸として復元整備された。木造復元の際の発掘調査では、中世段階の喰違い虎口、曲輪を取り囲む大型土坑群などが発見される。天守台石垣は近世(17世紀中葉から18世紀)の積み直しを行った。南面と西面に山内期の自然石、粗割石を用いた。石垣は、木造復元天守に伴い解体された。 天守台は、基盤となる地層の地山の一部に盛り土をした上に石垣を築いた。木製地の上に築いたため安政の大地震で東・北面が崩れ落ちてしまった。

修復

木造復元から27年が経過し、しっくい壁の剝離や黒ずみ、高欄の腐食や退色などがみられるため、2022年6月から大規模修復工事が行われる。修復工事にかかる期間の延長に伴い、当初2023年1月31日までの予定だった施設閉館期間が3月31日までに変更された[4]

本丸 

本丸普請以前の地形は南に傾斜した谷地だった。その谷地の狭隘な平坦地には集石墓からなる中世墓群が造営されていたことが発掘調査により判明した。その谷を本丸普請の際に埋め立て本丸空間を確保した。

二ノ丸 

もとは三の丸東南隅にあったが、安政の大地震の後、三層櫓が倒壊した後に建てられた。明治廃城の時に移築されるが、その後再び城内に移される。もともとあった荒和布櫓(あらめやぐら)にかわって、三の丸にあった太鼓櫓が移築された。

現在は、江戸時代の建造物がそのまま城址に残っている。その後、明治元年に民間に払い下げられ、明治10年掛川市掛川町に寄付、明治31年に掛川市役所建設のため掛川城公園本丸に移築。

2012年から2023年にかけて、将棋の王将戦七番勝負の第1局が二ノ丸茶室で行われるのが恒例となっていた[5]

史料 

絵図面

「遠州懸川城」1枚、1644年(正保元年) 内閣文庫蔵。

幕府が諸藩に城郭の絵図面を提出させたいわゆる『正保城絵図』によるもの。
「遠江国掛川城地震之節損所之覚図」1枚、1855年(安政2年) 掛川市二の丸美術館蔵。
嘉永安政地震により城内の破壊した箇所を示した図面。幕府に提出した絵図の控え。幕末の掛川城の様相を知ることができる。
「遠江国掛川城御天守台石垣土手崩所絵図」1枚、1855年(安政2年) 掛川市二の丸美術館蔵。
嘉永安政地震で崩落した天守台石垣と芝土手の被害状況を北東の方角から俯瞰して描いた絵図。倒壊前の掛川城天守の姿が描かれた史料である。

作品 

小説

  • 司馬遼太郎『功名が辻』

マンガ

  • 所十三『名門!多古西応援団』(連載中に天守は復元されていない)
  • 大島司『シュート!』(無印編の連載中に、天守の復元が完工した)

アニメ

  • 勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました - 第2話やOPにて天守閣が登場。

現地情報 

所在地
静岡県掛川市掛川1138-24
交通
東海旅客鉄道(JR東海)東海道新幹線・東海道本線・天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線 掛川駅北口から北へ徒歩7分。
料金
  • 一般:400円
  • 小・中学生:150円
上記料金で再建天守、現存御殿の2か所へ入館できる。
開館時間
  • 2月1日から10月31日まで 午前9時から午後5時まで(入館は4時30分まで)
  • 11月1日から1月31日まで 午前9時から午後4時30分まで(入館は4時まで)
休館日
年末年始(12月30日から翌年1月1日まで)

行事 

掛川城では1855年(安政2年)8月に当時藩主だった太田氏により「報刻の大太鼓」が製作され、明治中頃までこの太鼓が時間を告げるのに使用されていた[6]。これを記念して1957年(昭和32年)から毎年時の記念日(6月10日)の正午に「時の記念日太鼓打ち鳴らし式」が開催されている。

景観整備 

掛川駅から掛川城までの約500メートルと周辺商店街では、以下などの施策により、城下町風の景観が整備されている。

  • 建築物に瓦屋根と海鼠壁を初めとする、城下町風外観を持たせる。
  • 歩道敷タイルを石板調にする。
  • 電線の地中埋設による無電柱化。
  • 信号機などへのデザインポールの採用。

参考文献 

  • 【書籍】「掛川城復元調査報告書」
  • 【書籍】「掛川城御殿修理工事報告書」
  • 【書籍】「掛川城の挑戦」
  • 【書籍】「掛川の古城址 : ふるさと探訪」
  • 【書籍】「静岡県 古城めぐり」
  • 【書籍】「静岡の山城ベスト50を歩く」
  • 【書籍】「日本名城の旅 下巻」

掛川城の口コミ情報

2024年03月18日 さかな
掛川城



本格木造復元天守の先駆け
季節限定の桜御城印が素敵です。
掛川城みくじではその日の運勢を武将の身分で例えて教えてくれます。ちなみに私は足軽の上の徒士級でした(笑)

2024年01月24日 コナン遠江守
移築大手門[掛川城  遺構・復元物]

掛川城大手二の門です。明治5年(1873)に掛川城が廃城になり、翌6年に太田備中守の寄進により油山寺に移築されました。
万治2年(1659)井伊兵部直好公が掛川城の玄関前に建立し、享保16年(1731)小笠原壱岐守の時の修理を経たものです。昭和46年に大修理を行い、建築当初の姿に復元されました。
片潜(かたもぐり)付の櫓門で前後に軒屋根のあるのは全国にも珍しいということです。

2023年10月22日 戦国山城守官兵衛
掛川城

お城も良いが、御殿もかなりいい。駿府城、掛川城、浜松城と、3つ連続で訪れたが、掛川城が1番良かった、

2023年09月19日 まりん兵部少輔
掛川城



掛川駅から7分位で着きます。復元した天守閣ですが、木造で風格があります。スタンプと御城印は隣の御殿にありますが中を見学しないと押せません。御殿は江戸時代の物で見応えがあり、ゆっくりと見学をお勧めします。
お城側の駅舎が落ち着いた素敵な駅舎です。

2023年09月11日 民部大輔ストリーム
日本100名城スタンプ[掛川城  スタンプ]

スタンプは入場券を購入し入場し見学通路に設置されています。

2023年08月30日 Tenshi49
掛川城



JR掛川駅から徒歩で行ける〝掛川城址で木造の復元天守〟がある。さらに、大手門もこたわりの復元されている。また、国の重要文化財の二の丸御殿もあり圧巻のお城です。

2023年08月29日 ゆ陸前守
掛川城



模擬天守と二の丸御殿の間が工事中。
最近、発掘やら、修繕やら、よく工事に出くわす。自治体が城址公園として城跡に金をかけてるのはありがたい。

2023年05月06日 衛英主税頭
掛川城



御殿の庭越しに見える本丸が良かった。それと石垣が気に入った。

2023年04月01日 お気楽飛騨守喜兵衛
掛川城



天守が工事してたことを知らなくて、再開初日に訪れるという幸運に恵まれました。桜が見頃なのもあり大勢の観光客で賑わっています。

2023年04月01日 白狼淡路守
掛川城



残念ながら、3/30に行ったので天守が工事中で登ることが出来ませんでした。(4/1〜開場)
しかし、御殿だけでも見応えがあり、また行きたい!と思えるお城でした。

2023年02月19日 トーマス
掛川城

天守閣が改装工事で拝観出来ませんでした。

2023年02月13日 兵庫のピーちゃん
掛川城



2月12日掛川城は修復工事で、天守閣は足場で目隠しあちらこちら立ち入り禁止⛔残念

2023年02月12日 よーよーよー刑部大輔ちゃん
掛川城

天守閣の修復工事が3/31まで工期延長となり入れず…。御殿は入れます。

2022年06月20日 jun1安房守
掛川城



2023/1/31まで天守回収工事中のため、天守内入場できません。

2022年05月19日 コナン遠江守
龍尾神社[掛川城  寺社・史跡]

掛川城の北東に鎮座し、鬼門を守る守護神として山内一豊公を初め歴代の城主から崇敬された神社です。

2022年05月19日 コナン遠江守
腰櫓台跡[掛川城  遺構・復元物]



天守丸に登る階段の中間にあります。敵の侵入に備え、広い範囲が見渡せる櫓があったそうです。調査では腰櫓に登る石段が見つかっています。

2022年05月19日 コナン遠江守
三の丸広場[掛川城  関連施設]

「太鼓櫓」「四足門」「天守」の撮影スポットです。

2022年03月29日 在来線男右京進
掛川城

竹の丸を見学してきました。明治の立派な建築だと思います。二の丸御殿はなかなか広くて見ごたえがありました。御城印は4種類くらいあり高いのは800円でした。

2022年03月21日 ニワニワ
掛川城



新幹線掛川駅からの徒歩で、春風に乗せられ掛川城をめざましての距離感が気持ち良いです。天守は、外観四方どこからも眺められます。平成の木造建築で私的には、小さいながらも好きなお城です。

2022年01月25日 河内守よっちゃん
掛川城

周辺には二宮尊徳ゆかりの施設もあり、見どころがたくさんありました!

2021年12月31日 千閑斎
美人谷城[掛川城  周辺城郭]



前回、藪が濃くて断念しました。藪が薄くなった今しか無いと思い再挑戦しました。

美人ヶ谷城は藤原南家二階堂氏の流れを引く石谷氏が居城したと言われてますが根拠がないと言う人も居ます。この辺りには石畑とか孕石とか石がついた地名や人名が多いです。

入口の道はコンクリート舗装がすぐ途切れ道が全く見えません。心眼で見ると藪の斜面に道が浮かび上がってきました。植林された斜面を登ると突き当たりに出ます。左に進み藪の中の道を行くと幅4m深さ1m程の堀切があります、更にその先には幅8m程の堀切がありますが対岸は5m程の高さの切岸です、ここにはロープが掛けてあり登り易くなってます。
この先には3つの郭があり最高所に本丸の看板があります、更にその下に割と大きな平場が有りました。

資料が無いので歴史は分かりませんが1kmほど北に有る滝谷城と共に掛川城の北の防御を担っていたのかもしれませんね。

2021年11月24日 マグロ常陸介祐平
掛川城



当時の建物として二の丸御殿、太鼓櫓、番所が残り、天守閣、城門などが見事に復元されています。城めぐりをしていると森の中の土の城がほとんどですが、綺麗に整備されたお城を見るともともと持っていたお城のイメージが蘇ってきます!

2021年11月01日 千閑斎
松葉城[掛川城  周辺城郭]



松葉城は倉真川が大きく蛇行した尾根上の山にあります。また島田市の横岡から掛川に抜ける山間の街道上にありました。

松葉城が落城したのは明応五年(1496)その経緯は長松院(松原城跡)活山和尚の「当山開基河合宗忠公事績累記」によると勝間田播磨守、鶴見因幡守に攻められ松原城に落ちて自刃、勝間田、鶴見はその後、今川氏親に滅ぼされました。

痩せ尾根上に小さな曲輪が並び堀切で動線を断ち切る…そんな印象を受けました。

①県道81号傍の登城口、道路反対側に車を駐車出来ます。
②道は狭いので足元に気をつけて。
③主郭に城跡碑があります。
④巾15m深さ14mの堀切…入りきりません。
⑤反対側です。
⑥この城の城主様…失礼を詫び撤退しました
⑦小規模な堀切この下に↓
⑧ニ重堀切かと思い斜面を降りてみましたが
…🤣

2021年10月24日 千閑斎
倉真城[掛川城  周辺城郭]



倉真城は遠州三十六人衆の一人、松浦兵庫助の菩提寺である華厳山世楽院に在ります。松浦兵庫助は明応六年(1497年)に戦乱のため倉真城で自刃したと伝えられています。世楽院の境内はかろうじて残った土塁に囲まれており、前にある池は空堀だったかもしれません。

2021年07月06日 八咫烏掃部助
二の丸御殿[掛川城  遺構・復元物]



ただいま、切り絵の限定御城印を発売中です。

2021年03月30日 モーリシャス俊影
掛川城



全国に四つしか現存していない江戸時代からの御殿がなかなか素晴らしい!

2021年02月27日 【城郭道】たっきー
天守[掛川城  遺構・復元物]

幕末に描かれた絵図と天守台の遺構をもとに復興された。三重四階で、我が国初の木造復元天守である。 ディアゴスティーニ日本の城52巻より

2020年12月30日 VTR美濃守シゲ23日松江
掛川城



リア攻めマップに有る掛川西高校前市営駐車場に停め登城、アスファルト道を5分足らずで本丸下に、天守と御殿入館で410円、受付横にトイレ有ります

なかなかの急坂階段登り天守前に、再建天守内階段は結構急で当時を偲ばせてもらいました、この日は最上部から富士山の山頂部がよく見え殿様気分です

二の丸の現存御殿、きらびやかさは有りませんが藩邸の執務も行う威厳の有る感じ、日がささない方は足軽の用向き寒くて暗く天井も低くて、玄関に向かうと板の間から畳へと、武家の位の違いを感じてきました

本丸、二之丸のみですが駐車場に戻っておよそ1.5時間、30分100円ですので300円市内の大手門等見学だともう少しかかるかと思われます

2020年12月26日 saizo
掛川城

今はビジターセンターでは高天神城のスタンプしか押せません。オリジナルの掛川三城御城印は購入可能

2020年03月25日 遠江守 賄賂モナカ
日本100名城スタンプ[掛川城  スタンプ]

新型コロナで休館中は、掛川駅内ビジターセンター「旅のスイッチ」で押せます。続100の高天神城のスタンプも此方に有ります。

2020年02月14日 恭任非参議侍従
掛川古城[掛川城  周辺城郭]



長松山龍華院。天台宗。本尊は大猷院殿(徳川家光)霊牌。齢50を越えて、嗣子の無かった当時の掛川藩主、北条氏重により建立。

説明文に[家の存続を願って]と書かれているが、子宝に恵まれるように、など単純な事ではなく、養子縁組を幕閣に認めて貰いたいが為、三代将軍を祭って、媚びを売った、というのが本質のようである。

しかし、結局養子は認められず、掛川北条家は断絶してしまう。ちなみに北条氏重の娘(5人いた娘の嫁ぎ先からも養子が貰えない!)を母として、後の南町奉行大岡忠相が生まれるのだが、それは別の話。

2020年02月14日 恭任非参議侍従
掛川古城[掛川城  周辺城郭]

マップのポイントが右側にずれていますが、「大猷院霊屋」の場所が掛川古城の本郭になります。今川家重臣、朝比奈泰熈により、初めはこちらに築城されたが、のち現在の掛川城の場所でさらに大規模な築城がされた。

この時、古城に移転した、「牛頭天王社」(現在の龍尾神社)にちなみ、天王山、と呼ばれるようである。徳川家康の掛川城包囲の際、家康本陣とされた。龍尾神社もさらに北に移転し、明暦2年に、この地に「龍華院」が建立される。

2020年01月31日 SILVIA 遠江守
掛川城

昔会社の同僚で掛川城すぐそばにある古民家に泊めてもらう機会がありました。
その家は8畳ぐらいの部屋が3つぐらいつながり、まさに歴史の番組に出てきそうな立派なたたずまい。数人で泊めてもらいましたが、1人1部屋かりて寝ることができました。よくよく聞いたら、掛川城天守閣を再建する際に出た余り材で建てた家とか。泊めてもらったのは20年前の話。まだ残っているのだろうか。

2020年01月31日 恭任非参議侍従
掛川城

幕末、徳川宗家の駿河藩転封に伴い、駿遠諸藩も、押し出されて転封した。掛川藩最後の藩主、太田資美は上総に移封され、その本拠を「松尾城」と名付けた。
現在の「千葉県山武市松尾町」として、こちらには松尾の名を残している。松尾町内には、現在でも元掛川藩士の子孫の方々がお住まいであり、「松尾藩資料館」において、家宝を拝見することができる。
もう一件は、自治会及び祭礼の区分として、掛川市の大手門北側に「松尾町」の名を残している。こちらもかつての「松尾池」と離れた場所にあり、掛川城が「松尾城」と呼ばれていたことに因み、名付けられたようである。

2020年01月31日 恭任非参議侍従
掛川城



掛川城には別名「松尾城」とあるが、この名前は何に由来するのか。かつて本丸の南側には「松尾池」と呼ばれる(あるいは内堀、松尾堀)池があり、さらにはその南側に「松尾曲輪」と名付けられた、出郭があったことに由来すると考えられる。

この「松尾池」だが、南側の「松尾曲輪」のさらに南を流れていた「逆川」(という名前だけで暴れ川とわかる。)蛇行修正の河川改修によって、消滅したと思われる。現在掛川城周辺には、行政区分としては、松尾という地名は残っていないが、「松尾橋」にその名をとどめる。

2020年01月05日 摂津守いくpika
掛川城券売所[掛川城  関連施設]



掛川城券売所で掛川城天守がデザインされたマンホールカードと歴史まちづくりカードが貰えます。カラーマンホール蓋の実物は掛川駅南口を出て高架を沿って西へ歩くと直ぐに。

2019年11月27日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
掛川城

↓滝がある場所から本堂前の三重塔までの石段、濡れているとかなり滑りますので、特に降る時は、手すりに掴まりながら降りた方が良いです。因みに油山寺の御朱印6種類あります。

2019年11月25日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
掛川城

掛川城の城門が移設された油山寺に行く道ですが、手前1㎞ぐらいから狭くなっています。特に山門前から第二駐車場までの道が狭いうえにヘアピン気味のカーブなので、対向車に注意してください。後、第二駐車場の地面が半分砂利ですので、バイクを駐める時や取回しの時には注意が必要ですよ。

2019年10月02日 みかわのひで
掛川城

山内一豊ゆかりの静岡県掛川城の御朱印(御城印)です。天守横の御殿で販売中!

2019年08月12日 あおっち図書助
掛川城

昨年11月に攻城。幼児連れだったので石段心配でしたが幼児も大丈夫でした!
現存御殿はすごく歴史を感じて、御殿から見上げる天守がこれまた良くて!!雲ひとつない真っ青な空だったこともあり、本当に天守が綺麗に見えました。綺麗すぎてしばらく見入っていました^_^

2019年04月25日 ago玄蕃頭
日本100名城スタンプ[掛川城  スタンプ]

スタンプは御殿入り口を入って右にあります。

2019年04月23日 山中 バンビの助
掛川城公園駐車場[掛川城  駐車場]

掛川城まで1番近いです。5時間まで 30分毎 100円

2018年05月26日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
掛川城

20年ぶりの掛川城でしたが随分と城周りが整備されていました。素敵お城そして帰りなに食べた大手門の前のすいのやさんのおでん美味しかったですぞ(⌒_⌒)

2018年05月17日 織田上総介晃司
掛川城

大手門駐車場に停め、天守めがけて歩いて行くと掛川城大手門と大手門番所があります。戦後初の木造復元天守と現存二の丸御殿のセットで入場できます。

山内一豊は掛川城天守を模して高知城天守を築城。掛川城天守復元に際し、古絵図と高知城天守を参考に復元。いわば出戻り天守。

2017年08月28日 まるき〜出雲守
掛川城

今さっき、突然ふと思い出した…掛川城天守再建にかなりの金額が住民の寄付で賄われたという事なんですが1人で8割程寄付した方が居られたとか…掛川城の天守再建は確か10億円くらいだったと思います。

天守に使われた木材は檜ではなくヒバの木だそうで建設を急いだためなのか木材が乾ききらないうちに使用したためにヒビが入った柱が見受けられる。強度的には問題がないらしいが見た目がちょっと残念でした。

御殿ですが時折学校に使われていた時期もあるようで、瓦の模様に『学』と書かれたものがあります。よーく見ればわかりますが、わからなければガイドさんに教えてもらって下さ〜い(^◇^;)

2017年06月18日 伝正夫は好きだけど太政大臣
掛川城

大手門前に構える『すいのや』さんのおでんが、ほんわか美味い。
ごぼう巻き・厚揚げ・うずら卵串・こんにゃく等は一本90円で、いわし天に至ってはは2枚刺さって45円!
だし粉がかかって静岡風なのも良い。

お店は昔ながらの駄菓子屋風情で、お店の方も親切で温かく、なんとも居心地がいい。おでんと一緒にビールや缶チューハイも飲れるので、お城帰りに是非!

2017年01月09日 本多左近将監忠政公
掛川城

袋井市の油山寺には掛川城のニノ門と横須賀城の書院が現存されている場所なので興味がある方はぜひそちらも。

2016年09月23日 橘若狭守次郎吉
掛川城

掛川城は天守と御殿セットで大人410円、小・中学生150円。20人以上で団体料金になります。
年中無休で9時~17時まで(最終入場は16時30分まで)開館しています。

JR掛川駅から徒歩約7分。駅から城跡までほぼ一本道なので迷わないかと思います。

御殿の畳に座りながら眺める天守は最高です!オススメです!そんな雰囲気に浸ることのできるのは数少ない現存御殿のある掛川城だからです!

御殿で販売されている『掛川城の歴史と文化財』(100円)という冊子は安価な上に充実した内容でオススメです! 掛川城の歴史から天守復元までの道のり、復元図…、城郭ファンなら楽しめる冊子です。






2016年08月19日 ドラガン尾張守店長
掛川城

掛川城駅から歩いて10分。東海道沿いの逆川沿いの小高い丘に建つ。色んな方向から違った顔が見える。今川家の重臣朝比奈氏の居城にして、功名が辻の山内一豊の出世城。関東へ移封した徳川への備え。日本初の復元木造天守閣で、鉄筋のがっかり感はまるでなし。四足門や三日月堀、曲輪を含めて、小規模ながらも見事な良い城でした。

2016年05月05日 天下泰平刑部卿
掛川城

めぐるなら周遊券がお得。900円で天守閣、本丸御殿、竹の丸二の丸お茶室込み。お茶室では抹茶代込み。お庭もなかなか。天守閣はなんとなく高知城に似てますね。

2016年02月23日 maria右京大夫
掛川城

掛川城から少し北に行ったところにある龍尾神社。梅園が見頃です。

2016年02月23日 井伊直虎
掛川城

掛川城は、掛川駅から、近く、行きやすいです。しかも、駅の近くとあって、交通量もおおいので、防犯てきにもいいかなとおもいます。

2016年02月23日 井伊直虎
掛川城

僕も掛川城行ってきました。袋井市の油山寺に、掛川城の大手門に移築されているそうです。掛川城は、高知城の、もとに、なって、高知城は、掛川城の再建天守のもとに、なったということです。

2015年12月31日 かげちゃん参號
掛川城

浜松方面から行く場合、国道1号を東進し、掛川西高グランドそばの交差点を右折して少し行った所に市営駐車場があります。そこに車を停めて徒歩で南下して橋の手前に掛川城天守閣に行ける道があります。

2015年07月05日 maria右京大夫
掛川城

二の丸美術館にステンドグラス美術館がオープンしました。イギリスの18世紀のものが中心です。地元のドクターが建物込みで寄付されました。洋物ですが、こちらも必見です。

2015年07月04日 あも図書頭
掛川城

在来線の掛川駅のトイレが和式(個室もひとつ)外国の方も居たのに……駅前から城までが閑散…その閑散とした感じを裏切る立派な天守閣が。もっと客を呼ぶ努力してーーー!(トイレ含)

2015年02月07日 
掛川城

掛川城の北東にある龍華院子角山公園が、今川氏重臣朝比奈泰熙によって築かれた掛川古城跡です。現在の位置に掛川城が築城されたのは1513年頃と伝わります。

遺構としては本曲輪があった龍華院の東側から北側にかけて土塁が、本曲輪と公園となっている二の曲輪の間に大堀切が残っていました。掛川城公園より歩いてすぐなので興味がある方は是非。

2013年05月05日 はやえもん壱岐守行動休息中
掛川城

掛川駅を出て北へ約700メートル 道路に目印の看板があります。なお入館料は大人400円です。

2013年01月20日 ぽえぞお弾正少弼黄金旅程
掛川城

大手町Pが車で来る方はお勧め。駐車場から右に進み大手門を見たら逆川沿いに左へ、次の交差点を右に曲がるとお城の登城口に。天守や二ノ丸御殿は見応え十分!現在、美術館は安藤広重を中心とした浮世絵の展示です。二ノ丸茶室は別料金で500円(お茶とお菓子付)一通り見たら『鎧屋』さんでお土産物色(笑)

2012年02月12日 桑名中務大輔はまぐり〜
掛川城

二之丸御殿は必見です!近くの鎧屋は戦国グッズや甲冑を販売してます(^-^)/

2011年07月29日 徳川内大臣源朝臣康武
掛川城

お城下にある「鎧屋」という甲冑レプリカや戦国グッズを扱うお店で、1/100掛川城天守のペーパークラフトを開発中2000円程度で発売したいらしいけど、サンプルはちょーリアル軒下まで印刷入って完成度タカッ発売が楽しみ〜ちなみに、二の丸美術館で、9月まで掛川城展開催中ただし、期待は・・・

2011年04月10日 古楽侍従広家
掛川城

二之丸御殿で、奥との区切りを聞いた時に「ない」との答えでした。つまりまだ奥の分だけ建物が広がっていたのだと思うと立派ですよね。

2010年10月07日 tomm加賀守
掛川城

駐車場ですが、「観光案内処こだわりっぱ」前に3台と奥に数台無料で停めれるみたいです。(ただし17時閉店で鎖が)100名城スタンプは二之丸御殿にて。城のスタンプは二之丸御殿とこだわりっぱの観光案内所に違うのがあります。また掛川城のライトアップは凄く綺麗でしたね〜。

掛川城の周辺観光情報

掛川市ステンドグラス美術館

平成27年6月、掛川城公園二の丸美術館の隣に「掛川市ステンドグラス美術館」がオープンしました。19世紀のイギリスとフランスで制作された古典的な作品が所蔵されています。

掛川城御殿

城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されていました。現存する御殿は、江戸時代後期に再建された建物で、全国で数カ所にしか残っていない大変貴重なものとして、国の重要文化財に指定されています。

掛川城大手門・番所

大手門は天守閣に続いて平成7年に復元されたものです。掛川城の表玄関にふさわしい桜門造りの本格的な櫓門は、木造日本瓦葺き入母屋づくりです。白壁で板ひさしが配され、棟の上にはシャチ瓦が飾られた勇壮な構えです。

掛川花鳥園

「花と生物とのふれあい」をテーマにしたテーマパークです。国内最大規模の大温室を備えた園内では、めずらしい花々や多種のフクロウやペンギン、インコなどの鳥類に出会え、直接ふれあうことができます。

情報提供:掛川市

掛川城の周辺スポット情報

 大手門(遺構・復元物)

 三日月堀(遺構・復元物)

 二の丸御殿(遺構・復元物)

 天守(遺構・復元物)

 霧吹井戸(遺構・復元物)

 井戸(遺構・復元物)

 太鼓櫓(遺構・復元物)

 竹の丸(遺構・復元物)

 大手門番所(遺構・復元物)

 四足門(遺構・復元物)

 十露盤堀(遺構・復元物)

 移築大手門(遺構・復元物)

 蕗の門(遺構・復元物)

 掛川古城本曲輪、掛川攻め徳川家康本陣跡(遺構・復元物)

 腰櫓台跡(遺構・復元物)

 三の丸(遺構・復元物)

 黒土塁(遺構・復元物)

 二の丸御殿銀杏型石垣(遺構・復元物)

 大手門跡(碑・説明板)

 模型(碑・説明板)

 龍華院大猷院御霊屋説明板(碑・説明板)

 掛川古城と子角山説明板(碑・説明板)

 倉真城跡石碑(碑・説明板)

 掛川古城(周辺城郭)

 倉真城(周辺城郭)

 松葉城(周辺城郭)

 松原城(周辺城郭)

 美人谷城(周辺城郭)

 滝谷城(周辺城郭)

 掛川城(周辺城郭)

 平塚砦(周辺城郭)

 龍尾神社(寺社・史跡)

 旧松本家邸宅(寺社・史跡)

 西郷ノ局生誕地(寺社・史跡)

 二の丸御殿(御城印)

 日本100名城スタンプ(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 掛川城公園駐車場(駐車場)

 大手門駐車場(駐車場)

 掛川市立中央図書館(関連施設)

 掛川城券売所(関連施設)

 三の丸広場(関連施設)

 (その他)

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