馬伏塚城(まむしづかじょう)
馬伏塚城の基本情報
通称・別名
- 爬塚城
所在地
- 静岡県袋井市浅名
旧国名
- 遠江国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 小笠原氏、大須賀康高、高力氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、虎口
指定文化財
- 市史跡(馬伏塚城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
横須賀城(静岡県掛川市)[4.4km]
久野城(静岡県袋井市)[6.2km]
城之崎城(静岡県磐田市)[6.4km]
高天神城(静岡県掛川市)[9.4km]
掛川城(静岡県掛川市)[10.3km]
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社山城(静岡県磐田市)[13.9km]
天方城(静岡県周智郡)[15.3km]
馬伏塚城の口コミ情報
2025年06月04日 ᴿᴱᴰ 副将軍
馬伏塚城
徳川家康による高天神城攻略の拠点
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。室町時代に小笠原氏により築かれたと云われます。
遠江小笠原氏は、甲斐源氏の系譜で信濃守護の小笠原氏の一族であり、小笠原貞朝の長男である小笠原長高が小笠原氏の内紛を逃れて、尾張知多郡に出奔。その後に今川氏親に士官し遠江国浅羽荘を領して馬伏塚城を居城としたのが始まりとされます。
二代当主の小笠原春義は今川氏の家督争いで今川義元に付き、反対派の福島正成の高天神城を攻め落した功で高天神城を与えられました。
今川義元が桶狭間の戦いで討たれ、今川氏が没落すると三代当主の小笠原氏清は徳川家康の家臣となり、高天神城の城主も兼ねました。
1571年に四代当主の小笠原長忠は武田信玄からの猛攻から高天神城を守りましたが、1574年に高天神城は武田勝頼の猛攻に耐えられずに開城。小笠原長忠は武田氏に降ります。
徳川家康は高天神城奪還の拠点として馬伏塚城を改修し、大須賀康高が入城。さらに大須賀康高は横須賀城を築くと横須賀城に入り、馬伏塚城には高力清長が入城しました。
1581年に徳川家康は高天神城を攻略し遠江を平定。翌1582年に馬伏塚城は役目を終えて廃城となった様です。
見所
小笠山から南西に伸びた丘陵先端部に築かれ、周囲は沼地に囲まれた要害でしたが、現在は宅地と耕作地となり遺構はほぼ消失。
丘陵を堀切で区切った縄張りであったとされ、諏訪神社一帯が主郭とされ高さ約3mの土塁が残ります。主郭部は大須賀康高による増築とされます。
了教寺から北側の住宅地は居屋敷とされ、南側の道路が堀切跡でその先が北の曲輪とされ、道路沿いに土塁が残ります。北の曲輪が小笠原時代の主郭とされます。
2024年11月07日 ノビー
馬伏塚城
クルマで近接地を通過しました。駐車場などはありませんが解説の立札などはキチンとしていました。
2024年09月13日 沖矢大蔵大輔スバル
馬伏塚城
車を郷土資料館に停めさせて頂き、城跡まで歩いて向かいました。10分ほどで諏訪神社です。諏訪神社は本曲輪であった場所に鎮座しています。鳥居の前には「馬伏塚城跡」の石碑が建てられていて、石碑の左側には大規模な土塁が残っています。
2024年09月13日 コナン遠江守
北一曲輪北土塁[馬伏塚城 遺構・復元物]
諏訪神社から北に向かい県道を渡り、了教寺に向かう途中左側に土塁が残っています。個人宅なので、登ることはできません。外から眺めるだけです。
北曲輪の北側の土塁はよく残っていて、パンフレットでも見所として紹介されています。16世紀初めの小笠原氏居館では曲輪全体に土塁が巡っていたそうです。現在の土塁は本曲輪と同等の規模なので、16世紀終わりに徳川家康陣所として改修されたものと推定されています。
2024年09月13日 コナン遠江守
神曲輪跡[馬伏塚城 遺構・復元物]
県道沿いに木々の生い茂る空地があり、ここが「神曲輪」だったようです。縄で囲まれていて、中に入ることはできません。南曲輪と北曲輪を結ぶ曲輪でした。絵図によると周囲を土塁で囲まれ、東側には本曲輪の北の馬出状曲輪と土橋で接続していました。
2024年04月27日 山西の無職人千閑斎
十二所居館趾[馬伏塚城 寺社・史跡]
袋井市諸井の十二所居館趾です。平成五年、旧浅羽町による発掘調査が行われ、十世紀〜十九世紀の遺物が発掘されました。居館南側からは馬出し状の遺構が検出された事から家康による再利用が伺えるそうです。天正七年家忠日記には「もろい酒佐陣替候」と有ります。十二所と言う地名は熊野十二所権現に由来があり、この地が元々は熊野山の所領だった事によります。
2022年04月23日 ペスカトーレ
馬伏塚城
看板は有りますが、城跡としての遺構は殆んどわかりませんでした。小さな神社が有ります。
2020年09月08日 龍馬備中守【】
岡崎の城山[馬伏塚城 周辺城郭]
静岡県の袋井市にある岡崎の城山♪馬伏塚城の南東、小笠山丘陵南西山麓端に突き出す形で城は存在します♪
城主はこのエリアの豪族・四ノ宮右近と伝わります♪戦国期の姿を残していて馬伏塚城、横須賀城と共に高天神城の攻略の際に水路を使った補給基地としての役割が考えられています♪高天神城が落城後にその使命を果たし廃城となりました☆
2019年02月10日 あきおこ
馬伏塚城
馬伏塚城の近くにある袋井市歴史博物館でパンフレットをもらえます。歴史博物館には、城めぐ涙物の馬伏塚城、高天神城、久野城の超精細なジオラマがあります。運良くジオラマ職人さんの知見豊富な解説も聞かせて頂きました。ここは偶然立ち寄ったんですが話を聞いたおかげで北郭の大土塁が残っている事を知りました。時間があれば是非お勧めしたいスポットです。市内にある久野城のパンフレットもここでもらえます。
2017年12月03日 OROKA参議
馬伏塚城
県道401号を走っていると「→馬伏塚城」と小さな看板があります。Googleのナビ等でも着けると思います。説明板がありますが駐車場はありません、少し行くと広めの道があるので路駐しました(そこは自己責任で)。
説明板の後ろにある小さな神社が本丸、説明板の左手が馬出の土塁の名残のようです。神社には土塁と空堀があります。
県道を挟んで北に行くと、宅地になっていますが周りの畑(昔は堀だったようです)から小高い丘になっていて別郭の雰囲気を感じられます。付近をぐるりと回りましたが、特に北端の堀切部分(今は道になっている)の切岸は鋭角で高さもありとても良いです。上は土塁になっているんだろうか…と想像が膨らみます。あくまで個人宅なので見れませんでしたが。
さらりとありし日を想像しながら散歩するには良い城でした。
2016年02月17日 井伊直虎
馬伏塚城
凄い道が分かりにくかつたです。
もう少し看板を建てておいて欲しいです。