社山城(やしろやまじょう)
社山城の基本情報
通称・別名
- 八代山城、水巻城
所在地
- 静岡県磐田市社山
旧国名
- 遠江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 斯波氏、今川氏、松井氏、徳川氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、竪堀、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
匂坂城(静岡県磐田市)[6.0km]
飯田城(静岡県周智郡)[6.3km]
鳥羽山城(静岡県浜松市)[6.4km]
二俣城(静岡県浜松市)[6.5km]
久野城(静岡県袋井市)[8.9km]
天方城(静岡県周智郡)[9.5km]
大平城(静岡県浜松市)[10.2km]
城之崎城(静岡県磐田市)[10.5km]
馬伏塚城(静岡県袋井市)[13.9km]
掛川城(静岡県掛川市)[15.3km]
社山城の解説文
社山城の口コミ情報
2024年01月04日 mootze
社山城
こじんまりとした戦国のお城です堀切や土橋、土塁など、しっかりと、遺構が残ってます、本丸と二の丸の間の堀切など、見所満載のお城です
2023年10月15日 あお主計頭
社山城
社山城跡の北東部に大きな説明板が出ており、そこから城跡に入れます。茶畑があるところまでは舗装されているので車でも行けます。舗装が無くなった後の山道も、整備されているので登りやすいです。
2023年01月05日 なりぶ
社山城
南側は通行止めになってる道があるので北側から看板に従って登城しました。
2021年03月24日 おんな城主 直虎
社山城
途中まで車で行けますが、駐車場が無かったので、邪魔にならない所に置きました。
本丸までの登城路は徒歩15分位ですが、朽ち掛けた橋を渡る時は要注意です。
途中で急峻な切岸や堀切、土橋、土塁などが見事に残っており、本丸に辿り着くと社が鎮座しています。
樹木が鬱蒼としていますが、一ノ曲輪や二ノ曲輪もはっきりしていて、汗をかいて登った甲斐があると思います。
帰り道は複数選択肢が現れる為、来た道を間違えて遭難しないよう気を付けて下さい。
2020年11月19日 名無しの雑兵
社山城
Googleマップだと南側に連れていかれたけど、封鎖されていたので北側へ。
案内看板に従い南下+上へ。
歩道は整備されており木の足場も不安が無く。柵は無いので足元注意。
遺構に案内あり。
時間が無くてメインらしいルート以外は回れなかったが、堀切や土塁を確認できる。
2020年08月08日 RED副将軍
社山城
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城者、築城年代は不明。遠江守護の斯波氏と駿河守護の今川氏の抗争の中、斯波氏の退却により今川氏の支配となります。
今川義元の没後、武田信玄と徳川家康が遠江をめぐり抗争し、武田信玄が二俣城攻略のため陣を置いたとされます。
その後、天正元年(1573)に二俣城を信玄に奪われた家康が社山城に陣を置きました。
その後の記録はありませんが、数々の激戦の舞台でありました。
二俣城、鳥羽山城のついでに立ち寄ったのですが、横堀や大堀切など大変見応えのある山城でした。結局、2時間近く炎天下の中、山城遺構を登り下りしてしまいました。
天竜川の東岸にある磐田原台地の北端に築かれていますが、登城口すぐ近くまで車で来れ、茶畑の路肩のスペースに停めて登城しました。(2台分くらいあります)
切り通しの様な途中に木板でつないだ登城路を進みますが20分程度で主郭に辿り着きます。
まず、主郭背後の西側尾根筋を下って行きました。主郭を巡る横堀はなかなかのものです。小規模な帯曲輪、堀切は確認できたものの、最後は倒木で進むことが出来ず。結構下りましたが、引き返します。
次に、主郭南西に竪堀があり、急坂を下って行きます。最終的に見事な土橋、大堀切があり、ここが最大の見所です。
その後は、二の曲輪やそれを隔てる堀切も見ましたが、藪まみれで大堀切と比べると規模が小さいです。
以上より、社山城は主郭を越えて南西部が見所です。
この口コミを書く前に、本城跡のフォトギャラリーを確認しましたが、やはり歴戦の山城ハンターの皆様は大堀切のアップをされておられました。複数の有名山城サイトでも紹介されていないのに皆様、流石でございます。
写真
①切り通しの様な登城路
②本丸に鎮座する八幡神社
③主郭背後の横堀
④主郭西側の尾根筋は最終倒木で不通
⑤主郭南西部の大堀切
⑥主郭南西部の竪堀。ここを降っていく
⑦木板でつなぐ登城路
⑧登城口
2019年05月10日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
社山城
一の曲輪南側の帯曲輪の空堀と竪堀。縦横の堀の合流地点となっている部分。
2019年05月09日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
社山城
土橋からの竪堀。看板には堀切と書かれている。整備はされているものの、駐車場が無いので要注意。
2019年04月30日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
社山城
登城口四の曲輪付近。四の曲輪以降は一の曲輪に直結しており、一の曲輪にある神社への参道として改変された可能性大。
2018年12月10日 尾張守たかぼー
社山城
看板通りに茶畑の中を抜けていきました。車はドンつきになり、そこから徒歩で10分ほど。途中、台風の影響なのか、倒木あり。本丸にある神社の周辺も根こそぎ木が何本か倒れていました。
2017年12月03日 【G6】OROKA参議
社山城
【仲明城の口コミ】
社山城の北東にある仲明城への道なき道の説明を書きます。
天竜浜名湖鉄道「敷地駅」の近くに「仲明公会堂」という小さな公民館があり、ここに車を停めます。城はこの左の山です。公民館左の細い農道をまっすぐ進み柿畑を抜けると森に入ります。左側から尾根がいくつか伸びているので1つ目に取りつきました。城はこの尾根沿いのようです。
傾斜60度以上の斜面を、枝等につかまりながらよじ登ります。道はなく藪、竹、倒木、蜘蛛の巣、茨、崖にズタボロにされながら10分ほど進んでください。心を無にする事が大切です。
すると、堀切が現れます。ここから城域と奮いもう一頑張りズタボロになりましょう。
5分ほどで平削地に出ます。少し木が伐られて展望が良く、ここが本丸のような気がします。両サイドに帯郭のような段地があります。他は藪で全く分かりません。
微妙な気持ちを胸に、迷わないように気を付けてまたズタボロになりましょう。
「平和で退屈な日常に飽き飽きしている」という方にのみオススメします。
ー完ー
2017年10月31日 カーネル
社山城
天竜浜名湖線 敷地駅から
駅南の新東名高速の側道を西へ歩き、緩やかに坂を登る
蓮台寺の北側の信号で左折して、高速道路を超えて南へ向かい、300mほどで、左にカーブミラーがあるT字交差点を右折します
道なりに進むと、T字に出るので右折するとすぐに杜山城入口の標識があるので、左折して南下します
その先は標識が多数あります
茶畑の奥へ進むと、城の入口の標識があります。ここまで30分
山道を登ると、土橋、堀、土塁を経由して本丸。神社があります。二の郭方面に下ると、帯曲輪からの竪堀がいい感じです
そのまま下ると、登り道の一つ下の道から下山できます。駅に戻って1時間50分でした
2017年09月15日
社山城
天竜浜名湖鉄道敷地駅から徒歩20分くらいで、登城口、さらに15分くらい登ります。
登り口はいくつかあり、私がとったルートは、草が伸びて荒れ果てていました。
登り切るといきなり、本丸と二の丸の大堀切!
本丸に神社と、解説板があります。
本丸には横堀、三の丸手前に浅い堀切、四曲輪堀切には土橋がかかり、横掘もあります。
帰りは、四曲輪経由で降りてきましたが、こちらの方が、道はしっかりしています。
駅からは遠くなりますが。
2016年01月17日
社山城
JR磐田駅1番乗り場から遠鉄バスに乗り慈眼寺入口バス停下車、徒歩15分程。駐車場はありませんでした。
「宗長日記」によると文亀年間に遠江守護斯波義寛の弟義雄が守備していたが、今川氏親の遠江侵攻により二俣城まで退いたとあります。その後は今川氏による支配を経て同氏の衰退後、徳川・武田の対立にも何らかの形で関わったと思われますが史料には見られません。遺構として郭・堀切・帯曲輪・土塁がよく残ります。
また二の郭東側の尾根筋には横堀も見られ、武田氏による改修があった可能性も高いと思われます。
歴史
築城年代、築城者は定かではない。地域史料には、南北朝時代の終わり頃に匂坂共長が今川泰範・貞世の命により社山城を築いたとあるが、信憑性に乏しい。遠江守護の斯波氏と駿河守護の今川氏との抗争が始まると、斯波義寛は弟の義雄を社山城に置いた。『宗長日記』には二俣城への退却が記され、以後、社山城は今川氏の支配下となった。
今川義元が没すると、やがて武田信玄と徳川家康が遠江をめぐり抗争を繰り広げる。元亀3年(1572)に遠江侵攻を開始した信玄は二俣城攻略のため合代島に本陣を置いたとされ、この本陣が社山城である可能性がある。社山城である確証はないが、社山城を中心に合代島周辺が一体的に利用されたようだ。
その後、天正元年(1573)に二俣城を武田方に奪われた家康が社山城に陣を構えたことが、文献で確認できる。しかし、廃城年についてはよくわかっていない。
遺構
天竜川の東岸、磐田原台地の北端にある標高136mの山頂に築かれている。山頂からは三方原台地や浜松、北には二俣が望め、南麓には春野へ抜ける街道が通る。中遠、西遠の制圧に欠かせない立地だ。最高所の主郭は、幅約10mの大規模な堀切と大土塁で東西に分断されている。主郭東側は、その東側にあるニの曲輪と土橋で連結され、南北両側には帯曲輪が配置されている。大きな見どころのひとつは、ニの曲輪の東端にある巨大な二重堀切。搦手側と考えられ、尾根筋からの侵入を阻んでいる。
八幡神社が鎮座する主郭西側は、西側と北側に巨大な横堀がめぐり、各方向の尾根に曲輪群が派生する。西側の尾根先も、二の曲輪の東端と同じように二重堀切が見られる。大規模で圧巻だ。
北側の尾根に派生する尾根先は、10mほどの急斜面で横堀に達する。主郭北端の虎口が、複数の竪堀と竪土塁で厳重に防御されているのが印象的だ。ここから北側には曲輪が展開し、幅約6mの堀切で遮断されていて、さらに北端に横堀と土塁がめぐる。この北側の尾根筋が、大手だったようだ。
大規模な二重堀切や緩斜面にめぐる横堀、曲輪を分断する巨大な堀切や二重の帯曲輪は、家康との抗争の中で武田方が改修した近隣の城と傾向が一致する。立地からも社山城は重要視されたと予想され、武田方が大幅に改修した可能性が高い。
交通
・新東名高速道路遠州森町スマートICから車で約15分参考文献
・『静岡の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2009年。・『東海の名城を歩く 静岡編』吉川弘文館、2020年。