匂坂城(さぎさかじょう)
匂坂城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 静岡県磐田市匂坂上字大土居(地図は石碑の場所を示す)
旧国名
- 遠江国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 匂坂長能
築城年
- 天文元年(1532)
主な改修者
- -
主な城主
- 匂坂氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
城之崎城(静岡県磐田市)[5.7km]
社山城(静岡県磐田市)[6.0km]
久野城(静岡県袋井市)[8.9km]
飯田城(静岡県周智郡)[9.2km]
頭陀寺城(静岡県浜松市)[10.2km]
鳥羽山城(静岡県浜松市)[10.6km]
二俣城(静岡県浜松市)[11.0km]
馬伏塚城(静岡県袋井市)[11.1km]
浜松城(静岡県浜松市)[11.5km]
大平城(静岡県浜松市)[12.0km]
匂坂城の口コミ情報
2023年11月02日 コナン遠江守
匂坂城
農地開発のため遺構はなく、立派な石碑がポツンと立てられているだけです。
なお、実際の城跡は別のところです。
2023年06月01日 RED副将軍
匂坂城
今川氏真、徳川家康、武田信玄との激戦地となった匂坂氏の居城🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1532年に匂坂長能により築城。新たに匂坂城を築き社山城より居城を移したとされます。匂坂氏は、長らく今川氏に属していましたが、1568年の徳川家康による掛川城攻略に際して、匂坂吉政は徳川家康に寝返ります。姉川合戦では、朝倉氏の猛将、真柄直隆を討ち取ったのが匂坂兄弟と伝わります。1571年、武田信玄による高天神城攻めにより、武田信玄に攻められ、小田松、宮口とともに落城。その後、武田信玄は重臣の穴山梅雪に守らせ、二俣城攻めに際して重要な拠点となりました。
見所
農地改良により遺構は消滅し碑があるのみです。但し、稲荷神社の南側に広がる茶畑は詰城としての曲輪跡とされ名残があります。
2022年01月26日 とんみー監物
笠井城[匂坂城 周辺城郭]
神社に城跡の石碑がありますが、詳細は不明です。周囲に遺構があるのかも分かりません。
2021年06月28日 ギキュウ土佐守
匂坂城
車でリア攻めしましたが目の前の道はあまり広くないですので停めておくことはできません。ご注意下さい。
2021年06月23日 super中納言すぎっち
匂坂城
田畑が広がるのどかな平野の畑の脇にぽつんと石碑がありました。
2020年12月05日 ポール駿河守マッカートニー
匂坂城
大根畑の中でした。レタスもあったかな?城跡の雰囲気は残念ながらあまり感じられず。
周囲の地形を見渡しながら、自分自身の知識と想像力が試されます。
2020年11月29日 【瓶割り】修理亮あぜり
匂坂城
三方原の戦い前の武田信玄遠江攻略時には穴山梅雪が守ったとされる。旧浜松市エリア以外の近隣の城はほぼ信玄に落とされた様で、後の家康を考慮すれば信玄存命時の武田軍の強さは比類なしだったのでしょう。
また東に見える磐田原台地を登らず旧国道1号まで南に移動すると一言坂の戦いの跡に辿り着ける。この戦いは「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」と武田軍が褒め称えた本多忠勝が見事に殿を務めたとされる退却戦で知られる。
2020年08月15日 Forum2107豊前守
匂坂城
畑のど真ん中、民家真前に石碑のみが残っとります…
短時間ならローソンに停めて歩いて行った方が良きです。