浜松城(はままつじょう)

浜松城の基本情報

通称・別名

出世城

所在地

静岡県浜松市中区元城町

旧国名

遠江国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

独立式望楼型[3重4階/1958年築/RC造模擬]

築城主

今川貞相?

築城年

永正年間(1504〜1521)?

主な改修者

徳川家康

主な城主

飯尾氏、松平氏、堀尾氏、井上氏、水野氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

市史跡(浜松城跡)

再建造物

模擬天守、石碑、説明板

周辺の城

頭陀寺城(静岡県浜松市)[3.2km]
米津台場(静岡県浜松市)[4.8km]
匂坂城(静岡県磐田市)[11.5km]
中泉陣屋(静岡県磐田市)[11.7km]
堀江城(静岡県浜松市)[11.7km]

浜松城の解説文

浜松城(はままつじょう。旧字体表記は「濱松城」)は、静岡県浜松市中区にある日本の城跡。野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。

概要
浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城であり、築城時の城主は不明である。16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていた。この頃の引馬城は、江戸時代の絵図にみられる「古城」と表記された部分であり、現在の元城町東照宮付近にあたる。

徳川家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に入城し、浜松城へと改称。城域の拡張や改修を行い、城下町の形成を進めた。徳川家康在城時における浜松城の具体像は不明確であるが、古文書や出土遺物から現在の本丸に向けて城域が拡張されたことが窺える。また、徳川家康が築造した浜松城は、土造りの城であり、石垣や瓦葺建物を備えていなかったとされる。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い以後、江戸時代を通じて徳川家譜代大名の居城となり、浜松城から豊臣色は失われる。江戸時代の浜松城主は九家二十二代に引き継がれていき、歴代の城主によって城域の改変・改修が進められた。

堀尾氏在城期に創建された天守は、17世紀のうちに姿を消し、天守台のみが現在に伝わる。以降、天守門が浜松城の最高所に位置する建造物といえ、江戸時代を通して浜松城を代表する建物であったことが窺える。

明治6年(1873年)の廃城令によ り、浜松城の建物や土地の払い下げが行われ、三の丸、二の丸の宅地化が進行した。天守曲輪と本丸の一部は大きな開発を免れ、昭和25年(1950年)の浜松城公園開設に至る。

歴史
今川氏・飯尾氏時代
浜松城以前はは曳馬城(引馬城、引間城)が浜松の拠点だった。築城者については諸説あるが、今川貞相が初めて築城したという。

斯波氏と今川氏が抗争すると、この地を支配していた大河内貞綱は斯波氏に味方するが今川氏に敗れた。その後は今川氏親の配下・飯尾氏がこの地を支配することになる。永正11年(1514年)、飯尾乗連(またはその父飯尾賢連)が城主になったともいわれる。乗連は今川氏に引き続き仕え、桶狭間の戦いにも参加した。桶狭間の戦いにおいて今川義元が戦死すると今川氏の衰退が始まるが、この時期に飯尾氏の当主も乗連から子の連竜へと移り変わる。

今川氏の衰退後、城主飯尾連竜が今川氏真に反旗の疑惑をもたれ、永禄8年(1565年)に今川軍に攻囲され多大な損害を被るが、陥落は免れた。この時今川からの和議勧告を受諾した連竜は、戦後に今川氏再属のため駿府への大赦御礼に出向いたが、和議は謀略で、連竜は殺された。以後の曳馬城は、連竜の家老の江間氏によって守られるも城内は徳川派と武田派に分裂して内紛が起きていたため徳川家康によって早期攻略された。また一説ではその後連竜の未亡人・お田鶴の方を中心とした飯尾氏の残党によって守られるが家康が永禄11年(1568年)12月にお田鶴の方に使者を送り城を渡せば妻子共々面倒を見ると降伏を促すもお田鶴の方が拒否し続けたため、家康が兵を使って攻め込み、お田鶴の方が城兵を指揮して奮戦したが侍女と共に討死にした。またそのお田鶴の方を祀った「椿姫観音」が城の近くに残っている。
...

浜松城の口コミ情報

織田左兵衛督晃司1202晴天様[2017年08月05日]
浜松城公園の駐車場がありますが、21:00~翌8:00まで閉まってますので夜討ち朝駆けの方は市役所の駐車場へ。

浜松城の最大の特徴は野面積みの石垣。
荒々しいが400年もの風雪、戦災にも耐えた力強い石垣です。

以前は天守のみだったが、天守門の復元で本丸の風景は良くなった。

浜松市は餃子の街。フライパンで焼くため丸く焼き、もやしをトッピング。浜松に来たらぜひ。

課長勘解由長官様[2017年05月13日]
2014年に復元された天守曲輪の櫓門は天守閣入場券にて見学可能です。
内部はまだ真新しい感じですが、復元工事のVTRや発掘された遺物の展示が行われています。

また浜松城公園の大通りを挟んで東側の小高い場所に浜松城の前身である曳馬城跡があります。
現在は元城町東照宮となっていますが現在もその地形は城を思わせるモノでした。
城跡碑、説明板、徳川家康・木下藤吉郎像などありますので併せて訪問されると良いと思います。

カリンコーヒー様[2016年03月21日]
3月20日の日曜日に行ったところ、駐車場は無料でした。
地下の井戸から天守閣まで楽しい所です。
アプリとしては浜松駅で攻略済みになりますが、実際に行った方が楽しいです。

井伊直虎様[2016年02月24日]
駅の近くだから、しかたないけど、無料の駐車場を作って欲しいです。
でも、天守閣の最上階からの景色は絶景でした。


【謹慎中】右衛門督かげちゃん様[2015年12月31日]
浜松城公園の駐車場は、21:00まで開いてます。
浜松城公園と隣のホテルコンコルド浜松の間にある細い道を北(奥?)の方に行くと、徳川軍が武田軍に反撃の夜襲を仕掛けて武田軍の兵士を突き落とした”犀ヶ崖”に出ます。

ひがしー左衛門佐様[2014年08月21日]
金沢から青春18切符使用で浜松まで遠征

本日、県民デーにて無料開放

家康登用で、天下人3人登用完了

はやえもん壱岐守行動休息中様[2013年05月05日]
諏訪神社から徒歩約15分くらいに市役所があり、そこの細い階段を登っていくと城があります。入場料150円…

天守閣は工事のために網がかけてありました

中にはスタンプと記念メダルがありメダルは400円でした文字も入れる事が出来値段は30円です。

常陸入道ねんさい和泉守様[2012年08月26日]
天守曲輪の櫓門を復元するそうです。今年の秋から工事開始で2014春完成予定だそうです。天守閣の人に聞きました。

león伊豆守大途様[2012年07月08日]
天守から三方ヶ原古戦場が遠くに見渡せます(案内板あり)
家康時代から残る石垣と公園内の庭園も見所でした

伏龍鳳雛SAS様[2012年03月04日]
浜松城近くの東照宮に曳馬城跡が有ります

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年07月26日]
[武将像]徳川家康像
本丸跡に鎮座。
各地にある神君像で、唯一スマート(笑)でも実は、恰幅がよくなったのは老齢になってから。浜松城時代の姿として、この像は正しいと思われます。

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