浜松城(はままつじょう)

浜松城の基本情報

通称・別名

(曳馬城、引馬城、引間城、匹馬城)

所在地

静岡県浜松市中区元城町

旧国名

遠江国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

独立式望楼型[3重4階/1958年築/RC造模擬]

築城主

今川貞相?

築城年

永正年間(1504〜1521)?

主な改修者

徳川家康

主な城主

飯尾氏、松平氏、堀尾氏、井上氏、水野氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

市史跡(浜松城跡)

再建造物

模擬天守、門、石碑、説明板

周辺の城

頭陀寺城(静岡県浜松市)[3.2km]
米津台場(静岡県浜松市)[4.8km]
匂坂城(静岡県磐田市)[11.5km]
中泉陣屋(静岡県磐田市)[11.7km]
堀江城(静岡県浜松市)[11.7km]
刑部城(静岡県浜松市)[11.9km]
井伊谷城(静岡県浜松市)[14.8km]
大平城(静岡県浜松市)[15.3km]
三岳城(静岡県浜松市)[16.0km]
社山城(静岡県磐田市)[16.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)148 浜松城

設置場所

浜松城天守閣1階[地図

浜松城の解説文



浜松城(はままつじょう。旧字体表記は「濱松城」)は、静岡県浜松市中区にある日本の城跡。野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重鎮に出世したことから「出世城」といわれた。

概要 

浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城であり、築城時の城主は不明である。16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていた。この頃の曳馬城は、江戸時代の絵図にみられる「古城」と表記された部分であり、現在の元城町東照宮付近にあたる。

徳川家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に入城し、浜松城へと改称。城域の拡張や改修を行い、城下町の形成を進めた。徳川家康在城時における浜松城の具体像は不明確であるが、古文書や出土遺物から現在の本丸に向けて城域が拡張されたことが窺える。また、徳川家康が築造した浜松城は、土造りの城であり、石垣や瓦葺建物を備えていなかったとされる。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い以後、江戸時代を通じて徳川家譜代大名の居城となり、浜松城から豊臣色は失われる。江戸時代の浜松城主は九家二十二代に引き継がれていき、歴代の城主によって城域の改変・改修が進められた。

堀尾氏在城期に創建された天守は、17世紀のうちに姿を消し、天守台のみが現在に伝わる。以降、天守門が浜松城の最高所に位置する建造物といえ、江戸時代を通して浜松城を代表する建物であったことが窺える[1]

明治6年(1873年)の廃城令により、浜松城の建物や土地の払い下げが行われ、三の丸、二の丸の宅地化が進行した。天守曲輪と本丸の一部は大きな開発を免れ、昭和25年(1950年)の浜松城公園開設に至る[2]

歴史 

今川氏・吉良氏・飯尾氏時代

浜松城以前は曳馬城(引馬城、引間城)が浜松の拠点だった。築城者については諸説あるが、今川貞相が初めて築城したという。ただし、室町時代中期には三河国の吉良氏が支配していたことが判明している。

斯波氏と今川氏が抗争すると、吉良氏の家臣団の中で斯波氏に味方する大河内貞綱と今川氏に味方をする飯尾乗連(またはその父飯尾賢連)が争い、斯波氏が今川氏に敗れると吉良氏も浜松の支配権を失った。永正11年(1514年)、今川氏親から曳馬城を与えられた飯尾氏は正式に今川氏の家臣となった。乗連は今川氏に引き続き仕え、桶狭間の戦いにも参加した。桶狭間の戦いにおいて今川義元が戦死すると今川氏の衰退が始まるが、この時期に飯尾氏の当主も乗連から子の連竜へと移り変わる。

今川氏の衰退後、城主飯尾連竜が今川氏真に反旗の疑惑をもたれ、永禄8年(1565年)に今川軍に攻囲され多大な損害を被るが、陥落は免れた。この時今川からの和議勧告を受諾した連竜は、戦後に今川氏再属のため駿府への大赦御礼に出向いたが、和議は謀略で、連竜は殺された。以後の曳馬城は、連竜の家老の江間氏によって守られるも城内は徳川派と武田派に分裂して内紛が起きていたため徳川家康によって早期攻略された。一説ではその後、連竜の未亡人・お田鶴の方を中心とした飯尾氏の残党によって守られるが、家康が永禄11年(1568年)12月にお田鶴の方に使者を送り城を渡せば妻子共々面倒を見ると降伏を促すもお田鶴の方が拒否し続けたため、家康が兵を使って攻め込み、お田鶴の方が城兵を指揮して奮戦したが侍女と共に討死にした。また、お田鶴の方を祀った「椿姫観音」が城の近くに残っている。

家康時代

元亀元年(1570年)に家康は武田信玄の侵攻に備えるため、本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移した。岡崎城は嫡男・信康に譲られた。当初は天竜川を渡った見付(磐田市)に新たに築城をするつもりであったが、籠城戦に持ち込まれた際天竜川により「背水の陣」となることから、曳馬城を西南方向に拡張した。その際、曳馬という名称が「馬を引く」、つまり敗北につながり縁起が悪いことから、かつてこの地にあった荘園(浜松荘)に因んで城名も地名とも「浜松」と改めた[3]

元亀3年(1573年)、武田信玄がこの城を攻める素振りを見せながらこれを無視するような行軍をして家康を挑発。挑発された家康は浜松城から打って出たが、武田軍の巧妙な反撃に遭って敗北を喫した(三方ヶ原の戦い。なお諸説有り)。 三方ヶ原の戦いでは徳川軍の一方的な敗北の中、家康も討ち死に寸前まで追い詰められ、夏目吉信や鈴木久三郎を身代わりにして、成瀬吉右衛門、日下部兵右衛門、小栗忠蔵、島田治兵衛といった僅かな供回りのみで浜松城へ逃げ帰った。この敗走は後の伊賀越えと並んで人生最大の危機とも言われている。浜松城へ到着した家康は、全ての城門を開いて篝火を焚き、いわゆる空城計を行う。そして湯漬けを食べてそのままいびきを掻いて眠り込んだと言われる。この心の余裕を取り戻した家康の姿を見て将兵は皆安堵したとされる。浜松城まで追撃してきた山県昌景隊は、空城の計によって警戒心を煽られ城内に突入することを躊躇し思い直し、そのまま引き上げたといわれている

拡張・改修は天正10年(1582年)ごろに大体終了したが、その4年後の天正14年(1586年)、家康は浜松から駿府に本拠を移すことになった。家康の在城期間は29歳から45歳までの17年になる。

家康以後

家康以後、天正18年(1590年)からは秀吉の家臣堀尾吉晴と、その次男堀尾忠氏が合わせて11年間在城したが、関ヶ原の戦いの功績で出雲国富田に移封。以後は、一時徳川頼宣の領地だった時期を除いて、譜代大名各家が次々に入った。近世には天守は存在しなかったようで絵図にも記載がない。本丸にあった二重櫓が天守代用とされていたようだ。

浜松城は明治維新後に廃城となり破壊された。城址は昭和25年(1950年)に「浜松城公園」となり、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート製の復興天守が再建された。昭和34年(1959年)には浜松市の史跡として指定された。

現在の天守閣は資料館として使われており、家康を初めとした当時のゆかりの品々を見学できるほか、城の周辺は緑が溢れ、桜の名所としても名高く、シーズンには花見客で溢れ返る。

もともと曳馬城だった部分には、江戸時代には米蔵などが置かれていた。明治維新後の明治27年(1894年)に井上延陵によって東照宮が創建され、太平洋戦争中の昭和20年(1945年)に焼失したが昭和34年(1959年)に再建されて現在に至る。

2017年(平成29年)、続日本100名城(148番)に選定された[4]

歴代城主(藩主)

  • 松平忠頼(桜井松平家)
  • 高力忠房
  • 松平乗寿(大給松平家)
  • 太田資宗→資次
  • 青山宗俊→忠雄→忠重
  • (本庄松平家)松平資俊→資訓
  • (大河内松平家)松平信祝→信復
  • 松平資訓→資昌
  • 井上正経→正定→正甫
  • 水野忠邦→忠精
  • 井上正春→正直

構造 

天守曲輪

天守周辺は天守曲輪と呼ばれ、本丸から独立した曲輪となっている。東西56m・南北68mのいびつな多角形で、東に大手として天守門、西に搦手として埋門が配されている。周囲を鉢巻石垣と土塀で囲み、土塀には屏風折などの横矢や武者走りが設けられるなど防御性の高い設計で、創建時には籠城戦を想定した場所だったと考えられている。

16世紀末に築かれた天守台が残されているほか、昭和33年に復興天守が建設され、2014年に天守門と付近の土塀が復元された。

天守

天守は堀尾氏が治めた16世紀末に創建されたとみられるが、江戸時代初期には失われ、以降再建されなかった。当時の天守の姿を伝える資料は残されていないが、同じ堀尾氏が治めた城で当時の天守が残る松江城は創建時の浜松城天守を参考に設計されたと考えられており、両者の関係が注目されている[5]

野面積みによる天守創建時の天守台が残されている。1辺約21mのややいびつな四角形で、西側に八幡台と呼ばれる突出部と、東側に付櫓と呼ばれる張り出し部分がある。 天守台上部は安政の大地震後と復興天守建設時に積み直されたとみられるが、創建当時の姿がよく残されている。

現在天守台に建てられている建物は、昭和33年(1958年)4月26日に完成した鉄筋コンクリート造の復興天守である。地上3階地下1階建で、1-2階は徳川家康と浜松にまつわる歴史資料を展示する資料館、3階は展望台として使用されている。昭和31年1月に結成された浜松城再建期成同盟会が募金運動を展開し、集まった浄財をもとに当時の金額で1395万6千円を投じて建設された[6]。復興天守は名古屋工業大学で名誉教授を勤めた城戸久による設計で、丸岡城天守がモデルとされている。建設にあたって天守台に対し2/3程度の大きさで建てられたため、史実の天守よりも小さな建物となっている[7]

天守門

天守門は天守と同じ16世紀末に建てられた櫓門で、天守曲輪の東側に位置する。改修・改築が行われながらも、廃城時まで存続した。江戸時代初期に天守が失われて以降は浜松城で最も高い位置にあり、江戸時代を通して浜松城を代表する建物であった。

取り壊される前の天守門の図面や古写真は見つかっていないものの、安政の大地震の被害状況を示した絵図や平成21年度から行われた発掘調査の結果をもとに、2014年に復原された。

埋門

埋門は天守曲輪の西側に位置し、西端城曲輪とを結んだ。浜松市は「遺構が残存していることが明らかであるため、他の遺構の調査と整備の進捗状況により、歴史的検証に基づいた復原計画を検討する」としている。

本丸

天守曲輪の東側の一段低い場所に位置し、土塁と鉢巻石垣に囲まれていた。北側には富士見櫓、東側には本丸裏門、南東の隅には菱櫓、南側には鉄門と多聞櫓があった。江戸時代初期には徳川将軍家専用の御成御殿があったとみられるが、江戸中期には姿を消したと考えられている。

廃城後、本丸の西半分は浜松城公園となり富士見櫓の石垣などの遺構が残されているが、東半分は1960年代に本丸の地形を削り取る形で造成が行われたため姿を留めておらず、裏門・菱櫓・鉄門・多門櫓の遺構も失われた。跡地は道路と市役所となっている。

富士見櫓
富士見櫓は本丸の北側に位置する櫓で、現在は石垣と礎石の一部が残る。櫓の北側は厚い土壁を持たずに柱を見せた構造を持ち、前方に玉砂利の敷かれた御殿風の建物であり、17世紀中〜後半に建てられたと推定されている[8]。18世紀後半以降の改修を経て、比較的長期間にわたり使用されており、富士山を長めながら茶の湯などが催されていたと推測されている。

多聞櫓
多聞櫓は、本丸と清水曲輪の間に位置し、東西に長い平屋の長屋で、東側には本丸への正門である鉄門が設けられていた。 廃城後に櫓と石垣の大部分が失われたが、2014年に園路擁壁の内側から堀尾氏時代の石垣の一部が発見され、2020年の本丸南広場の整備に合わせて公開されている。

清水曲輪

清水曲輪は天守曲輪の南側を細長く囲んだ帯曲輪で、天守曲輪を守るため中土手を持つ空堀があり、東側に清水門があった。

北側は浜松城公園になっているが、清水門跡を含む南側は市街化されている。

西端城曲輪

西端城曲輪は天守曲輪の西側に位置する曲輪で、土塁と土塀に囲まれ、外端城曲輪に接続する端城門があった。

曲輪全体が浜松城公園となっている。

二の丸

二の丸は本丸の東側に位置し、藩主が政務や日常生活を営む二の丸御殿があったほか、東側に二の丸裏門、南側に本丸表門があった。

二の丸の跡は旧元城小学校敷地と市役所敷地の北半分にあたる。

二の丸御殿
二の丸御殿は払い下げによって解体されたが、詳細な絵図面が残されており、詳しい様子をうかがうことができる。

三の丸

二の丸の南東側に位置し、周囲を土塁と堀で囲まれ、重臣の屋敷が立ち並んでいた。三の丸の南側に浜松城の正門である大手門があった。

廃城後は土塁の撤去と堀の埋め立てが進み、完全に市街地化されている。大手門は現在の連尺交差点付近にあった。

出世城 

冒頭で述べたとおり、一般的には数々の浜松城主が幕府の重鎮に出世した例が多いことから出世城とも呼ばれたとされるが[9][10]、一方で井上正甫のように不祥事を起こし左遷された例もある。

水野忠邦は肥前国唐津を治めていたが、長崎の警備があるため一定以上の出世が困難であった。しかし、忠邦は幕閣として参画するために日頃から幕府要人に接待・賄賂攻勢をかけていた。幕府は事件を起こした正甫を左遷し、忠邦を浜松へ移した。忠邦は寺社奉行に出世し、更に文政11年(1828年)には老中となった。

忠邦はその後の天保の改革で躓き、続く政争で失脚し長男・忠精の代になって出羽国山形に移された。浜松は水野忠精に代わって井上正甫の長男・正春が治めることになった。

江戸時代の265年間で浜松藩の藩主は22人いて、平均約12年弱の期間に藩主が変わっている。

交通 

  • 東海旅客鉄道(JR東海)東海道新幹線・東海道本線浜松駅、遠州鉄道鉄道線新浜松駅より徒歩約20分
  • 浜松駅バスターミナルより遠鉄バスで市役所前・市役所南・美術館・浜松城公園入口のいずれかで下車。

参考文献 

  • 『徳川家康 四海統一への大武略』 歴史群像シリーズ11、学習研究社、1989年

浜松城の口コミ情報

2022年06月12日 アイス(溶け)ダンス伊勢守
浜松城



富士見櫓。富士山が見えるはずだが、天気によっては見えません。見える方角の写真も添付しました。老眼で見えないかもね?大手門まだまだ新築のいい香り。まだまだ復元されるみたいですので楽しみですね。

女城主も浜松市になったので、日曜日には出勤してくれるようです。また見に行ってあげてください。

2022年03月13日 コナン遠江守
作左曲輪跡[浜松城  碑・説明板]



本多作左衛門重次の屋敷があったところです。三河三奉行の一人で「鬼作左」とも呼ばれていました。長篠の戦いの陣中から「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という妻に宛てた手紙でも有名です。

三方ヶ原の戦いのとき、家康が重次を呼んで、もし、武田軍に包囲されて長期戦になったらどうしようかと兵糧について尋ねました。重次は米は十分に蓄えてありますと返事をしました。家康は非常に喜んで、その時の米蔵の位置に屋敷を構えることを許しました。

天正7年(1579)にはこの屋敷に城柵を設け、城の搦手として「作左曲輪」と呼ぶようになりました。

2022年03月13日 コナン遠江守
浜松城

2022年3月より駐車場が有料化されました。
入庫から最初の90分まで無料。90分を越える分は30分毎に100円加算。
有料施設(浜松城天守閣/天守門、浜松市美術館、スターバックス、茶室)利用の場合は60分無料が追加されます。
各施設で駐車券を認証してもらう必要があります。

2022年02月23日 たけ
天守[浜松城  遺構・復元物]

この天守閣は堀尾吉晴が建造した松江城を模写したもの。家康時代には天守閣はなく、秀吉時代に堀尾吉晴が天守閣を建造したと言われてる。

2022年02月05日 武者頑駄無右兵衛尉
浜松城



一部は市街地化の流れで市役所や小学校(現在は廃校)の敷地だったり公園や日本庭園として整備されているため、本来あった水堀や横堀と言う遺構は残っていません。普段、縄張図で堀切や土塁、竪堀、を予習して実際どんな感じかなーってワクワクして城に訪れると言う城巡人の方には少し消化不良かも知れません。堀や鉄門があったと思われる所の地面に5×5cmくらいの金属プレートで案内されているので、上だけでは無く、下にも気を配ることをお勧めします。天守曲輪を囲む石垣は豊臣政権下で普請された素晴らしい野面積みで組まれており、惚れ惚れします。石垣好き、特に野面積みが好きな方には堪らないと思います。

2022年01月26日 とんみー右兵衛尉
欠下城[浜松城  周辺城郭]

高速道路北側の会社の入り口に城跡を示す杭、南側のバス停に説明板が立っています。近くの竹藪に土塁があるようですが、よく分かりませんでした。

2021年12月15日 3人のパパ式部大輔は単身赴任
浜松城



野面積みの石垣が良いです。本殿は発掘調査中です。入館料200円ですが、浜松市観光案内ウェブから、160円に割引されるようです。

市民の方の憩いの場のような公園になってます。

2021年10月12日 特にありません
浜松城



浜松城は夕暮れ時が良いと思う。戦国初期の石垣に映える。また、浜松城行ったら曳馬城も訪れましょう。近いのに意外に行き忘れてる方多いのでは。

2021年09月27日 ⁂北条兵部大輔氏康⁂
信玄街道[浜松城  碑・説明板]

信玄の西上作戦時に通ったとされる、東西に走る街道です。

2021年09月26日 千閑斎【ケルベコス】
椿姫観音[浜松城  寺社・史跡]



徳川家康は永禄11年曳馬城に立て籠るお田鶴の方に使者を送り「城を渡されよ、さらは扶持しまいらせ家の子もすへてよきにはからいなむ」と説得しましたが、お田鶴の方は「妾婦女といえども弓馬の家の者おめおめと城は渡せぬ」と拒否しました。12月24日家康は城攻めを開始。曳馬城はお田鶴の方が指揮を取り徳川方に大きな損害を与えましたが、多勢に無勢最期は緋威の鎧に身を包み侍女18人と共に塩市口より出撃し全員が討死しました。家康はお田鶴の方を惜しみ塚を築き、築山殿が椿を植えました。曳馬城の北東方向には、お田鶴の方を祀る「椿姫観音」が建てられ、悲しい戦国の物語が伝えられています。
因みにお田鶴の方の母方の祖母は寿桂尼だったりします。 最後に一言
「諸説あります、そこんとこ夜露死苦!」

2021年07月23日 女帝 織田信華
元城小学校跡[浜松城  その他]

浜松市立元城小学校は、静岡県浜松市中区元城町に位置していた公立小学校。開校は明治6年で、浜松市内の小学校で最も長い歴史を持つ伝統校だったそうです。

2021年07月19日 ペスカトーレ
浜松城



天守閣が有り最上階からの眺めは素晴らしいですが、復興天守です。ほぼ当時もの野面積の石垣は迫力が有り必見です。天守台,天守曲輪,本丸曲輪等残っていて見所です。天守門が木造で復元されていて天守閣との共通入場券200円です。

2021年05月30日 井伊兵部少輔直政
浜松城

浜松城の天守台にハート型の石があります。たくさんの石垣の中から探してみて下さい。きっといい事があると思います♪

2021年05月26日 【城郭道】尾張守たっきー
浜松城跡35次発掘調査[浜松城  その他]



昨年開催された浜松城跡35次発掘調査。今となっては懐かしい思い出です。本丸石垣が確認され、当時はこのアプリ内で結構話題になっていましたね。今後、浜松城で新たな発見があることを願いますね。他の機会にまた行きたいです。

2021年03月30日 【城郭道】尾張守たっきー
天守地下井戸[浜松城  遺構・復元物]



天守復興に際し、天守台地下で石組井戸を確認。穴蔵構造であることが判明し、現在、整備されている。
中は狭く、独特な雰囲気が引き立て役と化している。

2021年03月20日 竹に雀騎馬隊サンゴ関白
浜松城

浜松駅出て北口のバスセンターみたいな所から市役所前に停まるバスに乗って行きます。

料金は120円、バスもあっという間です。

2021年02月18日 浅間治部少輔太一
浜松城



コンパクトながらも石垣、門、復元天守と揃っているので見応えありです。
門の復元VTRは見やすく作られており面白かったです。


2021年01月16日 しんトラ
天守門[浜松城  遺構・復元物]

続100名城のスタンプはこちらの入口にありました。

2020年11月08日 ばらく~だ
浜松城



天守には入れないですが、御城印と続100名城スタンプは天守門で入手できます。築城450年記念御城印もゲットできました💪


2020年11月08日 ひ〜ふ〜
浜松城

現在、浜松城の天守は展示リニューアルの為、入城出来ませんでした。今年いっぱいは休館、来年からのスタートだそうです〜(^_^;)

2020年10月19日 ダイナゴン
浜松城

浜松城天守閣と浜松市美術館があります。
徳川家康像などもあり見応えあります。

2020年10月18日 【城郭道】尾張守たっきー
浜松城



浜松城の櫓や門などの古写真を探しているそうです。何か持っている方は問い合わせてみてはいかがでしょうか。
写真は浜松城公園駐車場のトイレ付近にありました。
そういえば最近、江戸時代前期の浜松城の古地図が見つかったそうですね。


2020年09月27日 【城郭道】尾張守たっきー
トイレ[浜松城  トイレ]



浜松城公園駐車場にトイレがあります。外観が意識されていて、いい感じです。

2020年09月26日 【城郭道】尾張守たっきー
御城印[浜松城  御城印]



浜松城天守一階で御城印が二種類販売されています。普通版と築城450年バージョンがあります。両方300円なのでお土産にどうぞどうぞ。
袋は御城印購入の際についてきました。というか御城印が入っていました…。

2020年09月26日 まっすー
浜松城

天守からの眺めと復元された天守門、周辺の野面積みの石垣が古風な感じを出してます。また桜の季節は綺麗です。

2020年08月21日 シン・空気清浄機王参議
天守[浜松城  関連施設]

御城印は天守入り口で買えます。今年は450周年記念モデルも有りました!

2020年07月04日 陸奥守たろす
御城印[浜松城  御城印]



「徳川家康公築城450年記念登城御城印」
◆2020.4.1より取り扱い開始
◆通常御城印同様、天守チケット売り場にて¥300
◆黒地に金文字が映えます♪

2020年05月06日 能登守さとみっくす
天守門[浜松城  遺構・復元物]

2014年復元されました。なかなか立派な門で、中にも入れます。

2020年04月12日 本多兵部丞忠政公
浜松城

GW開けまでコロナの影響で天守に入れません(;A;)あくまで予定との事なので延びる可能性大との事です。御城印は天守でしか買えないので今は入手できません

2019年10月08日 ⁂北条兵部大輔氏康⁂
浜松城

浜松城からかなり離れていますが、浜松市浜北区にある長泉寺に浜松藩主 井上正直の下屋敷から移築した、屋敷門が現存しています。

2019年05月22日 三河武士
浜松城



夜、ライトアップされた浜松城です。
三方ヶ原合戦の際、城に撤退する将兵の目印になるよう家康は篝火を焚き、煌々と城を夜の闇に浮かび上がらせた。
という逸話の情景が浮かびます。

※三方ヶ原合戦時、天守や石垣があったかは疑問が残りますが‥

2019年04月26日 七代目尾張守宗春
駐車場[浜松城  駐車場]

私が訪れた時は無料でした。

2018年10月20日 赤かぶ【】
浜松城

天守内にて登城記念の御朱印(300円)が購入出来ます。
4年前くらいに訪れた時は無かったように思いますが?!最近 御朱印を頂けるお城が増えましたね!

2018年07月22日 柏木相模守マサカド
浜松城

写真の石碑・説明板は、浜松市中区連尺町217-10の大手門ビルの前のR152沿いにあります。大手門は浜松城の南端部に位置し、北北西の方角に天守があります。連尺交差点を東西を走る道(R152とR257)のうち、複合施設のビオラ田町~紺屋町交差点は堀か堀沿いの道を転用していると思われます。

また、南北を走るR152(大手通り:説明板と平行して走っている大通り)は屋敷や三の丸・二の丸と境を接する通りを拡張した形となり、北上すると古城にあたる曳馬城(引馬城)(現:浜松元城町東照宮[浜松市中区元城町111-2])があります。

門に向かって左側の柱が石碑辺りにあり、右側の柱は中央分離帯かそれを過ぎた反対車線辺りにありました。縄張図と現代の対比では「城彩 jyo-sai.com.」に載っている図が分かり易かったです。

2017年08月05日 織田上総介晃司
浜松城

浜松城公園の駐車場がありますが、21:00~翌8:00まで閉まってますので夜討ち朝駆けの方は市役所の駐車場へ。

浜松城の最大の特徴は野面積みの石垣。
荒々しいが400年もの風雪、戦災にも耐えた力強い石垣です。

以前は天守のみだったが、天守門の復元で本丸の風景は良くなった。

浜松市は餃子の街。フライパンで焼くため丸く焼き、もやしをトッピング。浜松に来たらぜひ。

2017年05月13日 課長大和守side-B
浜松城

2014年に復元された天守曲輪の櫓門は天守閣入場券にて見学可能です。
内部はまだ真新しい感じですが、復元工事のVTRや発掘された遺物の展示が行われています。

また浜松城公園の大通りを挟んで東側の小高い場所に浜松城の前身である曳馬城跡があります。
現在は元城町東照宮となっていますが現在もその地形は城を思わせるモノでした。
城跡碑、説明板、徳川家康・木下藤吉郎像などありますので併せて訪問されると良いと思います。

2016年03月21日 カリンコーヒー
浜松城

3月20日の日曜日に行ったところ、駐車場は無料でした。
地下の井戸から天守閣まで楽しい所です。
アプリとしては浜松駅で攻略済みになりますが、実際に行った方が楽しいです。

2016年02月24日 井伊直虎
浜松城

駅の近くだから、しかたないけど、無料の駐車場を作って欲しいです。
でも、天守閣の最上階からの景色は絶景でした。




2015年12月31日 右衛門督かげちゃんⅢ号
浜松城

浜松城公園の駐車場は、21:00まで開いてます。
浜松城公園と隣のホテルコンコルド浜松の間にある細い道を北(奥?)の方に行くと、徳川軍が武田軍に反撃の夜襲を仕掛けて武田軍の兵士を突き落とした”犀ヶ崖”に出ます。

2014年08月21日 ひがしー左衛門佐
浜松城

金沢から青春18切符使用で浜松まで遠征

本日、県民デーにて無料開放

家康登用で、天下人3人登用完了


2013年05月05日 はやえもん壱岐守行動休息中
浜松城

諏訪神社から徒歩約15分くらいに市役所があり、そこの細い階段を登っていくと城があります。入場料150円…

天守閣は工事のために網がかけてありました

中にはスタンプと記念メダルがありメダルは400円でした文字も入れる事が出来値段は30円です。

2012年08月26日 【隠者】史学会帰新参
浜松城

天守曲輪の櫓門を復元するそうです。今年の秋から工事開始で2014春完成予定だそうです。天守閣の人に聞きました。

2012年07月08日 
浜松城

天守から三方ヶ原古戦場が遠くに見渡せます(案内板あり)
家康時代から残る石垣と公園内の庭園も見所でした


2012年03月04日 鳳雛SASlov優彩
浜松城

浜松城近くの東照宮に曳馬城跡が有ります

2010年07月26日 徳川内大臣源朝臣康武
浜松城

[武将像]徳川家康像
本丸跡に鎮座。
各地にある神君像で、唯一スマート(笑)でも実は、恰幅がよくなったのは老齢になってから。浜松城時代の姿として、この像は正しいと思われます。

浜松城の周辺スポット情報

 徳川秀忠誕生の井戸(遺構・復元物)

 清水曲輪(遺構・復元物)

 富士見櫓跡(遺構・復元物)

 天守門(遺構・復元物)

 屏風折れの石垣(遺構・復元物)

 家康公鎧掛松(遺構・復元物)

 堀尾時代の櫓跡(遺構・復元物)

 土塁の痕跡(遺構・復元物)

 本丸南面石垣(遺構・復元物)

 井戸(遺構・復元物)

 天守(遺構・復元物)

 煙硝蔵 推定地(遺構・復元物)

 天守地下井戸(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 玄黙口(碑・説明板)

 本多忠勝屋敷推定地(碑・説明板)

 二の丸跡(碑・説明板)

 大手門跡(碑・説明板)

 出丸(鳥居曲輪)(碑・説明板)

 鉄門(碑・説明板)

 作左曲輪跡(碑・説明板)

 馬冷池(碑・説明板)

 浜松城の変遷・家康在城期の浜松城(碑・説明板)

 登り塀(碑・説明板)

 松下之綱屋敷推定地(碑・説明板)

 下垂口(碑・説明板)

 鳥居元忠屋敷推定地(碑・説明板)

 本多重次屋敷推定地(碑・説明板)

 家康公在城期の堀跡(碑・説明板)

 山家三方衆 屋敷推定地(碑・説明板)

 本丸南の空堀(碑・説明板)

 清水曲輪跡(碑・説明板)

 高札場跡(碑・説明板)

 蛇屋敷跡(碑・説明板)

 浜松藩の馬場跡(碑・説明板)

 夏目次郎左衛門吉信の碑 (碑・説明板)

 本多肥後守忠真の碑(碑・説明板)

 大菩薩坂(碑・説明板)

 信玄街道(碑・説明板)

 曳馬城(周辺城郭)

 欠下城(周辺城郭)

 鴨江城(周辺城郭)

 五社神社・諏訪神社(寺社・史跡)

 西来院(寺社・史跡)

 椿姫観音(寺社・史跡)

 普済寺(寺社・史跡)

 浜松八幡宮(寺社・史跡)

 元城町東照宮(寺社・史跡)

 浜松秋葉神社(寺社・史跡)

 鴨江寺(寺社・史跡)

 遠江分器稲荷神社(寺社・史跡)

 御城印(御城印)

 浜松城天守閣1階(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 天守(関連施設)

 浜松市美術館(関連施設)

 浜松市博物館(関連施設)

 浜松市立中央図書館(関連施設)

 犀ヶ崖資料館(関連施設)

 浜松城公園(関連施設)

 展望広場(その他)

 犀ヶ崖古戦場(その他)

 家康を守った「雲立楠」(その他)

 若き日の家康公像(その他)

 顔出しパネル(その他)

 太刀洗いの池(その他)

 二公像(その他)

 阿弥陀橋之跡(その他)

 家康公お手植みかん(その他)

 新選組隊士・中島登 住居跡地(その他)

 浜松城跡35次発掘調査(その他)

 元城小学校跡(その他)

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