三岳城(みたけじょう)
三岳城の基本情報
通称・別名
- 三嶽城、井伊城
所在地
- 静岡県浜松市浜名区引佐町三岳字城山
旧国名
- 遠江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 井伊道政
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 井伊氏、斯波氏、今川氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、帯曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、枡形
指定文化財
- 国史跡(三岳城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
井伊谷城(静岡県浜松市)[2.6km]
大平城(静岡県浜松市)[5.3km]
刑部城(静岡県浜松市)[6.1km]
田沢城(静岡県浜松市)[8.4km]
鳥羽山城(静岡県浜松市)[10.5km]
二俣城(静岡県浜松市)[10.8km]
堀江城(静岡県浜松市)[11.9km]
千頭峯城(静岡県浜松市)[12.5km]
長篠城(愛知県新城市)[14.3km]
宇利城(愛知県新城市)[14.5km]
三岳城の解説文
三岳城の口コミ情報
2024年07月08日 尾張守えりっき
三岳城
遺構はほとんど残っていませんが、浜松方面の眺望が良いです♪
2024年03月31日 桃主膳佑
三岳城
険しい山道を約30分、本丸からの眺望に疲れも吹き飛びます!本丸西側の石垣は必見!! トレッキングシューズ、ポールは必需品。軍手があると良いかも。女子は麓のコンビニ等でトイレを済ませておくことをオススメします。
2024年02月09日 RED副将軍
井平城[三岳城 周辺城郭]
井伊氏重臣である井平氏の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1573年に井平直種により築城。
井平氏は井伊氏の庶流であり、1245年に井伊直時が井平と花平を領し井平氏を称したのが始まりとされます。
井平氏は井伊氏の重臣として仕えましたが、1572年に武田信玄の侵攻により小屋山城が落城、当主の井平直成は討死して一時断絶となりました。
しかし1573年に井伊直平の子である直種が井平氏を継いで殿村に築いたのが井平城です。
1590年の豊臣秀吉による小田原攻めにおいて井平直種の嫡子である井平弥三郎が井伊直政に従い参戦するも討死し井平氏は滅亡しました。
見所
遠江と三河の国境に位置し標高300mの山塊の尾根上に築かれた鳳来寺街道を押さえる要衝です。
主郭は標高137m付近にあり、現在は民家となっています。
南に伸びた東西二つの尾根とその谷間に一部農地化による改変もありますが遺構が残存しています。
郭の他に土塁、竪堀、井戸などが認められます。
大河ドラマ「おんな城主直虎」に合わせて駐車場が設置され城域も整備されました。
2023年01月01日 大蔵丞とおとうみ
三岳城
令和四年大晦日『三岳城』【三岳山)・三岳神社駐車場より徒歩30分急登有り】をリア攻め‼︎ 眺望よし! 浜名湖や浜松アクトタワー(地上45階212m)が見えます。 近くに来年の干支の名前か入った『兎荷山』(徒歩15分ほど)があります。
2022年11月11日 コナン遠江守
三岳城
三岳神社の駐車場に車を停めて、約500mの山道を登ること30分で本曲輪です。天気が良ければ、本曲輪から浜松市街を一望できます。かなりきつい登り坂ですが、登った甲斐はあります。
2021年07月25日 木工頭ゆきひさ
三岳城
どしゃ降りの通り雨のあと、初めてのリア攻め。参道から登りました。
鳥のさえずりのみの静けさの中ブンブンという虫の羽音や倒れた木のきしむ音にビクビクしながら登った先は絶景でした。
2021年07月19日 なりぶ
三岳城
2021年7月現在 井伊谷方面から三岳神社に向かうと神社手前で車道通行止めになってます。川名方面から迂回して下さいとの工事看板出てます。
2021年02月11日 ギア右近衛大将
井平城[三岳城 周辺城郭]
井伊氏の分家、井平氏の城です。駐車場はあります。整備もされていて見やすい城です。街道を取り込んだ城で、旧道の表示もあります。本郭は現在民家が立っているので、入る事が出来ません。
2019年04月21日 ギア右近衛大将
三岳城
2019年4月21日現在では、通行止めが解除されており、自由に登ることができます。急な斜面を登って行くので、滑らない靴を履いていった方が良いです。西曲輪周辺は切岸を上り下りするように道が続いてるので、歩くのが大変でした。
2018年12月10日 ぐっち
三岳城
2018年12月9日に訪問しましたが、倒木のため立ち入り禁止になってました。いつから立ち入り禁止になっていたのか分かりませんが浜松市のホームページにも情報が無かったので、これから訪問予定の方は参考にしてください。
2018年01月17日 カーネル
三岳城
天竜浜名湖鉄道の金指駅から、北に直線で3.9kmです
麓の三岳神社に向けて、駅から生活道路を北上すると、いきなり登りで心を打ち砕かれます
車通りの少ない舗装路を登り続けると、3km手前なのに道端に小さい三岳城址の看板もありました
駅をでた時に、遠くに山があるけどあんなところまで行きたくないなぁ。と思ってた山が近づく
舗装路の傾斜がきつくなりと、標識も増えます。
車道を進むと、鳥居があり三岳神社の参道の石階段がありますが、見上げる角度で辛かった。早歩きして、1時間ちょいで三岳神社
ここから西へ山道を500m進みます。途中では、二ノ丸へ往復してから本丸へ
本丸から西の曲輪を目指すがわからず、結局となりのピークまで往復してしまった
暗くなってきたので、かなり早く歩いたけど往復3時間かかりました。舗装路が多く疲れた
2016年12月21日 もりちゃん
三岳城
三岳神社に車をとめて登城できます。トイレも簡易トイレが一つありました。本丸までは、ちょっとした登山です。私は40分ほどかかりましたが、山頂からの眺めは良かったです。堀切や土塁といった城跡はちょっとわかりませんでしたが、運動不足解消もかねてる私にはたまにはこんな城跡巡りも良いですね。
2010年09月12日 三河守コーキしゃん
三岳城
山頂の見晴らしは最高でした
遺構
浜名湖の北岸、標高466.8mの三岳山山頂に築かれている。眼下には井伊谷から長篠方面、本坂峠越えで豊川方面、大平城を経由して二俣方面へ通じる街道を見下ろす好立地だ。三岳神社から登ると、西側の曲輪群と東側の曲輪群を分断する堀切に到達する。東西二郭に分かれる構造だ。
西側は、本曲輪を中心に細い帯曲輪と東側の曲輪で構成される。本曲輪西側には雛壇状に帯曲輪が展開し、外側に土塁を伴う二重堀切が配置されている。一部は岩盤が掘り抜かれている。
東側の曲輪群は造成度が低く、地形を利用したなだらかで面積の広い曲輪が連なる。本曲輪の曲輪群が西側の尾根筋からの侵入を警戒しているのに対し、こちらは駐屯するための曲輪群と思われる。東端は堀切と土塁で防御性を高めている。本曲輪西側の堀切や土塁とは規模が異なることから、改修の時期差が指摘され、本曲輪群は永禄年間、東の曲輪群は元亀~天正2年(1574)頃の改修という推察がある。
本曲輪からは浜名湖が見渡せ、眺望が楽しめる。
歴史
暦応2~3年(1339~1340)、南朝方の後醍醐天皇の皇子である宗良親王とともに、井伊道政が三岳城に籠もったとされる。この地域では南朝方の城と中世寺院が密接に関わっていたようで、三岳城も中世寺院を山城として利用したとみられる。本曲輪では13~16世紀の陶磁器が見つかり、三岳神社に関連した施設が山頂に存在している。暦応3年(1340)に北朝方に攻められて三岳城は落城し、道政と宗良親王は大平城へ逃れたが、その大平城も落城した。
戦国時代に遠江の守護職をめぐり斯波氏と今川氏が争うようになると、井伊氏は斯波氏に臣従。しかし永正11年(1514)に今川軍の猛攻を受けて落城し、井伊氏は奥山城に逃れ、やがて今川氏に降った。
交通
・天竜浜名湖鉄道金指駅から車で約20分で三岳神社(登城口)。参考文献
・『静岡の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2009年