宇利城(うりじょう)
宇利城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県新城市中宇利字伝田
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 熊谷重実
築城年
- 文明年間(1469〜1487)
主な改修者
- -
主な城主
- 熊谷氏、菅沼氏、近藤氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、井戸跡
指定文化財
- 県史跡(宇利城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
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宇利城の解説文
宇利城の口コミ情報
2024年03月17日 樹信濃守義輝
宇利城
駐車場から10分程で山道に。山道を20分程登れば本丸です。特に階段が整備されてる様子もなく、こんな悪路を攻め登ったのかと、当時の人間の体力は化け物だなと改めて思いました。
2024年02月12日 あだち西市正
宇利城
宇利城に車で行く人は専用駐車場有り(6台程度)登城口迄歩きで10分近くで行けます。本丸跡迄は割かし整備されているので登り易い。だが本丸周辺しか見る所が無いです。
2023年03月16日 みその対馬守
宇利城
駐車場も整備されていました。主郭まで行きましたが、姫御殿は立ち入り禁止、堀底道の奥も立ち入り禁止でした。あまり整備されていなく残念。主郭の土塁は、見応えあり。
2022年12月04日 瑛実遠江守来之輔
宇利城
駐車場〜登山口〜本郭までは問題なく攻められます。それより先は草が生い茂っており、納所平、裏山方面を攻めるにはヤブ漕ぎが必要です。
2022年10月30日 みずきあかり 美濃守
宇利城
先週の山城サミットで誘われて訪問しました。駐車場から本丸までは30分の案内でしたが20分かからず到着しました。いい感じの山城でしたが、帰り道でひっつきぼぼがジーパンと靴にめちぇめちゃくっついててショック!
2022年07月24日 在来線男右京進
宇利城
県道81号線の横に看板と駐車場があります。城跡の地図もあるので行きやすいです。田んぼの畦道はちょっと草が伸びていますが登城する道は高い木が生い茂っているおかげで草は生えていません。ただ枯れ葉が多いので注意が必要です。本丸は広いけど、石碑が2つあるだけです。ゆっくり来ると20分くらいかかります。
2022年02月01日 コナン遠江守
松平右京亮の墓[宇利城 碑・説明板]
宇利城の戦いで討死した松平右京亮親盛(松平清康の叔父)の慰霊碑です。
親盛は大手を攻めたが、搦手を攻めた信定が戦況不利と見て退却したため、城方の反撃にあい、討死しました。
2022年02月01日 コナン遠江守
納所平の曲輪[宇利城 遺構・復元物]
物見櫓跡からかなり急な坂を降りた先にある曲輪です。曲輪には立ち入れないようになっていました。
主郭との間は空堀が残っています。
2022年02月01日 コナン遠江守
物見櫓跡[宇利城 遺構・復元物]
主郭の北端に2m程の高まりがあり、物見櫓跡と考えられています。
2022年01月31日 コナン遠江守
石垣[宇利城 遺構・復元物]
草の生い茂る足場の悪い道の先にあります。
石垣というよりは、切岸の崩落を防ぐための石積という印象です。
2022年01月31日 コナン遠江守
熊谷備中守實長碑[宇利城 碑・説明板]
宇利城の戦い時の城主·熊谷實長の石碑です。源平合戦で活躍した熊谷直実の末裔といわれています。
2022年01月31日 コナン遠江守
井戸跡[宇利城 遺構・復元物]
1m四方の石に囲まれた小さな井戸跡です。大手の通り道にありますが、注意しないと見逃してしまいます。
2021年05月23日 Yana右兵衛督
宇利城
小川を渡って左手に進むとプレートがあります。そこから少し急な山道を登って行きます。足もとがあまり良くないので、雨の日は滑りやすいと思います。
2021年02月22日 どし治部卿
宇利城
駐車場から本丸までは30分程度で着きます。
ただ、少し坂がきついのと、石垣がある場所はシダに覆われてしまっていてよく見えませんでした。
道もシダに覆われているので危ないです。
2020年09月24日 ぽ~
宇利城
現在の状況は登城道は少し荒れています。所々滑るので登りやすい靴、蜘蛛の巣&蛇もあるのでストック持参をオススメします。
2020年03月15日 しげぽん
宇利城
県道沿いの駐車場から主郭までは15分から20分程度です。登城路もしっかり整備されてます
2020年03月05日 陸奥守たろす
宇利城
御城印は「設楽原歴史資料館」にて入手(300円/枚)できます。
設楽原歴史資料館では他にも近隣の「野田城」「新城城」と「設楽原」の御城印も入手可能。
2017年01月31日 こそっと名古屋城じゃ
宇利城
折角遠くまで来たので、病み上がりだけど登城した。登りがきつく死ぬかと思いました。もう一度元気になったら行きたいと思える城跡です。
2016年01月03日 カーネル
宇利城
宇利城は飯田線の新城駅の南東にあります。が、城の入口は南なので、駅から向かうと、山の反対側に回り込む必要があります
また宇利城まで行くには、宇利城とは別の低い山を越える必要があり遠いです
駅から国道301号を通って豊川を超え、あとはひたすら真っ直ぐ。お城の南にある県道81号に合流したら東へ
進むと道沿いに看板があり、田んぼに登山口があります
宇利城城自体はサクサクっと登れる山で、御馬屋平や本丸裏の石垣など、見どころもたくさんあるので、楽しめます
往復4時間かかりました。歩きでは二度と行きたくないと思いました(車なら、また行きたいです)
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2013年01月04日 三河守コーキしゃん
宇利城
県道81号線、「中宇利」の信号に案内板があります。
案内板に沿って進んで行くと、田んぼの中に「宇利城入り口」の看板があり、その前にクルマを2台程駐車できるスペースがあります。
入り口から15分程歩くと主郭部に入り、本丸の西側には石垣(石積み)があります。
「石垣」の看板がありますが、足場が悪いので、注意が必要です。
他にも郭跡、土塁、堀切等、良好に残っているのでとても山城を堪能できると思います。
2011年09月29日 織田上総介弘続
宇利城
たんぼから、山頂の道あり
2011年09月29日 たかじん。常陸介
宇利城
田んぼ付近にある案内看板からイッポンの山道をひたすら歩いた山頂に石碑などがあります!!(^o^)/
遺構
遠江の国境に近く、三河の新城から遠江の引佐へ通じる、陣座峠、瓶割峠、宇利峠越えを押さえる標高165mの山上に築かれている。山頂に置かれた中心となる曲輪は、中央の通路を挟んで東西2つに分かれている。西側の曲輪が主郭とされ、東側は姫御殿と呼ばれている。
主郭は東・西・北面に土塁がめぐる。中でも北面の土塁は高さがあり、北端部には櫓があった可能性が指摘されている。北面直下は高い切岸と横堀で遮断され、その先には納所平と呼ばれる曲輪が広がる。納所平の両端には横堀があり、北端は大きな堀切が設けられて背後との連絡を遮断している。
姫御殿は主郭よりやや高く、東斜面と南東斜面に曲輪が階段状に連なっている。東側の尾根上には御馬屋平と呼ばれる曲輪があり、東から北側にかけて横堀がめぐっている。
土塁の基底部や曲輪の斜面などに残る石積みも、見どころのひとつだ。姫御殿から南東側の斜面には、宇利城の戦いで討ち死にした松平右京亮の墓碑がある。
歴史
築城年代は定かではないが、源平合戦で名を馳せた熊谷直実の後裔である熊谷氏が築いたとされる。熊谷重実が畠山義統に従って文明5年(1473)に宇利に移住し、義統の死後に遺領を領したことで宇利城主となったようだ。宇利城は、享禄2年(1529)の宇利城の戦いの舞台となったことで知られる。熊谷氏は駿河の今川氏親に属していたが、氏親の死後、三河統一を目指す松平清康に侵攻され、落城。熾烈を極めた攻防の様子が伝えられる。
熊谷氏以降は菅沼氏の後、永禄5年(1562)の落城を経て、永禄6年(1563)に近藤信用(康用)が城主となった。信用は永禄11年(1568)、徳川家康の遠州攻めの際に今川方から離反した「井伊谷三人衆」のひとりとして知られる。武田氏の侵攻を受けた際も宇利城を守り抜いたが、その後は柿本城へ移ったとされ、宇利城の廃城時期は定かではない。
交通
・JR飯田線新城駅から車で約15分参考文献
・『東海の名城を歩く 愛知・三重編』吉川弘文館、2020年・『愛知の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2010年