大平城(おいだいらじょう)
大平城の基本情報
通称・別名
- 大退羅城
所在地
- 静岡県浜松市浜名区大平字城山
旧国名
- 遠江国
分類・構造
- 複郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 井伊氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- 市史跡(大平城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
三岳城(静岡県浜松市)[5.3km]
鳥羽山城(静岡県浜松市)[5.4km]
二俣城(静岡県浜松市)[5.7km]
井伊谷城(静岡県浜松市)[7.2km]
刑部城(静岡県浜松市)[9.4km]
社山城(静岡県磐田市)[10.2km]
匂坂城(静岡県磐田市)[12.0km]
田沢城(静岡県浜松市)[12.3km]
中日向城(静岡県浜松市)[15.1km]
堀江城(静岡県浜松市)[15.3km]
大平城の口コミ情報
2024年01月04日 mootze
大平城
南側、神社付近から、登ったけど、シダや他の木々で、覆われて、道が、わからなくなってます、皆様気をつけましょう、
2023年07月02日 RED副将軍
大平城
東西に伸びる尾根を利用した南北朝期の連郭式山城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
大平城(おいだいらじょう)と読みます
築城年代は不詳。南北朝時代に三岳城の支城として井伊氏により築かれたとされます。
井伊氏は、南朝方の勢力であり、後醍醐天皇に協力し皇子の宗良親王を庇護しました。
1339年より北朝方の高師泰が侵攻を開始し、翌1340年には三岳城、井伊谷城が北朝方の足利勢に攻められて落城し、宗良親王は大平城に逃れました。しかし大平城も落城し、宗良親王は信濃へ落ち延びたと伝わります。
その後の大平城の記録はありませんが、発掘調査により13世紀から16世紀にかけての陶磁器が発掘されていることから戦国時代まで利用はされた様です。
見所
灰木川北岸にある標高102mの山陵に築かれています。
主郭をピークに配し、東西に伸びる尾根上に郭が連なる連郭式。南に鞍部を隔てた先に出郭もあります。
主郭から東へ伸びた尾根には東尾根曲輪群が連なり先端は堀切で遮断されており、主郭の西から南西に伸びた尾根には西曲輪があり、こちらも先端は堀切で遮断されています。
主郭と西曲輪から北へ伸びたそれぞれの尾根にも堀切があります。
戦国時代まで使われた様ですが重要度は低かったのか改修はされなかった様で、南北朝時代の自然地形に堀切を主体としたプリミティブな城郭の印象です。
行き方は、県道68号沿いに大きな案内板が立ち、広い駐車スペースもあります。
駐車スペースから西側に階段があり登り着いた先に五体力神社がありその上は主郭でなく出郭になります。
主郭は鞍部を挟んだ更に北側であり出郭からはヤブっているため到達は困難です。
主郭は駐車スペースから東に行くと非常に分かりにくいですが登城口があります。比高は70mくらいですが、年中シダが生い茂っていますのでご注意下さい。
2021年03月02日 おんな城主 直虎
大平城
案内図の向かって左横に五体力神社まで登る急勾配な石段が有り、神社右横を通り過ぎたら登城路が始まります。
途中シダが生い茂る辺りは道を見失うほど分かりづらく、春~秋に行かれる方は要注意です。
人があまり立ち入らないせいか、遺構は綺麗に残されています。
隣の三岳城との関連性を予習してから訪れると、より理解が深まると思います。
下山する帰路で迷子にならないよう、くれぐれも気を付けて下さいね。
2020年05月08日 しげぽん
大平城
駐車場から約15分くらいで本曲輪まで辿りつけます。五体力神社の右側から登城できますが、途中道が細くシダ植物が生い茂っているので道を間違わないように注意が必要です。特に出曲輪から先、一旦細道の激下りがあり、さらに植物に隠れてるので気合を入れて突進してください。あと地面がすべりやすいので雨天翌日などは避けてください
2013年10月20日 三河守コーキしゃん
大平城
新東名高速道路浜松SAの北側(県道68号線沿い)にある五体力神社の背後の山が城跡です。
道沿いに大きな看板と説明板があるのですぐに分かると思います。
説明板の前に4、5台分の駐車スペースがありトイレはありません。
神社の脇から登って行けます。
本曲輪を中心に東西南北の尾根が曲輪になっていて、それぞれ堀切で断ち切られています。
中世の古いお城なので縄張りは単純ですが、西と東の曲輪の堀切は深く、とても見応えがあります。