堀江城(ほりえじょう)

堀江城の基本情報

通称・別名

堀江要害、佐田城、黒山城、(堀江陣屋)

所在地

静岡県浜松市西区館山寺町堀江

旧国名

遠江国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

大沢基久

築城年

貞治年間(1362〜1368)

主な改修者

主な城主

大沢氏

廃城年

遺構

曲輪

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

刑部城(静岡県浜松市)[6.0km]
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堀江城の解説文



堀江城(ほりえじょう)は、遠江国敷知郡(現在の静岡県浜松市西区舘山寺町)にあった城。江戸時代には堀江陣屋(ほりえじんや)と称されて高家旗本大沢家の陣屋となった。

== 概要==

大沢基久が鎌倉時代に築城したと伝えられている。

戦国時代も大沢氏が城主であったが、今川氏の勢力下に入り、宇津山城、浜名城などとともに、三河に対する抑えとして機能した。

永禄12年(1569年)、大沢基胤は徳川家康に攻められ、遠江における今川方最後の拠点として激しく防戦したが、結局は和睦する形で降伏した。

元亀3年12月23日(1573年1月26日)、三方ヶ原の戦いで勝利した武田信玄が自ら堀江城を攻撃するが、井伊谷衆の支援を受けた大沢勢の奮闘と天候の悪化によって、4日後に撤退している。歴史学者の平山優は、堀江城と浜名湖を挟んだ宇津山城が三河国と浜松城を結ぶ浜名湖水運の拠点であり、三方ヶ原の戦い自体が堀江城を落として浜松城を兵糧攻め(もしくは城の放棄に追い込む)にしようとする武田軍とそれを阻止しようとする徳川軍の戦いであった可能性を指摘している[1][2]

基胤の子、大沢基宿は1550石を与えられ旗本になり、慶長8年(1603年)に高家となり幕末まで続いた。だが、明治維新に乗じて不正に石直しを申告して大名になろうと画策して一旦は成功したものの、廃藩置県後に不正が発覚して処罰された(堀江藩)。

現在は舘山寺温泉となり、遠鉄観光開発が経営する遊園地浜名湖パルパルや旅館ホテル九重の敷地になっており、遺構は残っていない。

堀江城の口コミ情報

2022年12月30日 かげちゃん参號
クシタニカフェ舘山寺[堀江城  その他]

浜松のバイクウェアメーカーのクシタニが、運営するカフェです。旅館だった建物をカフェに改装してオープンしました。ライダーじゃなくても来店は大歓迎ですので、浜松&豊橋近辺の城巡りの休憩がてら寄ってみてはどうでしょうか?

2010年06月12日 徳川内大臣源朝臣康武
堀江城

明治維新のドサクサに紛れて、浜名湖の湖面を石高に上乗せし、大名に列してもらおうとしてバレた大沢氏です。
現地の周辺案内図に「堀江城地蔵」とあり、探しましたが、某ホテルの私有地内にあるらしく、見つけることができませんでした。泊まると見られるかも。
城跡に建つ旅館堀江の庄に、由来を記す額があります。

堀江城の周辺スポット情報

 本曲輪跡(碑・説明板)

 志津城(周辺城郭)

 クシタニカフェ舘山寺(その他)

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