忍城(おしじょう)

忍城の基本情報

通称・別名

忍の浮き城、亀城

所在地

埼玉県行田市本丸17-23

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

層塔型御三階櫓[3重/1701年築/破却(廃城)]、層塔型御三階櫓[3重3階/1988年再/RC造外観復興]

築城主

成田氏

築城年

延徳2年(1490)

主な改修者

主な城主

成田氏、松平氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、土塁、横堀(水堀)、移築門

指定文化財

県旧跡(忍城跡)

再建造物

櫓、模擬門、石碑、説明板

周辺の城

皿尾城(埼玉県行田市)[1.2km]
石田堤(埼玉県鴻巣市)[4.1km]
成田氏館(埼玉県熊谷市)[4.5km]
中条氏館(埼玉県熊谷市)[6.5km]
箕田館(埼玉県鴻巣市)[6.7km]

忍城の解説文

忍城(おしじょう)は、埼玉県行田市に存在した日本の城である。室町時代中期の文明年間に成田氏によって築城されたと伝えられており、北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地に点在する広大な沼地と自然堤防を生かした構造となっている。要害堅固な城であったことから戦国時代には関東七名城の一つ、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐に伴い発生した攻城戦の際、豊臣方の水攻めに耐え抜いた逸話から浮き城または亀城と称された。江戸時代に入ると忍藩の藩庁あるいは徳川氏の譜代大名や親藩の居城となり、阿部氏の時代には御三階櫓が新たに建設されるなどの城郭改修や城下町の整備が行われた。明治維新後、1871年(明治4年)の廃藩置県と同時に廃城となり、1873年(明治6年)に土塁の一部を残して取り壊されたが、城跡は県指定記念物の旧跡に指定されている。また、本丸跡には御三階櫓が再建され、水堀や沼地の一部は水城公園として整備されている。

歴史・沿革
戦国時代・安土桃山時代
1478年(文明10年)頃、地元の豪族であった成田正等・顕泰父子がこの地を支配していた扇谷上杉家に属する忍一族を滅ぼし、築城したといわれている。翌年、これに反発する扇谷上杉家に忍城を攻められるものの、同家の家宰太田道灌の仲介によって和解して以後、成田氏が領有した。河越夜戦後、北条氏が関東に勢力を伸ばすが、成田氏はこれに反発した。

1559年(永禄2年)、上杉謙信が関東に遠征してくると、成田氏はこれに恭順した。1561年(永禄4年)の上杉謙信による小田原城攻めには、当時の城主の成田長泰も参加している(小田原城の戦い)。しかし、鶴岡八幡宮での関東管領就任式後に離反。1574年(天正2年)には上杉謙信に忍城が包囲され、城下に火を放たれたが、持ちこたえている。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉の関東平定の際、城主・成田氏長は小田原城にて籠城。『忍城戦記』などによれば氏長の叔父・成田泰季を城代とし、約500人の侍や足軽のほか、雑兵、農民、町人など3,000人が忍城に立てこもった(忍城の戦い)。豊臣方の忍城攻めの総大将は石田三成で、大谷吉継、長束正家、真田昌幸等も加わった。三成は、本陣を忍城を一望する近くの丸墓山古墳(埼玉古墳群)に置き、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定し、総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設した。しかし忍城はついに落城せず、結局は小田原城が先に落城したことによる開城となった。このことが、忍の浮き城という別名の由来となった。

江戸時代
徳川家康の関東入部後は、家康の四男の松平忠吉が忍城に配置され、以後、忍藩10万石の政庁となった。1639年(寛永16年)に老中・阿部忠秋が入ると城の拡張整備が行われ、往事の縄張りは1702年(元禄15年)頃に完成したと考えられている。

1823年(文政6年)に阿部氏が白河に移り、桑名から松平忠堯(奥平松平氏)が入った。

忍城の城下町は、中山道の裏街道宿場町としての機能や、付近を流れる利根川の水運を利用した物流路としての機能を兼ね備えて繁栄する。また江戸時代後期からは、足袋の産地として名をはせるようになる。

明治時代から昭和10年代
廃藩置県に伴い「忍県」の県庁が二の丸に置かれたが、その後廃城となって城内の構造物はほとんどが撤去され、城跡は公園(成田公園、後に忍公園)として整備された。

戦後...

忍城の口コミ情報

土塁ルイ様[2017年08月18日]
忍城はその地形を生かし、一大貯水池を城の守りとして縄張りされました。

忍城を取り巻く堀や沼は、利根川や星川の水を北の「大樋」より引き込み、南の「沼尻の樋」で排水し水量調節を行っていました。
両所は城の生命線として、「大樋」は春日神社の森で隠され重臣正木丹波守が守護し、「沼尻の樋」は佐間天神社の森が覆い隠していました。

「大樋」を閉めれば水源が断たれ「沼尻の樋」を開ければ水は干上がる・・。三成がこの構造に気付いていれば、水を枯らす作戦の方が有効だったかもしれません。

海之守様[2017年06月17日]
向かいの諏訪神社では、
のぼうの城と入った
御朱印を記帳して頂けますよ

えっつー内匠允様[2017年05月26日]
行田市教育委員会郷土博物館の管轄です。

きよ丸様[2016年12月18日]
念願の忍城をとりました!ここは、埼玉県人の憧れ。地元の鉢形城はやぶれたけど、ここは秀吉から守れたのが好きです。

まるき〜淡路守様[2016年07月28日]
現地に忍城の城パンフが無い!

映画、のぼうの城のイメージで来たためか、立派な三階櫓があるのに違和感を覚えましたー!

現地に来て目を瞑って回りが水浸しになったのを想像してみたり、周りに土手(石田堤)を造られ包囲されていると考えると恐ろしくなりますな〜

現在の形を見ているとなかなか当時を想像できにくいですが、自分なりの想像力をいかに膨らませ、感じる事がその城の歴史の楽しみ方では無いかと実感!

ココはそういう意味で史実と物語が揃う所?

見学はそう広くないのでサクッと20分〜30分もあれば…

博物館には時間外の到着でしたが、係りの方と少しお話させて頂きました。
行田市郷土博物館にてジオラマや資料の展示がされていたり詳しい資料も販売されているようです。
無料駐車場あり、入館 大人200円

永眠武蔵守釋 葱進様[2016年07月03日]
忍城本丸があった辺りは現在市役所や郷土博物館が建っています。そんなこともあり、この辺りの現在の住所は「行田市本丸」となっています。
その博物館では、週末を中心に「おもてなし甲冑隊」による演舞を見ることができます(スケジュールは甲冑隊のサイトで確認を)。
博物館には忍城の模型や絵図その他歴史的資料が展示されており、三階櫓の最上階は展望室で現在の行田のまちを俯瞰できます(博物館は基本的に月曜休館)。
沼の名残と云われる水城公園は博物館から徒歩で10分ほど、時間があれば散策するのもよいでしょう。忍城からの散策路が整備されています。

駐車場は博物館隣にあるほか、週末等は市役所駐車場も観光客用に解放されるとのこと。
車以外なら、秩父鉄道行田市駅から歩く他に、JR行田駅やJR吹上駅からバスが運行されています(吹上からの博物館前バス停はズバリ「忍城」という)。

⛫武蔵の美濃守の謙様[2016年05月03日]
城郭基本情報では、忍城の築城時期を延徳2年(1490年)としているが、文明11年(1479年)に足利成氏が別符三河守に発給した書状(別符文書)には忍城の記述があり延徳2年の築城説は明確に否定されている。

また永享8年(1436年)の岩松持国本領所々注文では、忍城の在所である糯田郷は岩松氏領であったことが知られている。

糯田郷を成田氏が獲得したのは、寛正2年(1461年)に岩松持国が処刑された後の事と考えられている。

つまり忍城が築城されたのは寛正2年(1461年)から文明11年(1479年)の18年間の中であったと考えられている。

築城当時の関東は享徳の乱期に該当する。当時の成田氏の当主は、成田正等の父と考えられる成田下総守(法名は宗成)であろうか。

駿河守武蔵守様[2015年08月30日]
すぐ隣に無料駐車場が有ります。近くの十万石饅頭の本店が有るので、お土産にも困らないと思います。

片倉左衛門佐七之助様[2015年03月06日]
ご当地グルメ食べたい方は出来たら 月曜日が定休日の店多いので よく確認の上お訪ねください

青木右兵衛佐@真っ直熊厨様[2014年07月15日]
『のぼうの城』の影響で観光客が多い。忍藩が埼玉県内で有名な藩であるため、埼玉県立歴史と民俗の博物館に忍城の復元模型がある。昭和時代に忍城に関する石碑が複数造られたため、城下町に史跡を多く持つ。
忍城址内の行田市郷土博物館は、主に忍城に関する展示を行っている。図録としては『忍城址 水攻めと石田三成』があったそうだが、2014年7月15日現在はない。ただ、幕末に関しては『武門の縁』が残っている。現在、特別展として、『忍藩士の文化』が行われている。興味がある人は是非どうぞ。
忍城址前の忍東照宮は徳川宗家の徳川家達が建てた神社。御朱印帳は500円と安い(ページ数が少ないが)。

土塁ルイ様[2014年05月30日]
忍城は明治6年に取り壊しとなりましたが、建物として唯一残る城門(黒門)が、加須市不動ケ岡不動尊總願寺境内西側に移築されています。

片倉左衛門佐七之助様[2013年10月16日]
循環バスありますが、時間がちょうどよいのがなく、行田駅まで歩きました… 4㎞位

YMTKM様[2013年08月12日]
25台程の無料駐車場あり。敷地内にトイレもありますが、駐車場からはちょっと距離あり。
月曜休館のようです。

オーロラブレス様[2013年06月05日]
忍城の帰りにはB級グルメゼリーフライを外してはいけないと思います。個人的にはかねつき堂がオススメです。

三日陸奥守落人様[2012年12月29日]
現地には模擬天守が建つなど観光化されていますが、リアルな追想にこだわる方々は、ぜひ三成が本陣を置いた丸墓山から城を望まれることをお勧めします。
ここから三成と共に城を望んだであろう諸将は大谷吉継や長束正家、佐竹義宣、真田昌幸らですが、思えばこのメンバーって後の関ヶ原でみんな西軍についてるよな…みたいな考察も楽しかったです

ちなみに「日本最大の円墳」の丸墓山を含む「さきたま古墳群」自体も、大変見応えのある史跡&桜の名所です。

んな摂政な!マイリバ様[2012年10月16日]
甲斐姫贔屓の歴士・歴女の皆さまへ
今年の2月から埼玉新聞で甲斐姫を主人公にした小説「甲斐姫翔る」を連載していました
週4回、120回予定のため恐らく既に連載終了しているでしょうが、同社には出版部門もあることから、単行本化に期待しましょう(^^;

んな摂政な!マイリバ様[2012年10月16日]
埼玉のソウルスイーツ?十万石まんじゅうの「ふくさや」では10月21日まで「のぼうの城五人衆」まんじゅうを限定販売しています(^-^)/
さらに、10月19日から21日までは忍城御三階櫓(あくまで天守閣ではありませんよ)をモチーフした「浮き城サブレ『忍』」を販売します(^q^)

徳川内大臣源朝臣康武様[2012年07月27日]
行田市立郷土博物館(御三階櫓)は休館日多すぎーっ(*`Д´)ノ!!!いつ来ても大概休みだね(T^T)
現在、忍城やのぼう関連のグッズや土産品がたくさん出てます!(たくさん買っちゃった(^^))。
地元の映画への期待の大きさがわかる(^^)…だったら、休館日も開けろーっ(*`Д´)ノ!!!

野舘宮内少輔サラマンダー様[2012年03月18日]
2012年3月18日13時頃(90分)

本日は『のぼうの城イベント』があったので家族四人で行きました
無料駐車場が忍城と市役所にあります
城は復元で三層櫓(博物館)が一番目立っていましたが、とても小さくて一周20分位で回れてしまいました…
しかも肝心の甲冑体験、子供用が修理中…
イベントの鎧武者はとても迫力がありました

彩の国織部佑風香様[2011年06月15日]
甲斐姫伝説を最近知りました。のぼうの城も相まって行田市が元気でてきましたね。
B級グルメのフライとゼリーフライだけじゃネェ〜。
あっ!地味なさきたま古墳と古代蓮があったかぁ〜

ゆーこ様[2011年01月23日]
現在、各地に点在するおもてなし武将隊が、ここにも存在します。
おもてなし甲冑隊といいます。イケメンばっかなので、女性はぜひ一度見てみて。
男の人は、甲冑の出来を見てみて下さい。本格的です。

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年11月13日]
忍城の本丸跡に鉄塔やトランスたぐいの物が設置されていたのはガッカリだ

古楽侍従広家様[2010年09月25日]
今の研究では、日本で最後の水攻めが行われた城となります。
小説等で石田三成、真田信繁、甲斐姫、大谷吉継らの登場で脚光を浴びた水攻めですが、水攻めだけを見れば関東唯一という事が一番の注目点かもしれませんね。
城下にある松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の句碑も見て欲しいですね。

んな摂政な!マイリバ様[2010年09月07日]
小説「のぼうの城」の舞台として、この1~2年で認知度急上昇の城です
かなりモギーな三階櫓よりも小説の準主役級武将・正木丹波が開山した高源寺や水攻めの陣所となった丸墓山古墳&良好に遺構が残る石田堤等を巡るのに時間をかける方がオススメです
また、行田では関東最大の田んぼアートが開催されており、今年の題材はナント忍城三階櫓&「のぼう」こと成田長親
リアルなキャッスルハンターではなくても必見ですよ(「古代蓮の里」にて10月中旬まで見頃の予想です)

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore