升形城門跡
升形城門跡([忍城 碑・説明板])
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升形城門跡の口コミ情報
2019年08月11日 野呂利左衛門督休三
忍城史跡碑
「忍四番地一劃は忍城大手門外升形城門地内であり四―二九辺りに西向の門(虎口)四ー二二辺に南向の門があり大手橋を渡り 北の南面の大手門を入り 西に行き また四面の門があって内行田通りに出たのである 大手門の守りは固かった」
忍城十五門の一つ。四方を堀に囲まれ北側と南側に城門と土橋、西側に大手門へと繋がる木橋が架けられており、升形というよりは大手門角馬出と言った方がイメージしやすい形態です。
寛永十六(1639)年に阿部忠秋が忍城主になりますが、その直後の頃の「諸国当城之図 武州忍」には描かれており、その頃にはあったようです。江戸時代後期の文政年間忍城図だと南側の城門は平入りですが、城門入ってすぐに土塁があり、大手門の橋までに三度の方向転換を余儀なくされます。同図では北側の門は土橋を渡ってから東側にあり、横矢を仕掛けられることになります。こちら側も三度の方向転換をしなければなりません。
(蛇足ですが阿部忠秋の前の城主は松平信綱。島原の乱平定の論功で川越城主になっていますが、同城の中ノ門堀は信綱によるものと見られています。川越城の中ノ門はこの堀により四度の方向転換をしないとたどり着けません)
なお、碑があるのはこの升形城門の東側の堀の外側で、大手門の橋のあった場所のほぼ対面です。升形城門の場所は昭和四十年代まで乳牛牧場と牛乳工場があったそうで、明治時代の小説の「田舎教師」にも出てくるそうです。