藩校 進脩館跡
藩校 進脩館跡([忍城 碑・説明板])
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藩校 進脩館跡の口コミ情報
2019年09月10日 野呂利左衛門督休三
忍城史跡碑
「藩校進修館は七代忠和が寛政年代に桑名に於いて開き 文政六年に忍に移封後 この地に再建され多くの人材を輩出した 芳川波山は中興の師である この地の西に東照宮があり金剛寺が別当であつた その建物が明治四年七月に荒井学校となつた」
文化七(1810)年に奥平松平家が城主をしていた桑名で創立されました(碑文ではなぜか寛政年間)。儒学の経典の一つの易経にある「君子は徳に進み業を修め時に及ばんと欲するなり」に由来するそうです。
桑名時代は儒教などのほかにも兵学や医学も教えていたそうで、真田宝物館所蔵の平面図には講堂や武芸の稽古場などの施設が記されているそうです。
忍転封後は、それに伴う財政悪化や最適な建物が無かったことから再開されるまでに13年かかりました。
再開に尽力したのが、林述斎から推挙されて松平忠堯に招かれた芳川波山でした。波山の住居は進脩館再開後は同館隣に移っています。「学制」が発布される前年の明治四(1871)年に現在の中央小学校の前身の一つとなる荒井学校になりました。
忍東照宮はここのすぐ北側に、明治四年まで別当寺の金剛寺(寺領百石)とともにありました。金剛寺は廃寺となっています。