忍藩家老 鳥居強右衛門居宅跡
忍藩家老 鳥居強右衛門居宅跡([忍城 碑・説明板])
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忍藩家老 鳥居強右衛門居宅跡の口コミ情報
2019年08月20日 野呂利左衛門督休三
忍城史跡碑。ここも裏面が読みにくい。
「天正三年(一五七五年)七月十六日三河長篠城救援の軍使として大任を果たし磔死した鳥居強右衛門の十二代商近は松平藩家老五百石としてここを忍の居宅とした 十三代商次が維新の官軍との交渉に家名をあげた 城西桃林寺に六基の墓石あり」
碑がある場所は北谷口門の跡です。鳥居家の居宅はこの北谷口門のすぐ南側にありました。北谷口門は廃城後に加須の総願寺に黒門として移築されています。
鳥居強右衛門家は江戸時代になる前から奥平家に仕え、長篠城攻防戦の軍使として知られる勝商の子の信商が徳川家康の養子となった奥平(松平)忠明に付けられ、奥平松平家の重臣となりました。
戊辰戦争では、忍藩は鳥羽・伏見の戦いには参加していませんが、幕府方として大坂の安治川河口の警備の任に就いています。
藩内や同藩が管理していた羽生陣屋に旧幕府歩兵隊の脱走者が一時逗留したこともあり、新政府から詰問され、兵糧三千俵と二小隊を出して恭順を示します。この時に家臣を代表して誓紙を差し出したのが十三代目の商次です。忍藩兵は主に占領地警備として福島まで転戦していますが、白河では戦闘にも参加しています。