羽生城(はにゅうじょう)
羽生城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 埼玉県羽生市東5
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 廣田直繁
築城年
- 天文9年(1540)頃
主な改修者
- -
主な城主
- 廣田氏、大久保氏
廃城年
- 慶長19年(1614)
遺構
- 曲輪
指定文化財
- 市史跡(羽生城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
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羽生城の解説文
羽生城の口コミ情報
2019年04月27日 樋口弾正大弼与六
羽生城
古城天満宮に城趾婢が有りますが、あくまでも天神郭の有った場所で、本丸は曙ブレーキの西側にありました。
そして、本丸の西に、二の丸、三の丸と続きます。城趾は工場や宅地開発により消滅しています、しかし三の丸跡の西側に高山稲荷神社が櫓台跡とされ、又クランする道路は堀跡と言われています。
2017年05月18日 Nabeppu左馬頭
羽生城
公共の交通機関で行けるのは、羽生駅まで。路線バスは無く、東口から歩く事になります。北東方向に歩いて30分程掛かります。
駅前通りを1本北隣の通りを歩いて、曙ブレーキ工業を目指して行くと見つけ易いです。古城天満宮が城跡になります。先人の方も書かれていますが、駐車スペース等はありません。城跡前は少し広くはなってますが、駐車禁止の看板が有ります。
遺構は確認出来ません。3つの案内版があるのみです。
2016年02月23日 永眠武蔵守釋 葱進
羽生城
碑や解説板のある古城天満宮は住宅地にあります。近くの道路はかなり狭いものの天満宮前の道路だけは広く、短時間であれば駐車も問題ないでしょう(ただし、防火水槽や消火栓があるので駐車可能場所は非常に限られます)
歴史的に天満宮のほうが先に祀られたようで、城にかんする遺構は全くといっていいほど残されてませんが、後世に伝えるべく碑と解説板が設置されています。
廣田直繁・木戸忠朝の兄弟によって築かれたとされ、後に兄弟が上杉謙信の家臣となると羽生城は関東における謙信の主要な拠点のひとつとなる。
だが後に北条氏と上杉氏が対立すると北条氏の攻撃によって城は棄却される。
その後、徳川家康が関東に入ると、その家臣であった大久保忠隣の居城となるが大久保氏改易の後、城も廃城となった。
城跡には幕末に幕府によって陣屋が設けられるが、新政府軍の進撃によって焼き払われたため、往時の遺構を確認することはできない。