花崎城(はなさきじょう)
花崎城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 埼玉県加須市花崎北4-5他
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 細萱光仲
築城年
- 16世紀
主な改修者
- -
主な城主
- 細萱光仲
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)、横堀(水堀)
指定文化財
- 市史跡(花崎遺跡)
再建造物
- 石碑(花崎遺跡)、説明板
周辺の城
-
騎西城(埼玉県加須市)[3.8km]
足利政氏館(埼玉県久喜市)[5.6km]
久喜陣屋(埼玉県久喜市)[6.2km]
菖蒲城(埼玉県久喜市)[6.3km]
種垂城(埼玉県加須市)[7.0km]
幸手城(埼玉県幸手市)[8.9km]
栗橋城(茨城県猿島郡)[9.1km]
井沼館(埼玉県蓮田市)[9.6km]
古河公方館(茨城県古河市)[9.7km]
羽生城(埼玉県羽生市)[10.0km]
花崎城の解説文
[引用元:Wikipedia「花崎城」の項目]
花崎遺跡(はなさきいせき)は、埼玉県加須市花崎にある遺跡。縄文時代や平安時代のものなどが出土している。1981年(昭和56年)8月11日に加須市指定文化財(史跡)に指定されている。
ここでは鎌倉時代から戦国時代にかけてあったとされる花崎城についても記述する。
概要
1980年から81年にかけて加須市教育委員会による発掘調査が行われた。花崎遺跡周辺には縄文時代から人びとがいたと考えられる。平安時代には住居を構え住みつくようになったと考えられる。戦国時代には居館をかまえ戦いに備えていたところであったことが発掘調査により解明された。『新編武蔵風土記稿』に記載されている[1]「花崎城」があったところとされる。
花崎城
花崎城(はなさきじょう)は今日の久喜市の粟原城の支城として築城されたと考えられている。長尾景虎(上杉謙信)の小田原攻めの時に、家臣の木戸宮内少輔に花崎城を攻めさせたことが記録にある。このとき、城主の細萱民部少輔は小田原城に参陣していたので、幼少の細萱泰秀が守っていたが花崎城、粟原城とも落城した。
出土品
- 縄文時代のもの
- 土器や石鏃(せきぞく)。
- 平安時代のもの
- 住居址、土師器(はじき)、灰釉陶器及び砥石。
- 16世紀のもの
- 全国的に大変珍しい障子堀。
- 他に、畝堀、馬出し、出枡、擂鉢、焙烙(ほうろく)、常滑焼や美濃焼の陶器、板碑、弾丸、かわらけ、古銭、石臼、橋脚など。
位置
現在、本丸と馬出しが「城山公園」「城址公園」として整備され、保存されている。しかし、遺跡の範囲を東武伊勢崎線の線路が貫いているほか、宅地開発により遺跡のほとんどは住宅地や駐車場となっており、上記の公園でしかその遺構を見ることはできない。城山公園は東武伊勢崎線花崎駅から徒歩約3分のところにあり、住宅街の中にある。公園の入口には加須市教育委員会が設置した花崎遺跡の説明板が設置されている。市民には「城山公園」として犬の散歩や地元の加須市立加須東中学校の写生会に使われるなど親しまれているが、花崎遺跡や花崎城について知らない人がほとんどである。5月ごろには加須市内の浮野の里にも自生する、埼玉県の準絶滅危惧種のノウルシ(トウダイグサ属)と思われる植物が花を咲かせる。しかし、あまり知られていない。城址公園は城山公園から見て線路の反対側にあり、埼北自動車学校の横にある林のようなところである。城山公園とは違い説明板はなく、ここも花崎遺跡の一部だとは知らない市民が多い。
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花崎城の口コミ情報
2024年09月01日 石田みっちゃん
花崎城
花崎駅から少し離れていて2つ花崎城に関わる公園があり1つは駅から自動車学校の近くにあり城跡公園、もう1つは反対の線路にある花崎城跡ですが2つとも草が結構生い茂っています。また線路を渡るときは花崎スクールというところと線路の間にある道を真っ直ぐ進むと踏み切りがあります。花崎城跡には堀が残っていました。
2024年03月05日 埼玉だ
花崎城
東武伊勢崎線の線路沿いに残されたあまり広くない公園、堀の一部だったのか池だったのか、のまわりに遊歩道が整備されていて、森林浴にもなりそうでした✨
住宅街の一角であり、駐車場は見つけられませんでした。
線路の反対側には城址公園と自動車学校があります。
2024年02月21日 地黄八幡
花崎城
城趾は伊勢崎線で分断されていますが、南側が公園として整備されています。駐車場はありません。トイレあり。説明板あります。発掘調査では障子堀が検出されています
2023年07月17日 マグロ常陸介祐平
門井館[花崎城 周辺城郭]
城や居館としての伝承はないようですが、幅のある水堀に囲まれたており、江戸時代の豪農の屋敷という感じではありません。人がお住みになっていますので中に入ることは出来ません。県道を向かいにある雷電神社は見張り台のような盛土の上に鎮座しています。
花崎城から車で5分程度ですので、合わせていかがでしょうか。
2023年07月17日 マグロ常陸介祐平
花崎城
駅近くの住宅地ですが、線路南側の花崎城山公園には堀がよく残っています。湧水があるのか、一部は水堀となっています。線路北側はその名も城址公園となっていますが、こちらには遺構とわかるものは確認出来ません。
城の全体像が分からず、公園となっている曲輪の役割はわかりませんが、曲輪は狭く堀がよく残っている割には土塁はめだちません。発掘では、障子堀や馬出しが確認されており、単なる居館ではなく防衛施設として機能していたようです。
2023年05月23日 RED副将軍
花崎城
水堀、空堀が残る公園城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。16世紀に細萱光仲により築城されたと云われます。
細萱光仲は、栗原城を居城とした鷲宮神社神官である大内氏の重臣とされ、花崎城は粟原城の支城として機能しました。
1561年に上杉謙信が関東へ侵攻して来た際には、細萱氏は北条氏に属しており、上杉謙信の家臣である木戸宮内少輔によって侵攻を受け粟原城とともに落城したと云われます。
見所
現在は、花崎城山公園となっています。
低湿地帯に築かれており、水堀と空堀が現在でも残っています。
周辺は住宅街となっており、近くに駐車スペースは無いのでご注意ください。
2022年10月11日 マグロ常陸介祐平
清久氏館[花崎城 周辺城郭]
鎌倉時代初期の武将、清久秀行の居館で、常徳院と雷電神社付近が城址とされています。雷電神社の摂社の浅間神社が盛土の上に建っていますが遺構ではないようです。常徳院の掲示板には清久氏に関する資料が連載で掲示されています。また、歴住の墓域には清久氏の供養塔があります。
2022年09月21日 キャワ
花崎城
堀もあり狭いながら良く残っています。駐車場がないのが残念です。
2021年01月20日 拓之助中務少輔
花崎城
花崎城は現在鉄路により分断されています。
両側に城跡公園があり遺構がありますが、騎西方面の公園は遺構が良好に残っています。
空堀があり空堀と空堀に挟まれたラグビーボール型の郭があることがわかります。ですが、おそらく外濠ですかね?
遺構としては空堀が良好に残るぐらいです。
公園には花崎遺跡「花崎城」の看板がありわかりやすかったです。
車は線路側の道に路駐です。
2017年05月08日 合戦不参加 三加弾正尹
花崎城
交通は花崎駅南口を出て、西に線路際をまっすぐ行って徒歩7~8分くらいのところに、「城山公園」として遺構が残っています。
線路を挟んで反対側にも花崎城跡が「城址公園」として残っていますが、こちらは石碑があるほかは遺構らしい遺構は地中に埋まっているものと思われます。
車は、少しの時間だけなら線路際側に停められるかもしれませんが、周りは駐禁だらけです。駐車場はありません。
2016年04月24日 音みく中務大輔闇サガン
花崎城
クルマで攻める時には線路側のフェンスに路駐したら大丈夫だと思います。
簡易トイレ有り!
2013年06月05日 ⛫武蔵の越前守の謙
花崎城
東武伊勢崎線線路の向かい側にち小さいながら城跡公園があります。花崎駅からも近く、徒歩
で5分ほどでたどり着けると思います。駐車場はありません。
2013年05月12日 【隠者】史学会帰新参
花崎城
現在城跡は公園として整備されている。主郭と周りの水掘、空掘がよく残っている。