久喜陣屋(くきじんや)

久喜陣屋の基本情報

通称・別名

米津氏陣屋、(御陣山遺跡)

所在地

埼玉県久喜市久喜中央4(御陣山児童遊園)

旧国名

武蔵国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

米津政武

築城年

貞享元年(1684)

主な改修者

主な城主

米津(よねきつ)氏

廃城年

寛政10年(1798)

遺構

(発掘調査:横堀、井戸跡)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

足利政氏館(埼玉県久喜市)[0.6km]
幸手城(埼玉県幸手市)[3.9km]
花崎城(埼玉県加須市)[6.2km]
井沼館(埼玉県蓮田市)[6.4km]
栗橋城(茨城県猿島郡)[6.8km]
菖蒲城(埼玉県久喜市)[7.1km]
江ヶ崎城(埼玉県蓮田市)[8.3km]
騎西城(埼玉県加須市)[8.9km]
関宿城(千葉県野田市)[10.1km]
種垂城(埼玉県加須市)[10.4km]

久喜陣屋の解説文

久喜陣屋は江戸時代に久喜藩が藩庁とした陣屋である。

久喜藩は武蔵国や下総国、河内国、摂津国などに1万2,000石を領した米津家が治めていた。その中でも久喜にこの陣屋を設け、藩庁としていた。

だが5代藩主・米津通政の時代に久喜を含む武蔵国の領地を出羽国に移されたため、久喜陣屋は廃止となった。

現在、陣屋跡に遺構は残されていない。

久喜陣屋の口コミ情報

2025年11月15日 大宰大弐きんさん
久喜陣屋



久喜駅から徒歩10分ぐらいの所の住宅街にある公園にあります。築山のようなものがありますが、案内板や碑はなにもありません。

2025年11月13日 マグロ常陸介祐平
渡辺多門屋敷[久喜陣屋  周辺城郭]



新編武蔵風土記稿の上川崎村の中で、旧家者として紹介されている幸手一色氏の分家渡辺氏の屋敷です。一色公深の七代孫の一色宮内大輔直朝は、天文年間に足利晴氏、義氏の二代に仕え、後に幸手庄に蟄居するも、その子義直は徳川家康に仕えて、幸手5160石川の旗本になっています。その際に弟の政義はこの地に帰農して、姓を渡辺に改めています。また、Wikipediaの「一色氏」や「幸手市」の中で、天正18年(1590年)の小田原の役で北条氏が改易になると、直朝と義直は田宮(幸手)城を退去し、下総国大淵寺に隠居、義直の弟で小文間城(取手市)の城主の政義は、現在地である上川崎に帰農したとしています。小文間地区に残る伝承では、一色政良の永禄4年(1561年)に現地で亡くなっていますが(墓もある)、上川崎の渡辺政義は、元和2年(1616年)に亡くなっており、同一人物とは思えません。上川崎の渡辺氏は、代々名主を勤めており、近代になると渋沢栄一の晩年に秘書を務めた得男が出ています。

屋敷は住宅となり内部は確認出来ません。外観からは城郭的な構造は見られませんが、門前に立つ2本のタブノキは樹齢約400年の巨木で、「旧渡辺多門家のタブノキ」として久喜市の天然記念物に指定されています。タブノキの説明板は、渡辺家の出自についても記述があります。

2024年06月24日 マグロ常陸介祐平
久喜陣屋



御陣山児童遊園が陣屋跡となります。1684年に米津政武が分知により立藩し、1798年に通政が領地替えにより陣屋は廃されています。風土記稿には「本町の内東にあり元の領主米津氏世々住せしが寛政十年出羽國村山郡長瀞へ所替ありしより廢せり廣七千坪許四方にから堀の跡あり今御林となりて松杉繁茂す」と書かれており、廃止後20~30年で堀跡のみの林になってしまったようです(植林?)。発掘調査では、堀跡と井戸跡が多数見つかったとのことです。

公園内には、古墳のような塚があります。御陣山の由来とも思えるので、古くからあるものでしょうが、櫓台かなにかでしょうか。

昭和37年に建てられた石碑には、霊覚者の法眼により発見された首塚跡とありますが、陣屋内に首塚は違和感があります。久喜市の埋蔵文化財包蔵地一覧にも、御陣山遺跡に首塚とは載っていません。

2024年02月11日 DAI.弾正忠
久喜陣屋



小さな墳丘のようなものが、公園の脇に残っていただけでした。他には目ぼしい遺構なし。

2022年05月26日 ᖇᕮᗞ 副将軍
久喜陣屋



久喜藩が藩庁とした陣屋🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1684年、徳川家譜代の米津政武が築いた陣屋。代々米津氏がこの地を治めるが、1798年に米津通政が出羽国へ転封となり、久喜陣屋は廃止。

見所
現在は御陣山児童公園となり遺構はほぼ消失。公園内に櫓台がありましたが、かつては首塚とのこと。知らんと登りましたわ。

2021年06月04日 梨栗桃
久喜陣屋



JR久喜駅から徒歩10分程、現状は児童公園です。
ちょっと小高くなった箇所にお社がありますが、由来等は見当たりませんでした。

2021年03月31日 S&K右京大夫
久喜陣屋



久喜駅を出て直進、久喜市中央公民館の信号を右折すると公民館の駐車場の側に有る児童公園の一角が久喜陣屋です。石碑と祠堂が有りました。

2021年02月07日 伊勢左兵衛督新九郎宗瑞
久喜陣屋

公民館の隣にある御陣山児童遊園の中にありました。石碑などがありました。

2020年11月14日 戸沢夜叉九郎正樹
久喜陣屋



JR久喜駅西口を出て、真っ直ぐ進み、しばらくすると右に公民館があるので、そこを右折すると公園があり、そこが陣屋跡のようです。公園内に小山があり、その上に小さな祠が建っていて、そこだけが唯一陣屋跡の雰囲気が残っています。

2020年06月25日 まー刑部卿
久喜陣屋



2日間の講習でたまたま宿泊先から徒歩圏内のため訪れましたが【御陣山児童遊園】という名の公園で土塁?の上に大樹と社が建っていました。裏手にこの一帯が首塚の跡という説明と供養像がありました。あと公園の注意事項の看板があるだけで説明板もなし。
車のお越しの際は久喜市商工会の駐車場も利用出来るかと。ただ周辺の道は狭いし自転車が多かったりするため注意が必要です。

2017年05月07日 Nabeppu左馬頭
久喜陣屋

久喜駅西口を背にして、右側のバス通りを直進し2つ目の信号右側にある中央公民館の辺りが陣屋跡になります。最寄のバス停は西口から出ている菖蒲仲橋行の中央4丁目を下車します。駅から歩いても10分程です。車の場合は公民館裏の駐車場に停められます。
特に説明版もハッキリとした遺構も残っていませんが、公民館裏にある御陣山児童遊園内に地元では御陣山と呼ばれる小山があり、頂きに祠、下部に誰の物とも分からない武将の供養塔があります。
また公民館入口右側には、縄文期の御陣山遺跡から発掘された土器や鏃、土偶が展示されています。今でも公園内を掘ると土器の欠片位は見つけられます。

2015年09月05日 土塁ルイ
久喜陣屋

米津氏久喜藩の立藩は1684年ですが、この一帯は1601年伊達政宗が家康より許可された鷹場であり、米津氏陣屋が建つ以前に伊達鷹場御殿があったと考えられています。

伊達家の記録では政宗は26回ほど久喜を訪れ、そのうち10回以上鷹狩りを行っているそうです。


久喜陣屋の周辺スポット情報

 渡辺多門屋敷(周辺城郭)

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