足利政氏館(あしかがまさうじやかた)

足利政氏館の基本情報

通称・別名

所在地

埼玉県久喜市本町7-2-18他

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

なし

築城主

足利政氏

築城年

永正15年(1518)

主な改修者

主な城主

足利政氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(足利政氏館跡及び墓)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

久喜陣屋(埼玉県久喜市)[0.6km]
幸手城(埼玉県幸手市)[4.2km]
花崎城(埼玉県加須市)[5.6km]
井沼館(埼玉県蓮田市)[6.5km]
菖蒲城(埼玉県久喜市)[6.8km]
栗橋城(茨城県猿島郡)[6.8km]
騎西城(埼玉県加須市)[8.3km]
江ヶ崎城(埼玉県蓮田市)[8.8km]
種垂城(埼玉県加須市)[9.9km]
関宿城(千葉県野田市)[10.3km]

足利政氏館の解説文

足利政氏の父成氏は文安4年(1447)に鎌倉公方となるが、関東管領山内上杉氏と対立をして古河(現在の茨城県古河市)に移って古河公方を称するようになる。その後、伊豆の堀越公方、山内上杉氏、扇谷上杉氏との勢力争いが続く享徳の乱が始まった。

享徳の乱の終息後に2代古河公方になった政氏が、この地に館を構え、永正16年(1519)に臨済宗円覚寺派の永安山甘棠院を開山したのが、当寺のはじまりである。

現在、甘棠院の表門を入ると、中門から本堂を囲むように空堀がめぐらされ、北側には土塁も築かれている。

子の高基(のちの3代古河公方)、義明と不和になり、永正9年(1512)に小山(現在の栃木県小山市)に移った政氏は、同15年頃に久喜に戻って隠居したと伝えられる。

また、境内には、「享禄四年七月十八日 甘棠院殿吉山道長大禅定門」の銘が刻まれた政氏の五輪塔がある。

情報提供:久喜市教育委員会文化財保護課


足利政氏館の口コミ情報

2024年06月23日 マグロ常陸介祐平
足利政氏館



甘棠院は、古河公方足利政氏が館に開基したお寺で「足利政氏館跡及び墓」として埼玉県の史跡に指定されています。

お寺の中門からは左右に堀が続き、左側の堀は先で北側に折れ、お寺を囲んでいたことがわかります。北側には土塁が残るようですが、本堂前の門とそのとなりにある格子状の扉は閉ざされており、確認出来ません。

史跡となっている政氏公のお墓は、塀越しに見学することができます。また、このお寺は文化財の宝庫でもあり、国指定の文化財が1点、美術品が2点、県指定の文化財が4点あり、県立博物館に寄贈・寄託されているようです。

甘棠院は、足利政氏がこの地で亡くなったあとも旧臣によって守られ、寺の墓地で一際目立つ宮本氏(江戸時代初期に上州桐生氏から養子)はその家系のようです。

2024年02月11日 DAI.右馬助
足利政氏館



館の遺構はほとんど残っておらず、完全な寺院と墓地になっていました。しかし、寺院山門脇に足利政氏墓所の碑が建っていたり、寺院施設の各所に足利家の家紋㋥が見られ、足利家に由緒があるとわかります。

2023年06月26日 RED副将軍
足利政氏館



二代目古河公方である足利政氏の隠居後の居館

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1518年に足利政氏により築城。
足利政氏は、足利成氏の嫡男で二代目として古河公方を承継しました。
1506年頃から足利政氏は嫡男の足利高基と対立。一時は和解しましたが、山内上杉氏の後継者問題で再び対立。足利政氏は、宇都宮氏や簗田氏の支持を受けた足利高基との争いに敗れ古河城を出て小山城の小山成長の下に落ち延びました。しかし、1516年頃には小山氏も足利高基を支持する様になったため足利政氏は隠居し、久喜に移り築いたのが足利政氏館です。
1519年に館を寺院として永安山甘棠院と称し、子の貞巌が開山しました。その後も家臣たちにより守られ、江戸幕府からも朱印地として安堵され現在も甘棠院の境内として続いています。
1520年に足利政氏は古河城の足利高基を訪ねて和解。1531年にこの地で没しました。

見所
現在も甘棠院の境内となっており、「足利政氏館跡及び墓」として埼玉県指定史跡となっています。
市街地の中を東側を除く三方に空堀がしっかりと残存していますが、夏期は下草が茂り写真では全く映えません。

2021年06月04日 梨栗桃
足利政氏館



JR久喜駅から徒歩20分ほど。
甘棠院という臨済宗のお寺になっています。 中には入れませんでしたが、案内板によると空堀や土塁が有るようです。

2021年02月07日 伊勢弾正少弼新九郎宗瑞
足利政氏館

お寺さんの敷地内にありました。説明板がありました。しかし、奥へは入れないようです。

2017年05月14日 Nabeppu左馬頭
足利政氏館

公共交通機関で行く場合は久喜駅西口を出で、大和観光バス(乗り場はマクドナルドの前)に乗車、3つ目の甘棠院(かんとういん)入口を下車します。バス停近くの弁当屋がある通りを入り150m位直進すると、二引両の紋の入った二本の石柱が立っている所が総門(入口)です。説明版もそこに有ります(駅から徒歩だと約20分程掛かります)。
更に奥に進むと永安山と山号の書かれた中門があります。この門前両側に堀跡が確認出来ます。深さは150cm〜200cm位です。その先が墓地や鐘、建屋のエリアになり、そこにも説明版が有ります。
また、領域北西側、富士乳児院隣に史跡公園があり、そこにも説明版は有ります。
車の場合は総門を正面に見て、右廻りで車一台分しか通れない路地を進むと左側に入口があり、そこが駐車場(近くに鐘が有ります)です。

2017年02月26日 まー刑部卿
足利政氏館

所在地にある甘棠院(かんとういん)を目指します。周辺道路は道幅狭いです。駐車場有り。駐車場からすぐに足利政氏公の墓所がある門があります。門は閉ざされていますが墓地を沿って歩いていくと古めかしい墓石が見えるためそれがそうかと思われます。しかしちゃんと見たい方は拝観を申し出れば見れるようです。さて山門脇には空堀が明瞭に残っています。墓地側からも出ることが出来ます。山門の手前にある惣門には足利氏家紋である二ツ引両が見え、石碑及び説明板有り。一度訪れるべき場所かと思います。

足利政氏館の周辺スポット情報

 説明板(碑・説明板)

 駐車場(駐車場)

 史跡公園(関連施設)

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