井沼館(いぬまやかた)
井沼館の基本情報
通称・別名
- 堀之内
所在地
- 埼玉県蓮田市井沼
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 佐藤内蔵助
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 佐藤氏
廃城年
- -
遺構
- 土塁、(発掘調査:横堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
菖蒲城(埼玉県久喜市)[5.1km]
加納城(埼玉県桶川市)[5.4km]
伊奈城(埼玉県北足立郡)[5.6km]
江ヶ崎城(埼玉県蓮田市)[6.2km]
久喜陣屋(埼玉県久喜市)[6.4km]
足利政氏館(埼玉県久喜市)[6.5km]
種垂城(埼玉県加須市)[8.9km]
花崎城(埼玉県加須市)[9.6km]
幸手城(埼玉県幸手市)[9.6km]
騎西城(埼玉県加須市)[9.8km]
井沼館の解説文
井沼館の口コミ情報
2024年11月01日 治部卿丸に澤瀉
井沼館
リア攻め行きましたが、現地は参道と畑になっていました。
2024年02月12日 DAI.右馬助
井沼館
現地は神社の鳥居になっていました。鳥居の参道奥に地元の神社が建っています。遺構などはわかりませんでした。
2024年01月13日 マグロ常陸介祐平
閏戸堀之内[井沼館 周辺城郭]
風土記稿に旧家者として記載される黒須氏の居館です(井沼館と違い居館に関する記事はありません)。誰に仕えていたかわからないとしつつも、2通の感状が伝来しており、そのうち1通は古河公方家の家臣2代目菖蒲城主佐々木(金田)氏綱発給のもののようです。
菖蒲城から直線で8km程離れていますが、井沼館の佐藤氏同様に被官だったのでしょうか。
遺構としては、住宅の背後に土塁がL字に残っています。
2023年03月27日 RED副将軍
井沼館
菖蒲城主である佐々木氏家臣の居館跡🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
室町時代に佐藤内蔵助により築かれたと云われます。佐藤氏は、菖蒲城の佐々木氏綱の家臣であり、代々内蔵助を名乗りました。後には忍城の成田氏長に属していたとされ、1590年に豊臣秀吉による小田原攻めで北条氏が滅亡するとともに井沼館は廃城となった様です。
見所
久伊豆神社の周辺一帯が館跡であったとされますが宅地化、農地化により遺構は消失しています。かつては大規模な土塁と堀が巡っていた様です。
2021年07月03日 マグロ常陸介祐平
井沼館
土塁や堀のようなひと目でわかるものは見当たりませんが、久伊豆神社付近は周囲より一段高くなっており、遺構らしく感じられます。神社には案内板がありますが、城に関する記述はありません。神社参道の西側のお宅の表札は「佐藤」となっており、城主の子孫が廃城後も住んでいるのかもしれません。
遺構
元荒川南岸の台地上、久伊豆神社から県道87号線までの一帯に位置する。現在、館跡は住宅地や耕作地となっており遺構はほとんど確認することはできないが、『新編武蔵風土記稿』によると、江戸時代までは東、西、北の三方に土塁と堀があったという。
平成5年(1993)の発掘調査では、それを裏付けるように県道87号線からコンビニエンスストア横を北上する道路のほぼ真下から最大幅3mの堀跡が柵跡とともに検出されており、これが東側の堀と考えられる。また、館跡周辺では土塁跡とも推測されるわずかな高まりも見られる。
歴史
室町時代、菖蒲城主であった佐々木(金田)氏綱の家臣・佐藤内蔵助が築いたとされる。菖蒲城が氏綱後裔の秀綱の時に忍城主・成田氏長に属していることや、前述の発掘調査で見つかった遺物の下限が16世紀のものであることから、天正18年(1590)の小田原落城後とともに、井沼館は廃城となったと考えられる。
城主の佐藤氏は江戸期には代々同地域の名主を務め、現代に続く。
交通
・JR東北本線蓮田駅から車で約10分参考文献
・『埼玉県蓮田市文化財調査報告書 第20集 井沼館跡』埼玉県蓮田市教育委員会、1993年。・『日本城郭大系 第5巻』新人物往来社、1979年。
・はすだ観光協会公式サイト(http://hasuda-kankokyokai.com/)。