騎西城(きさいじょう)
騎西城の基本情報
通称・別名
- 私市城、根古屋城
所在地
- 埼玉県加須市根古屋(地図は本丸跡を示す)
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- 独立式層塔型[3重3階/1975年築/RC造模擬天守]
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 小田氏、松平康重、小笠原氏
廃城年
- 寛永9年(1632)
遺構
- 土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(騎西城土塁跡)
再建造物
- 模擬天守(郷土史料展示室)、石碑、説明板
周辺の城
-
種垂城(埼玉県加須市)[3.6km]
花崎城(埼玉県加須市)[3.9km]
菖蒲城(埼玉県久喜市)[5.0km]
足利政氏館(埼玉県久喜市)[8.3km]
羽生城(埼玉県羽生市)[8.3km]
久喜陣屋(埼玉県久喜市)[8.9km]
加納城(埼玉県桶川市)[8.9km]
源経基館(埼玉県鴻巣市)[9.3km]
井沼館(埼玉県蓮田市)[9.8km]
箕田館(埼玉県鴻巣市)[9.9km]
騎西城の解説文
[引用元:Wikipedia「騎西城」の項目]
騎西城(きさいじょう)とは、現在の埼玉県加須市(騎西地域)にあった日本の城である。
概要
築城時期は不明だが、上杉氏配下となっていた太田氏によって築城されたという説がある[1]。
関ヶ原の戦いの後の慶長6年(1601年)大久保忠常が城主に任じられたが、寛永9年(1632年)、大久保忠職が美濃加納城へ移封となったため、廃城となった。
- 1350年頃[2]、秀郷流佐野氏族の戸室親久が城主を務めたという[3][4]。
- 康正元年(1455年)古河公方足利成氏が、深谷上杉氏の城であった騎西城を攻略し、佐々木氏が城主を務めた。
- 永禄6年(1563年)上杉輝虎が小田助三郎の守る騎西城を攻略した。
- 天正2年(1574年)の第三次関宿合戦では、簗田持助の関宿城が北条氏政の大軍に包囲され、それを助けるために布陣した上杉謙信がこの騎西城、菖蒲城などの城下を焼討ちした。
- 天正18年(1590年)の小田原征伐後、松平康重に与えられた。
アクセス
- 東北自動車道加須インターチェンジより車で約15分
- 東武伊勢崎線加須駅、JR高崎線鴻巣駅より朝日バスで騎西城停留所下車。すぐ。
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騎西城の口コミ情報
2023年02月16日 RED副将軍✳️
騎西城
偶には模擬天守のある城跡を投稿
上杉氏と北条氏の間で揺れ動いた成田氏の拠点🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。上杉氏家臣の太田氏の築城とも云われます。
1455年、庁鼻和城主の上杉憲信の支城として家臣の長尾景仲が守備していましたが、古河公方こと足利成氏に攻略され落城しました。
その後、小田顕家が種垂城から騎西城に移り、忍城の成田親泰の子である朝興を養子に迎え隠居。小田朝興が城主となります。
1563年、上杉輝虎(後の上杉謙信)が小田朝興の騎西城に侵攻し落城。
その後、再び北条方の支配となりましたが、1590年の小田原征伐により北条氏は滅亡。徳川家康が関東に入封し、徳川家臣の松平康重が入城しました。
関ヶ原の合戦後の1601年に松平康重は常陸国笠間に転封となり、代わって大久保忠常が入城しました。
1632年に大久保忠職が美濃国加納城へ移封となると廃城となりました。
見所
現在は歴史資料館として模擬天守が建っています。
模擬天守の西側に堀跡、県道38号線を挟んで東側には土塁が残っています。
本丸が実際にあった場所は騎西文化・学習センターから北東部ですが耕作地となり消失していました。
当時は湿地に築かれた沼城であったことが分かっています。
写真
①②模擬天守
③堀跡
④⑤⑥土塁
⑦本丸跡は田んぼでした
⑧案内板
2023年01月16日 関沢のテツ
騎西城
実際の天守閣では無かったですが、迫力は有りました。
2023年01月06日 Hoshi
騎西城
図書館の隣に資料館があります。土塁は、図書館から道路を挟んだ反対側にあります。
2022年07月04日 マグロ常陸介祐平
鐘撞山(油井城)[騎西城 周辺城郭]
城址全体が平成16年に加須市に寄贈されたようですが、立ち入り禁止となっています。周囲からは浅い堀や低い土塁が確認できます。遠目には塚と石碑が見られます。おそらく史跡として寄贈されたのでしょうから、見学は出来るようにして欲しいものです。
2022年04月25日 マグロ常陸介祐平
騎西城
模擬天守が資料館になっていますが普段は公開していません。5月2日を除くGW中は公開されるとのことです。
2022年04月11日 播磨守こうちゃん播磨の守
騎西城
現地、無料駐車場です🤚R125とR122から道標は有りません😑土塁の一部が残ってます。
2021年06月27日 たろ
騎西城
沼地に築かれた浮城も水田、宅地化されてほとんど痕跡がない。城の近くに本来存在しなかった模擬天守が建てられている。
2021年06月22日 十時下総守半睡
騎西城
少し歩こうと城を横目に通り過ぎてスポーツセンターの駐車場に。城に向かって歩き出したところ、思いがけず今が盛りの紫陽花ロードが!
2019年05月05日 GINTOKI
騎西城
現存は、土塁が一部残るのみです!三階櫓のような建物は発掘された資料を展示しています!
2016年07月03日 ⛫武蔵の謙
騎西城
騎西城を巡る合戦では長禄三年(1459年)太田荘会下、文正元年(1466年)南多賀谷や北根原で上杉方と古河公方方が衝突したという。
古戦場近くには足利氏ゆかりの龍興寺があり、永享の乱、結城合戦で亡くなった足利持氏、春王丸、安王丸の供養塔が建つ。
中興開山は持氏の伯父である曇芳和尚である。
またその近くには多賀谷氏が下妻に移住する前の館跡(大福寺)がある。
多賀谷氏は享徳の乱の勃発に大いに関係し、氏家、朝経兄弟は関東管領山内上杉憲忠を討った功により、下妻三十三郷を給ったという。
そして関東管領上杉憲忠を討った事を機に関東は戦国時代の幕開けとなる享徳の乱に突入するのである。
2016年07月03日 ⛫武蔵の謙
騎西城
騎西城は享徳の乱(1455年~1482年)勃発当初、上杉方と古河公方足利成氏方の最前線として位置づけられる。また鎌倉府の武蔵国内の御料所を抑える意味でも重要視されていた。
一説によると上杉方の太田道灌が築城したともいわれる。
享徳4年(1455年)騎西城とその周辺では激しい戦いがあった。その後、上杉方の長尾景仲らの立て籠る騎西城は成氏方に攻められ落城した。
成氏が奪取した騎西城は奉公衆佐々木氏に守らせたという。
2016年03月06日 桂式部大輔宇治丸
騎西城
模擬天守は…城型のビルです(笑)
県道挟んで向かい側に騎西城土塁跡と説明版・石碑がありましたが、周りが住宅街なので入りづらかったです。
登っても良かったのでしょうか?
2015年09月22日 鎌倉五山勘解由長官建長僧堂
騎西城
いきなりヌオンと模擬天守が見えます。忍城といい埼玉県はこういうの好きですね。
廃城は1632年、いまあるのは1975年築城?だそうです。
2013年09月13日 太政大臣北王子胡散人
騎西城
模擬天守の隣に、生涯学習センターがあります。
そこに申し込むと、天守内部を見学できます。
内部は地元の歴史資料館です。
道路の向かい側には、土塁跡があります。
2012年06月08日 ビバちゃん
騎西城
正直ガッカリな城巡りとなりました (T-T)
観るべきものは何もありません…
2012年03月05日 傾奇揚げ仙兵衛
騎西城
実は今の模擬天守のような三層ではなく平屋だったらしい
2010年06月24日 ぎっちゃん
騎西城
遺構の土塁は本来もう少し短いモノなのですが、復元して今見られる長さになったそうです
模擬天守は公開日がありそれ以外は非公開。
騎西城の周辺スポット情報
天神曲輪土塁(遺構・復元物)
二の丸跡(碑・説明板)
天神曲輪(碑・説明板)
騎西城跡(碑・説明板)
障子堀跡(碑・説明板)
御蔵屋敷跡(碑・説明板)
的場跡(碑・説明板)
大手門跡(碑・説明板)
足軽町跡(碑・説明板)
西門跡(碑・説明板)
武州騎西之絵図(碑・説明板)
鐘撞山(油井城)(周辺城郭)
前玉神社(寺社・史跡)
金剛院(寺社・史跡)
妙光寺(寺社・史跡)
万福寺(十王堂)(寺社・史跡)
天神社(新天神)(寺社・史跡)
大英寺(寺社・史跡)
観音寺(寺社・史跡)
薬師堂(東光院跡)(寺社・史跡)
實乗院(寺社・史跡)
善応寺(寺社・史跡)
浄楽寺(寺社・史跡)
玉敷神社(寺社・史跡)
龍花院(寺社・史跡)
保寧寺(寺社・史跡)
駐車場(駐車場)
郷土史料展示室(関連施設)
模擬天守(関連施設)
低湿地跡(その他)
キャッスルきさい(その他)
池(その他)
城下の南端(その他)
城下(町人地)の北限(その他)
旧宿場境の標識(その他)
騎西自動車待合所跡(その他)
旧宿場町場境標識(上町・仲町)(その他)