栗橋城(くりはしじょう)

栗橋城の基本情報

通称・別名

城山城、古河旧城

所在地

茨城県猿島郡五霞町元栗橋地内

旧国名

下総国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

野田右馬助

築城年

長禄年間(1457〜1460)

主な改修者

北条氏照

主な城主

野田氏、小笠原秀政

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

幸手城(埼玉県幸手市)[4.1km]
関宿城(千葉県野田市)[4.8km]
久喜陣屋(埼玉県久喜市)[6.8km]
足利政氏館(埼玉県久喜市)[6.8km]
古河公方館(茨城県古河市)[7.8km]
古河城(茨城県古河市)[9.1km]
花崎城(埼玉県加須市)[9.1km]
逆井城(茨城県坂東市)[11.8km]
騎西城(埼玉県加須市)[12.9km]
井沼館(埼玉県蓮田市)[13.1km]

栗橋城の解説文



栗橋城(くりはしじょう)は、茨城県猿島郡五霞町元栗橋地内、法宣寺の西から南西(下総国葛飾郡)にあった古河公方ゆかりの日本の城。現在は五霞町指定史跡[1]

歴史 

室町時代あるいは戦国時代に古河公方家重臣・野田氏の居城になって、古河城の支城網を形成した。野田氏は鎌倉公方奉公衆かつ古河城の城主だったが、享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方・足利成氏が古河城に移座した後、自身は栗橋城に移って、古河公方となった成氏を支え続けた。しかし永禄年間(1558-1570年)、城主が野田景範のときに後北条氏により城は接収され、永禄4年、北条氏照が栗橋城に入城した可能性が高いとされる[2]。その後は氏照の北関東攻略の拠点となっている[3]。このとき野田氏は北条氏の傘下に組み入れられたと考えられる[4]。ただし、第5代古河公方足利義氏がしばしば栗橋城に滞在している記録(天正5年から同9年までの5年間を見ると、栗橋在城の期間の方が長い)が確認できることから、この時期の古河公方は古河城と栗橋城の両本拠地体制になっており、氏照は城代の立場を越えるものではなかったとする説もある[5]

栗橋城は古河公方の古河城、および公方重臣・簗田氏の関宿城・水海城と同様に河川沿いに立地しており、奥大道(鎌倉街道中道)とも接続した水陸交通の要衝だった[6]。さらに、この城の位置は中世関東の「二大河川水系」連結点でもあった。二大河川とは、常陸川水系、および、旧利根川・渡良瀬川(太日川)水系で、当時の常陸川は現在の利根川下流域・霞ヶ浦・北浦・太平洋につながり、旧利根川・渡良瀬川は現在の東京湾につながって、両水系は独立していた。この二大河川水系の連結のため、旧利根川・渡良瀬川に接する古河と元栗橋(栗橋城)、および、常陸川に接する水海(水海城)と関宿(関宿城)にて荷物を積み替えて、両方の港津間を陸送するルートが用いられたと考えられており、栗橋城はこの水陸交通網の一端を担っていた。

天正18年 (1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐後に徳川家康の家臣・小笠原秀政が古河藩に入部した際には、古河城修復の間、秀政は本城を居城としたが、修復が終わり古河城に移った後は廃城となった。

構造 

江戸時代に赤松宗旦が著した地誌『利根川図志』の巻二に「古河城旧址」として、この城が紹介されている。江戸時代初期(元和7年頃)に、権現堂川(現在の行幸湖)を掘ったため、城跡が分断されたとしている。城跡のうち権現堂川東岸には「本城」、「榎曲輪」、「七曲り」などが記されており、「七曲り」内側の近くに「愛宕若宮八幡社」があるとも紹介されている[7]

近年、『城築規範』にある「栗橋城図」と現地調査の結果から、後北条氏時代の詳細な構造が推定されている。城域は東西300m、南北500mにわたり、11の曲輪から構成された。外郭は第1から第4曲輪、内郭は第5から第11曲輪であった。特に第6,7,9,10 の4つの曲輪が中枢部である。第7曲輪が本丸と考えられているが、これは『利根川図志』とも矛盾しない。『利根川図志』にある「榎曲輪」は第5曲輪である。本調査結果では、城域は権現堂川東岸(五霞町側)にのみ展開し、『利根川図志』の記述と異なって西岸は含まれなかったと考えられている。[8]

遺構 

東部の遺構が比較的状態がよく、五霞町・法宣寺裏手・西側から西北側には『利根川図志』で「七曲り」と称せられた堀跡が現存。法宣寺南側の民家周辺にも堀跡が残る。郭には土塁も残る。一方、内郭など中心部は耕地や民家に変わっている。

『利根川図誌』によれば、城跡は五霞町元栗橋と埼玉県久喜市栗橋にまたがり、川によって2つに分かれているが、現在、権現堂川西岸の埼玉県側遺構は壊滅状態で確認できない。前述の通り、西岸に城域は展開していなかったとする見解もある。

参考文献 

  • 赤松宗旦 著、柳田国男 校訂 『利根川図志』(岩波文庫) 岩波書店、1938年
  • 城城郭研究会 編 『図説 茨城の城郭』 国書刊行会、2006年
  • 佐藤博信 編 『戦国大名論集3 東国大名の研究』 吉川弘文館、昭和58年(1983年)
  • 総和町史編さん委員会 編 『総和町史 通史編 原始・古代・中世』 総和町、平成17年(2005年)

栗橋城の口コミ情報

2024年06月09日 Teioh渡島守
栗橋城

訪れたものの、私有地のため見学はご遠慮下さいと法宣寺休み処に掲示されていたため断念しました。途中の道には城址の案内が出ていたことを考えると以前は行けたのかな…。

2023年06月04日 マグロ常陸介祐平
磯部館[栗橋城  周辺城郭]



国道354号線沿いにある館跡で、北側と西側の空堀と土塁を見ることかできます。

近くには、親鸞聖人・蓮如上人旧跡で、浄土真宗関東七大寺の一つで磯部御坊と称されてきた勝願寺があります。

2023年06月04日 マグロ常陸介祐平
墓化館[栗橋城  周辺城郭]



ボッケと読みます。近年まで遺構が残っていたようですが、太陽光発電所となり遺構は消滅していました。

隣にある一色神社は、元和六年の飢饉の際に関宿藩の年貢米を載せた御用船を襲って村人に施し、処刑された幸手城主一色直朝の子輝季(兄は寄合旗本義直)を祀っています。年代も内容も現実とはかけ離れていますが、信仰として現在も語り継がれているようです(近年400年祭が行われた)。

通りの向かいにある共同墓地の墓化館主藤沼氏の墓域には、下利根川の改修工事に尽力した、備中高松(松山?)城主秋庭氏の末裔と伝わる秋庭大膳亮の供養塔があります。墓石に刻まれた家紋は三つ引両ではなく、八千代町の秋葉館の秋葉氏(江戸時代の当主は飯沼干拓に尽力)が結城氏より貰った2つ巴と同じで、年代は異なりますが秋葉氏の戦国期の当主の官途も大膳(天正15年多賀谷重経、官途状発給)と共通点が見られます。諱も宗光と常光、偶然でしょうか?

また、近くには石室が見事な県指定史跡の穴薬師古墳を見ることが出来ます。

2023年05月14日 みかも内匠助48世
栗橋城



堀が良い状態で残ってました。でもその先は人のお家です(ーー;)

2023年04月01日 甲斐右近衛中将富士之介
栗橋城



東武南栗橋駅から徒歩30分以上掛かります。駐車場は隣の法宣寺の駐車場が使えそうです。遺構の残る部分は田圃に浮かぶ島のようで、法宣寺山門から少し南に入り口があり、案内板があります。その路地を進むと空堀がありますが、そこから先は松本氏の私有地で無断では入れません。田んぼ側からも直接道がなく、結局は松本氏の敷地に入るしかありません。私は来意を告げて許可を頂き家の裏側の林に入って残存する空堀を見学しました。藪に邪魔されてすっきりとは見えませんが、十分堪能できます。管理されていないので、草が茂る季節には歩けないと思います。林の中に八幡社があり、周囲に微かに土塁の痕跡を見ることができます。八幡社付近でリア攻めになります。八幡社の入り口は家の前を過ぎて田んぼに沿って進むと直ぐで、社に通じる道だけ歩けるようになっています。近くまで行ったら是非許可を頂いて見学することをお勧めします。

2022年03月20日 マグロ常陸介祐平
栗橋城



写真の案内板の奥の民家の手前と法宣寺の裏手に深い空堀がよく残っています。曲輪内は私有地の為、立ち入れませんでした。

2015年09月04日 三加弾正尹
栗橋城

権現堂川の近くの幸手霊園法宣寺というお寺の敷地内の裏手の竹やぶの中に掘りの跡が、法宣寺を出て南に20mくらい行った右側に栗橋城跡のボロボロの看板があります。

やっと見つけました。

2012年06月09日 燧灘安房守康之介
栗橋城

今、幸手の権現堂の駐車場栗橋城 攻城の帰り立ち寄る。懐かしい土地柄、以前会社の工場がありました、跡地を見ながら 権現堂の雨に濡れた紫陽花を観ています。桜の時期は最高の場所です。

2012年02月17日 ぎっちゃん
栗橋城

河川改修や耕地のため城の一部しか残りませんが、その一部の遺構が素晴らしい!ただ郭内は個人宅なので見学出来ません。
法宣寺の墓地脇から堀、切岸が見れます。


栗橋城の周辺スポット情報

 水堀(遺構・復元物)

 焙烙地蔵(関所処刑場)(碑・説明板)

 栗橋関所址・説明板(碑・説明板)

 墓化館(周辺城郭)

 磯部館(周辺城郭)

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