古河城(こがじょう)
古河城の基本情報
通称・別名
- 古河御所
所在地
- 茨城県古河市中央町
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 平城
天守構造
- 独立式層塔型御三階櫓[3重4階/1633年築/破却(廃城令)]
築城主
- 下河辺行平
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- 小笠原秀政、松平康長、土井利勝
主な城主
- 足利氏、土井氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市文化財(旧古河城乾門)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
古河公方館(茨城県古河市)[1.2km]
小谷城(栃木県小山市)[7.2km]
栗橋城(茨城県猿島郡)[9.0km]
藤岡城(栃木県栃木市)[9.3km]
花崎城(埼玉県加須市)[10.4km]
幸手城(埼玉県幸手市)[12.6km]
関宿城(千葉県野田市)[12.6km]
足利政氏館(埼玉県久喜市)[12.8km]
羽生城(埼玉県羽生市)[13.1km]
久喜陣屋(埼玉県久喜市)[13.2km]
古河城の解説文
[引用元:Wikipedia「古河城」の項目]古河城(こがじょう)は、現在の茨城県古河市(下総国)の渡良瀬川東岸にあった日本の城。
室町時代には、古河御陣とも呼ばれ、北朝足利氏の拠点の一つであった。古河公方の本拠となった時期については古河御所(こがごしょ)とも呼ばれる。なお、古河鴻巣の古河公方館も御所と呼ばれるため、混同しないように注意する必要がある。
【概要】 古河城の起源は、平安時代末期あるいは鎌倉時代初期に、下河辺行平が古河の立崎(竜崎)に築いた城館とされている。室町時代には、古河公方・足利成氏が本拠とし、以後、戦国時代の関東における中心の一つとなった。江戸時代には、多くの譜代大名が入れ替わりで城主を務め、近代城郭として整備された。古河藩庁が置かれ、行政機能を担うとともに、将軍の日光社参時の宿として、あるいは江戸城の北方の守りとしても機能した。明治時代初期の廃城令により廃城となり、明治末に開始された渡良瀬川の改修工事により、残された城跡も大半が消滅した。渡良瀬川の堤防上、三国橋と新三国橋の中間付近に「古河城本丸跡」と書かれた石碑と解説版がある(2018年3月設置、以前は標柱のみ)。
古河城は渡良瀬川の河畔にあり、城の位置付けは人と川との関わりに影響されてきた。渡良瀬川は、上流では主に栃木県・群馬県の県境近辺を流れ、下流では太日川(今の江戸川)と名前を変え、千葉県・埼玉県の県境近辺を利根川と並行して、東京湾に流れ出ていた。従って、関東を東西に分かつ境界線であると同時に、河川交通により北関東および東京(江戸)・房総を結ぶ物流と交通の幹線であった。このような地理的条件により、中世および近世には重要拠点とされたが、近代に治水が重視されるようになると、大規模な河川改修事業により、下流の関宿城と同様に城跡が徹底的に破壊された。
【歴史・沿革】
~平安時代末~鎌倉時代(城の起源)~
平安時代末、源頼朝に従った武将・下河辺行平が古河の立崎(竜崎)に城館を築いた(『永享記』等)。正確な時期は分らないが、行平が活躍し始めた1180年頃が目安となる。立崎は渡良瀬川とその東側に広がる沼地にはさまれた半島状の台地であった。行平を荘司とする下河辺庄は、茨城県古河市、千葉県野田市、埼玉県幸手市・吉川市・三郷市など、渡良瀬川とその下流の太日川(今の江戸川)に沿って広がっており、河川交通により結ばれていた。
このころ、以仁王の挙兵にて敗死した源頼政の首を従者(下河辺行義?)が持ち帰り、立崎に葬ったと言い伝わる。近世古河城では頼政曲輪の頼政神社になる。
行平以後、北条氏が鎌倉幕府の実権を握ると、北条氏の支配下に移ったと考えられる。
~室町時代~戦国時代(古河公方の本拠)~
南北朝時代、北朝・足利氏の拠点の一つであった。
室町時代後期から戦国時代にかけては、古河公方の本拠となる。
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古河城の口コミ情報
2020年09月07日 Jeria
本丸跡[古河城 碑・説明板]
サイクリングロード沿いにあるので自転車が一番攻略しやすいと思います。車は、川とサイクリングロードの間の道に入っていくと駐車しやすいです。本丸跡に行く階段があります。夏は草に埋もれているかもしれないけどあるので探してみてください。
2020年08月09日 けらりんば甲斐守
諏訪郭跡(土塁・水堀)[古河城 遺構・復元物]
現在、諏訪郭跡に古河歴史博物館が建っています。
2019年02月09日
古河城
古河駅からブラブラしながら
お散歩気分で 到着しました
わらぶき屋根の家老の家が
素晴らしかった。
フナの甘露煮を土産に帰宅
2013年10月17日 ばくりんこ蔵人頭
古河城
河川敷整備のため徹底的に埋め立てられ破壊され今は見る影もありませんが、唯一歴史博物館にジオラマがあり、川を堀にした城マニアにはたまらない往時の姿が見られます。
2010年06月17日 徳川内大臣源朝臣康武
古河城
博物館建設前の発掘調査で、諏訪曲輪から礎石建物が確認されましたが、現地では保存されず、同じ茨城県内の逆井城址公園に移設されました。
また、現在の諏訪曲輪の水堀は、親水公園のように改変されましたが、博物館建設以前は、旧来の様子をよく残していました。博物館を建設しながら、堀や礎石建物など貴重な古河城の遺構を破壊するという矛盾した行為は、非常に残念なことです。
ちなみに、城跡に近い国道354号沿いに、三階櫓を模した建物があります(新聞販売店だった気が・・・)。結構、様になってます。
古河城の周辺観光情報

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