藤岡城(ふじおかじょう)
藤岡城の基本情報
通称・別名
- 花岡城、中泉城
所在地
- 栃木県栃木市藤岡町藤岡
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 平将門?
築城年
- 承平2年(932)
主な改修者
- 足利成行
主な城主
- 平氏、藤岡(足利)氏、茂呂久重
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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藤岡城の口コミ情報
2025年06月21日 マグロ常陸介祐平
飯野城[藤岡城 周辺城郭]
天文年間には、赤井氏の家臣篠崎三河守が城主で、三河守は板倉雷電神社の末社で国指定重要文化財の八幡神社・稲荷神社(群馬県最古の木造建築)を建立しています。
その後、経緯は不明ですが長尾氏の家臣淵名(渕名)氏が城主となります。淵名氏は、秀郷流足利氏の一族の赤堀氏の一族とされます。上野国志によると、長尾顕長が小田原に抑留された際に、淵名上野介は白石備前守と共に館林城を守り、後に北条氏規に属して館林城を守ったとしています。
お城は、田んぼと畑となり完全に消滅しています。やや高台とはなっていますが、お城を感じ取ることは困難です。
板倉の雷電神社は、関東一円に分布する雷電神社の総本宮で、本殿の彫刻は見応えがあります。
2025年06月20日 マグロ常陸介祐平
板倉城[藤岡城 周辺城郭]
江戸時代中期に編纂された上野国志や軍記物の館林記では、館林城の旗下の真下越前守(範宗)の居城としています。真下は、間下や間霜とも書かれています。
城址とされる場所には、付近の城郭につきものの「長良神社」が鎮座していますが、周辺は畑、雑木林、宅地となり、明確な遺構も見られず、現状の地形からはお城を感じ取ることは困難です。城域の畑作業をしていた方にお城について尋ねて見ましたが、「4代前の先祖が数軒の農家と移り住み開墾したと伝わるが、お城については聞いたこともない」とのことでした。真下氏に関しては近くに住まわれている方がいるとのことでしたので、城主のご子孫が帰農したのかもしれません。また、城域に廃寺になったお寺があったとは伝わるようでした。
板倉町史によると、お城は湖を利用した築城で、棒状の半島部を使い東西200m、東北部は腰曲輪となっており、頸部は幅と長さ共に70mで、大きな虎口があったとしています。
現在の風景からは想像しにくいですが、当時は湖の半島を利用した、鶉古城のような縄張りだったようです。
2025年06月18日 マグロ常陸介祐平
海老瀬館[藤岡城 周辺城郭]
海老瀬城から北に300mほどにあるお城です。松安寺と長良神社の建つ台地が城址となります。板倉町史によると、城主を海老瀬大膳太夫で、藤岡に属していたとしています。海老瀬城主海老瀬秀兼の一族でしょうか。長良神社は、明治3年に勧請されたようですので、赤井氏と直接関係するものではなさそうです。また、松安寺は天正2年(1574年)に再興されたお寺ですが、海老瀬氏との関係は不明です。
台地の先端に位置しており、南側には板倉川が流れる要害の地という感じはします。北側には横矢掛かりの構造が見られますが、西側となる長良神社の裏の高低差は大きくありません。北側の用水路を挟んだ場所は、寄居とされ、城郭構造があったようですが、現状は更地に近い状態です。用水路も後世造られたもののようです。
松安寺は、足尾鉱毒事件の被害者救済の施療所となった場所で、板倉町の史跡に指定されています。
2025年06月17日 マグロ常陸介祐平
海老瀬城[藤岡城 周辺城郭]
藤姓足利氏流の藤岡氏の一族で、海老瀬権平秀兼の居城とされています。藤岡氏自体が実在を疑われているようですので、軍記ものですが館林記に書かれている藤岡城と関連のある赤井氏老臣諸野(茂呂)因幡守の一族というのが、近いのかもしれません。
板倉町文化財資料館や浄水場のある独立した台地が城址となります。城址が歴史資料館という割には、説明の展示はなく、板倉町の城址を地図で示したものが外に貼ってあるのみでした。職員の方に尋ねてみましたが、詳細はよく分からないとのことでした。明確な遺構は見られませんが、周囲は切岸状に角度が付いています。
2023年09月25日 そらみつ能登守
藤岡城
小さな神社です。車だと入って行けないのでリア攻めの際は気をつけて下さい
2023年09月24日 伊藤中務卿龍一郎
藤岡城
最寄りまで行ける工場の間の道は、軽自動車でも通行困難です。道の両側は雨の後はぬかるんでいて、駆動輪落とすと脱出困難な上、方向転換も出来ません。悪いこと言わないので、近くの広い道に路駐して歩きで行くことをオススメします。
2023年06月19日 マグロ常陸介祐平
藤岡城
伝承に基づき藤姓足利氏流藤岡氏の城とされてきたようですが、近年は1次資料により佐野氏の出城であったことや館林赤井氏の家臣茂呂氏の居城だったことが確認されつつあるようです。それらしい地形は見られますが、遺構かどうかわかりませんでした。
実在を否定されつつある藤岡氏ですが、近くにある繁桂寺は藤岡政房の開基とされ、天正5年に佐野宗綱に攻められ自害したとされる藤岡城主藤岡清房の供養塔があります。
2022年09月24日 マグロ常陸介祐平
離山城[藤岡城 周辺城郭]
城址は離山公園となっています。北と東は川と沼になっており、切岸は高さがあります。主郭南隅は高台になっていて少々張り出しています。北西部分は薮となっていて立ち入りませんでしたが単郭の城と思われます。城としての石碑や案内板はありません(写真は貝塚のもの)。
彼岸花の名所となっていて、板倉東洋大前駅からノボリが続いて立っているほどです。この時期の登城はオススメです。
2022年03月31日 備中守ダンゾウ
藤岡城
東武日光線藤岡駅から西方にあります。小さな案内板にしたがって行けますが、周囲の道路は狭いため、バイクや自転車もしくは徒歩でないと城跡にはたどり着けないと思います。桜の木が見頃でキレイでした
2016年01月01日 まー刑部卿
藤岡城
東武日光線の藤岡駅を目標に行かれると藤岡駅のそばの踏切から『藤岡城址』という矢印板が出てます。また藤岡駅周辺の道路、特に踏切付近は車一台分の道幅しかありません。踏切を越えると『藤岡神社』という矢印板に変わります。ここに直接行くには軽自動車くらいの車しか行けません。その入り口に道路が広いので路駐しました。遺構としては土塁がありますが藪化でよくわかりません。隣接する太陽光パネルが設置されてるあたりは土塁跡なのかは不明でした。