椿田城(つばきだじょう)

椿田城の基本情報

通称・別名

所在地

栃木県佐野市船津川町

旧国名

下野国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

福地寧久

築城年

永禄3年(1560)

主な改修者

主な城主

福地氏

廃城年

遺構

横堀(水堀)、土塁

指定文化財

市史跡(椿田城)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

植野城(栃木県佐野市)[2.6km]
佐野城(栃木県佐野市)[4.5km]
館林城(群馬県館林市)[4.5km]
高松城(栃木県足利市)[5.3km]
鶉古城(群馬県邑楽郡)[6.4km]
赤見城(栃木県佐野市)[8.1km]
藤岡城(栃木県栃木市)[8.2km]
唐沢山城(栃木県佐野市)[8.8km]
岩井山城(栃木県足利市)[9.8km]
足利氏館(栃木県足利市)[11.2km]

椿田城の口コミ情報

2025年09月19日 マグロ常陸介祐平
多田木砦[椿田城  周辺城郭]



佐野市のサイトでは、「只木図書の築城、戦国時代、足利長尾氏と佐野氏との確執の中で足利側の砦であった。」と簡単な来歴ですが、戦国時代初期に成立したとされる鎌倉大草紙には、山内上杉氏と古河公方足利成氏との攻防戦の舞台として登場しています。享徳の乱では、長尾昌賢(景仲)が武州上州の軍兵を催し、上杉藤朝(定頼の子)や庁鼻和上杉憲明が只木山に布陣するも、成氏が只木山に押し寄せると、兵糧を絶たれた越後(越後上杉氏の援軍)上州の兵は落ちて行き、長尾昌賢は領国の一揆を集めて騎西城に逃れています。

只木砦を築城したとされる只木氏ですが、幕末に仙台藩で活躍した但木土佐の先祖は、この地の出身とされており、伊達朝宗の代には只木伊賀守重信(橘姓)が従っていたようですので、平安時代後期以前から只木氏はこの地に存在したかもしれません(只木氏を平姓長尾氏の一族とする説もあるようです)。

お城は、多田木山の東側の山丘と裾部から東北部の山丘までの東西50~120m、南北約250mに及び、北部丘陵頂に東西2列ずつ段階状、その東方裾部に約120mの帯郭、東側斜面中央部窪地状の北方に7段、南方に6段の腰郭・腰郭があり、窪地には現在も水を持つ井戸跡があるようです。(佐野市の解説)

お城には、皆川病院の南にあるグループホームあじさい横の土塁状の土盛り付近から入りました(写真1枚目,ホームの脇からは簡単に入れそうですが、赤外線センサーもあり躊躇しました)。かなりの薮ですが、佐野市の説明通り、斜面の南側や東側に棚田のような腰郭が連なるのがすぐに確認できました(写真2~7枚目)。山頂を目指して薮を進もうとすると、行く手には2頭のイノシシがおり、目が合うと走り去って行きましたが、少々怖くなり探索を諦めました。グループホームあじさいから、30m程の距離に生息しているとは驚きです。

多田木の地は、家康の関東入国後に古河公方家の一族で幕府高家となる宮原氏の知行地となり、多田木砦の北側にある東陽院を菩提寺としています。宮原家の江戸時代初期の当主義久は真理谷信政(上総武田氏)を母に持ち、正室は武田勝頼の娘の貞姫で、東陽院には宮原家歴代当主の墓と貞姫の墓があります(写真8枚目)。住職に貞姫の墓石を尋ねたところ、先代住職から教えてもらったが、忘れてしまったとの事で、確認できていません。

2025年09月18日 マグロ常陸介祐平
免鳥城[椿田城  周辺城郭]



唐沢山城から南西に約10km、大永5年(1525年)に佐野家の家臣、免鳥山城守義昌により築かれたとされます。

佐野氏と敵対関係にある足利長尾氏との攻防の拠点としての役割を担っており、史書には「免鳥合戦の事」「足利境十郷の戦い」などに記されているようです。城址に建つ石碑には、天正5年(1577年)足利長尾氏との合戦に敗れ落城に至り廃城になったかのように書かれていますが、天正19年には、佐野房綱から高瀬紀伊守に免鳥郷223貫文が宛てがわれており、高瀬氏が改めて城主となったようで、佐野市の解説では佐野家の改易(1614年富田信高に連座)により廃城となったとしています。

城域は東西210m、南北280mの規模だったようですが、遺構らしきは確認できませんでした。後で確認したところ、付近を流れる水路は、水堀の跡のようです。また、本丸跡に井戸があったとの伝承があり、調査したところ、実際に見つかったようです。

城址に建つ立派な石碑には、城主高瀬氏のお墓の所在地の住所が記されており、前回の訪問ではお墓も巡ってみました(わかりづらい場所です)。

2022年07月25日 マグロ常陸介祐平
椿田城



民家の敷地のようですが、案内板がいくつもあり、御堂もあるので見学させていただきました。周囲を囲む水堀の痕跡がよくわかります。

2016年01月01日 まー刑部卿
椿田城

先人の言われた通り城跡の標柱と説明板がありましたが敷地内に入るのを躊躇い外から撮影しました。少し先にフェンスに囲まれた土塁が残存してました。こちらは入ることが可能です。路駐。行く方法として佐野市側から県道7号線を通り上に国道50号線を潜って少し走らせると右手にデイリーヤマザキ佐野船津川店を右折すると更に右折する道路があり、そこを通ると土塁跡があり更に進むと左手に椿田城跡のある個人宅に行きます。

2010年11月20日 左近衛少将おけい
椿田城

民家の庭先に石碑があります。

椿田城の周辺スポット情報

 看板(碑・説明板)

 看板(碑・説明板)

 免鳥城(周辺城郭)

 多田木砦(周辺城郭)

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