佐野城(さのじょう)
佐野城の基本情報
通称・別名
- 春日岡城、春日城、姥城
所在地
- 栃木県佐野市若松町
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 佐野信吉
築城年
- 慶長7年(1602)
主な改修者
- -
主な城主
- 佐野氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、移築門
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
植野城(栃木県佐野市)[2.9km]
唐沢山城(栃木県佐野市)[4.3km]
椿田城(栃木県佐野市)[4.5km]
赤見城(栃木県佐野市)[5.6km]
高松城(栃木県足利市)[8.4km]
藤岡城(栃木県栃木市)[8.9km]
館林城(群馬県館林市)[8.9km]
岩井山城(栃木県足利市)[10.7km]
足利氏館(栃木県足利市)[11.6km]
中野城(群馬県邑楽郡)[11.8km]
佐野城の解説文
[引用元:Wikipedia「佐野城」の項目]
佐野城(さのじょう)は、栃木県佐野市若松町(下野国安蘇郡佐野)にあった日本の城(平山城)。別名春日岡城・春日城・姥城(うばがじょう)。佐野市指定史跡。
概要
佐野氏は元々佐野の北部にある唐沢山城を拠点としていた。佐野氏は北条氏から養子を迎えていたため、小田原征伐の際には滅亡の危機を迎えた。だが、一族の佐野房綱が豊臣秀吉に仕えていたため、役後に房綱が当主に就くことで断絶を免れた。その後、房綱は豊臣氏近臣である富田氏から信吉を養子に迎えて家の安泰を図った。豊臣政権側も同城を江戸城の徳川家康を牽制するために活用しようと図った。ところが、関ヶ原の戦いによって徳川政権が成立したことによって佐野氏を継いでいた佐野信吉の立場は微妙となった。
1602年(慶長7年)佐野氏は徳川家康の意向を受けて、上杉謙信の攻撃をもしのいだ山城の唐沢山城を廃して麓に新規に佐野城を築城した。唐沢山城の廃止理由としては、江戸大火展望説、山城禁令説、豊家縁故説などが出されている。理由は明らかではないものの、徳川政権の本拠地である江戸の近くに豊臣氏に近い大名が山城を持つことが徳川氏にとって不都合であったことが推定される。
佐野城は春日岡にあった惣宗寺の跡地に新しい佐野氏の本拠地に相応しい近世城郭として築城され、築城途中の1607年(慶長12年)には城主である佐野信吉も唐沢山城から佐野城に移転して城下町も整備されたが、整備半ばの1614年(慶長19年)に突如佐野氏が改易されたために、わずか14年で廃城となった。
城の形式は連郭式の平山城で、東西約370メートル×南北約500メートルの規模を有する。城跡としては曲輪の跡や堀切・土塁などが残されている。外堀(水堀)は区画整理等により消滅した。南から三の丸・二の丸・本丸・北出丸と並び、各部分は堀切によって仕切られている。最も高い本丸の標高は約56メートルである。
1988年(昭和63年)から1998年(平成10年)にかけて佐野市による発掘調査が行われ、現在は佐野城山公園となっている。また、築城によって移転を命じられた惣宗寺は今日でも「佐野厄除け大師」の愛称で広く知られている。
現地情報
- 所在地
- 栃木県佐野市若松町425
- 交通
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)両毛線・東武佐野線 佐野駅城山公園口から徒歩約7分
参考文献
- 齋藤慎一「中近世移行期の断絶と継承」(『中世東国の道と城館』(東京大学出版会、2010年) ISBN 978-4-13-020147-6 第10章(論文初出2003年))
- 『日本歴史地名大系9 栃木県の地名』「春日城」(平凡社、1988年) ISBN 978-4-582-91028-5 P701
- 影山幹男「佐野城」(『栃木県大百科事典』(下野新聞社、1981年))
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佐野城の口コミ情報
2024年08月03日 しげる安房守
佐野城
駅直結の城趾でした。城内地図があるとイメージが湧いて回りやすいと感じました。
2024年05月12日 DAI.主税助
佐野城
佐野駅北口駅前が城山公園として整備されており、当時の土塁や崖を利用した堀などの遺構がよく残っていました。
園内には発掘調査や城趾の歴史的背景を説明する城山記念館も建っていました。
本丸手前にある崖状の堀は堀切と思われ人口的に整備されたように見受けられました。相当に深い空堀跡になっており、人の手で築造されたとすると、相当な労力をかけて築城されたと感じました。
2024年03月09日 武蔵守のむげん
佐野城
アクセスは城址の東側に10台程度の無料駐車場あり。電車でも改札口直結。城址公園として整備され、各曲輪とそれぞれを仕切る深さのある空堀が見事に残っており、なかなかの見応えです。
2023年12月30日 大蔵卿世界三郎太
佐野城
佐野駅を出るとすぐの場所に佐野城跡があります。駅から三ノ丸→二ノ丸→本丸→北出丸と直線的に築かれ縄張りがわかりやすいです。
2023年11月03日 楯岡多田甲斐守
佐野城
佐野駅から直接入城できます。中学校が敷地内にあり 城址に行く為の駐車場が目立つ所にありません。中学校の隣りにあります。街の中の丘陵にあり まちを一望できます。史料館があります。入場無料 江戸初期に廃城になったようですが 駅の隣に城趾が在ることから 廃城になったあとも そのまま街が発展したものと思います。残念ながら城址だった面影は堀切位かな〜
2023年05月22日 まりん治部大輔
佐野城
城跡が公園になっていて、駅からそのまま入って行けるので乗り換え時間で行けます。
2023年04月25日 千葉相模守早雲
佐野城
三の丸、二の丸、本丸、北出丸が一直線に並ぶ縄張りで、現在は佐野駅から直結する城山公園として整備されています。
空堀や虎口の一部は整備を受けて当時の姿のままではありませんが、大きさや形は窺うことが出来ます。
1.二の丸虎口。原型は留めていない。
2.本丸・二の丸間の空堀を上から眺める。
3.本丸・二の丸間には現在は石橋が架かる。奥が本丸。
4.本丸・北出丸間の空堀①
5.本丸・北出丸間の空堀②
6.北出丸の虎口。
7.本丸虎口跡。石垣の一部が残る。
8.説明版。
2023年02月20日 まー刑部卿
城内案内板[佐野城 碑・説明板]
城内案内板にはこれまで発掘調査された遺構の写真が場所と共に掲載されています。
2023年02月02日 まー刑部卿
佐野城
佐野城跡の石碑隣に発掘調査結果含んだ説明板がありますが発掘された場所に何も無いため想像力が必要です。
2022年10月10日 みっちゃん
佐野城
佐野駅の改札出るとキレイな芝生の公園でした。遊具もあり土曜日だったので家族連れが何組かいました。お天気も良くて快適でした。お堀もありました。
2022年07月25日 マグロ常陸介祐平
佐野城
公園として整備されていて、城内に駅の改札があります。本丸をはさむ二の丸と北出丸の間には堀切が残ります。城内にある佐野市万葉の里城山記念館には小さなスペースですが、出土品などが展示されています。
2022年07月25日 マグロ常陸介祐平
阿曽沼城[佐野城 周辺城郭]
鎌倉殿の13人ゆかりの地として阿曽沼広綱をPRした看板が目立っています。浅沼八幡宮の裏側には一部ですが空堀が残っています。
2022年04月30日 三男坊.k大学頭
佐野城
犬走こういう残し方、好きですぐるっと城跡の外を巡ると見つかります
2022年02月12日 しゅう関白
佐野城
佐野城は佐野信吉という城主が唐沢山城から移った城なんだそうです。しかしこの三の丸、二の丸、本丸、北出丸の縦長の形状は浅井家の小谷城をイメージしてしまう。気のせいだろうか。
2021年12月24日 薩摩大隅守義弘維新斎
佐野城
佐野城址は、JR佐野駅に隣接した平山城。コンパクトな城で散策するのも難なくできて、遺構としては空堀や散在した石積みがあります。
2021年02月22日 [銀英1]唐沢山下野守秀郷
阿曽沼城[佐野城 周辺城郭]
1182年、足利有綱の四男、阿曽沼広綱の築城と言われています。この広綱の活躍は目覚ましく、野木の宮合戦、源範頼に従い一ノ谷、屋島、そして、奥州藤原氏追討、さらに承久の変❗️各地に恩賞を頂きました。
庶流は陸奥遠野保に横田城、安芸世能庄に鳥籠城(とこのやま)など佐野宗家を凌ぎ関ヶ原以降も南部氏、毛利氏家臣となり存続しますが、佐野阿曽沼城は1614年、佐野城と共に廃城とります。
平城の遺構は市街地にあり、立派な堀が残っています。また、八幡宮は鎌倉御家人であった広綱が鶴岡八幡宮より分祀したと伝えられています、そしてさらに分祀したの遠野保八幡宮ですね🎵
今日は社殿に大きな絵馬(地元高校作製奉納)が👏御朱印とパンフレットで300円、記帳を済ませ二礼二拍一礼でした☺️
佐野には興味深い伝説や言い伝えがたくさんあります、ここにも在りました❗️
大塔宮(護良親王、後醍醐天皇第三皇子)伝説❔これから調べたいと思います🎵
2021年02月22日 飛騨守マックイーン
佐野城
佐野駅のすぐ北に公園として整備されています。佐野駅直結で、学校側に駐車場もあり、訪問しやすいと思います。(写真は三の丸から駅方面)
すごくわかりやすい城跡で、電車待ちの時間などに足を伸ばしてはいかがでしょうか。
2017年05月11日
佐野城
JR両毛線佐野駅北側にある、標高56m、比高20mの平山城です。
佐野駅から近いので、とても便利だと思います。
私は車でしたので、無料駐車場もありました。
曲輪跡や堀切、水堀、土塁などが
結構残っています。
楽しみながら、散策できました。
佐野厄除け大師の山門は、
佐野城の城門を移築したものだそうです。
2010年09月24日 徳川内大臣源朝臣康武
佐野城
佐野駅から自由通路で直接城跡(三ノ丸)に上がれる。早朝は、散歩の爺さん婆さんで大賑わい。