大貫氏館
大貫氏館([佐野城 周辺城郭])
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大貫氏館の口コミ情報
2026年05月13日 マグロ常陸介祐平
佐野氏の重臣大貫氏の居館となります。700m程北には詰の城である屋形山城、400m程東には小倉氏の小倉城があります。文明3年(1471年)の将軍足利義政の御内書に佐野受寿の被官として大貫三河守の名が見られ、代々重臣だったことが推測出来ます。
天正13年(1585年)に須花の戦いで佐野家当主宗綱が討死すると、大貫越中守政宗は北条氏に誼を通じますが、天正18年に佐竹氏寄りの天徳寺了伯に近い富士源太や赤見六郎らに館を襲われ自害したとされます(異説も有)。また、近世大名となった佐野信吉の家臣に大貫土佐の名が見られるようで、生き残った一族もいたようです。
館跡は住宅となり、はっきりした遺構は見られませんが、住宅の脇に土塁の痕跡のような土盛りは見られます(写真1枚目)。館跡にお住いの方に尋ねたところ、館跡だということは知っているが、詳しいことは分からないとのことでした。
近くにある泉応院(写真2枚目)の住職梅雲和尚は政宗に恨まれ、天正16年に放火されたと羽黒神社の由来として伝わるようです。梵鐘(写真3枚目)は江戸時代のもので、文化財に指定されています。









