足利氏館(あしかがしやかた)
足利氏館の基本情報
通称・別名
- 足利氏宅
所在地
- 栃木県足利市家富町(鑁阿寺)
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 足利義兼
築城年
- 文治年間(1185〜1190)
主な改修者
- -
主な城主
- 足利義国
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(水堀)
指定文化財
- 国史跡(足利氏宅跡(鑁阿寺))
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
岩井山城(栃木県足利市)[1.8km]
足利城(栃木県足利市)[1.8km]
新田金山城(群馬県太田市)[7.1km]
高松城(栃木県足利市)[7.5km]
赤見城(栃木県佐野市)[7.5km]
足利氏館の解説文
[引用元:Wikipedia「足利氏館」の項目]鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の本山である。「足利氏宅跡(鑁阿寺)」(あしかがしたくあと(ばんなじ))として国の史跡に指定されている。
【概要】
寺号は詳しくは「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼう ばんなじ)」と称する。足利氏の氏寺。本尊は大日如来。
鑁阿寺はもともとは足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。
足利氏館として2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(15番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。
【歴史・沿革】
・12世紀の半ばに足利氏の祖・源義康が同地に居館(足利氏館)を構える。
・1196年(建久7年)足利義兼(戒名:鑁阿)が理真を招聘し、自宅である居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立。
・1234年(文暦元年)足利義氏が伽藍を整備、足利氏の氏寺となる。
・南北朝時代鶴岡八幡宮の支配下となる。
・1922年(大正11年)3月8日「足利氏宅跡」として国の史跡に指定される。
・1908年(明治41年)鑁阿寺本堂が古社寺保存法に基づく特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定される。
・1950年(昭和25年)文化財保護法の制定により、本堂は重要文化財となる。
・1951年(昭和26年) 真言宗豊山派から大日派として独立。
・2013年(平成25年) 本堂および、経堂、鐘楼がそれぞれ国宝に指定された。
【交通】
・東日本旅客鉄道(JR東日本)両毛線足利駅から0.7km(徒歩10分)...[続きを見る]
足利氏館の口コミ情報
ねこいんこ主計助様[2018年02月03日]
お寺です。
100名城で期待して行くと肩透かしをくうかもしれませんが、国宝に指定された本堂や室町時代から江戸時代に建築された境内の山門などの建築物、池や堀の鯉に餌をあげたりと見所はあります。
観光客はいますが、敷地内の公園で子供が遊んでたりと、のどかな感じです。
近くの足利学校跡に徳川幕府歴代将軍の位牌があります。
結城秀康様[2014年05月16日]
5時には100名城のスタンプがある本堂が締まりますので注意して下さい。
曹内蔵助孟徳様[2013年08月07日]
今日官報を読んでたら、鑁阿寺本堂が国宝に指定されたとのことです。
しまさ大納言様[2012年02月26日]
「100名城スタンプ情報」
ばんな寺本堂、受付?で訪ねると出してくれました。
(2012/2/19時点)
傾奇揚げ仙兵衛様[2010年10月05日]
森高千里の名曲わたらせ橋 その橋の近く思わず電話ボックス探しました。
のぼちゃん陸奥守様[2010年07月20日]
足利学校の隣に館があります。館跡は、神社になっており、祠や石碑や案内板があり、館跡にしては、かなりの規模です。足利学校の近くに駐車場があり、裏手に足利尊氏の銅像があり、風情ある町並みになっていましたよ。