富士山城
富士山城([足利氏館 周辺城郭])
足利氏館 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「富士山城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
富士山城の口コミ情報
2026年05月07日 マグロ常陸介祐平
足利城の南、渡良瀬川の対岸の独立した丘陵が城址となります。丘陵は3つの連続した峰があり、それぞれ北側の浅間神社が鎮座する浅間山城、中間の石尊宮の小祠が鎮座する富士山城、南側の坊主山城の名称を持っています。城主は足利長尾氏の家臣岡田長親・秀親親子とされています。金山太田誌には、天正11年に新田金山城に籠城した武士に甲斐源氏岡田石見守義親の名が見られますが、同族でしょうか。
また、栃木市の畠山氏の代官(畠山陣屋、現在は岡田記念館として公開)を勤めた岡田氏は岡田長親の子孫と伝わり、天文20年に足利の地を弟に譲り、現在の栃木市に移住したとしています。こちらの岡田氏は後醍醐天皇に仕えた蔵人の横山時高の子孫で、時高の子の高久が相模国高座郡岡田に移り岡田を称したとされています。
足利市でも知名度の高い織姫神社の向かいに見えるのが(写真1枚目)、浅間山城です。見晴らしの良い山頂部は、南側が参道になっている為、かなり改変されているような印象です。山頂に鎮座する足利富士男浅間神社は秀郷流の藤姓足利成行が勧請したもので、ゼロ歳児の額に御朱印を押す「初山ペタンコ祭」が行われることで知られており、沢山のノボリが立っています(写真2枚目)。
富士山城は、山頂部の石尊宮の小祠が物見台跡に鎮座し(写真5枚目)、すぐ下は狭い曲輪になっています(写真4枚目)。また、南側には2段の段郭が確認出来ます。郭の北東下には胎内洞窟があり(写真6枚目)、奥には文殊菩薩が祀られています。
南側に位置する坊主山城(写真7,8枚目)は、駐車場脇のビンクリボンが頼りとなるけもの道のような入口から登ります。山頂部はやや細長く削平されており、北側は切岸加工されているようにも感じられます。西に向かって尾根道が続きますが、堀切は見られませんでした。
城域は広大ですが、全体的に土木量は少な目で、簡易的な砦のような印象です。
2026年04月12日 東堤北星
富士山城は名前の通り山梨と静岡の県境 標高3776mに位置する日本一標高の高い場所にある城…………なんてことはなく、栃木県足利市にある小高い丘に存在した山城です。北側の浅間山城、南側の坊主山城を合わせた3つの峰で構成され、富士山城はそれらの主郭とされています。
築城者は足利城を本拠地とする長尾氏の家臣である岡田長親とされています。北条氏や武田氏への前衛として築かれた足利城の支城となります。以後足利長尾氏の城郭として岡田長親、秀親親子の居城となったそうです。しかし、築城から20年も経っていない天正18年(1590)の小田原征伐の際に足利長尾氏は北条方につき、当時の足利城主である長尾顕長が小田原城に加勢した為、長尾氏は足利の領地を没収され、富士山城(浅間山城、坊主山城を含む)も同時に廃城となったそうです。
現在城跡は山のなかにあり、明確な遺構は少なくなっていますが、土塁と思われる地形がいくつか存在しています。城跡内には胎内洞穴という史跡もあります。足利市の指定史跡に選ばれており、案内図の設置があるため城内の散策はしやすいと思いますが、そこまで整備された訳ではないので足元に気をつけるとともに、薄暗い時間帯や曇りの日、雨上がりに行くことはおすすめできません。蜂に注意との看板もありました。
富士山城と坊主山城の間にある山道の脇に小さい駐車スペースのようなものがあるので小型車や二輪車であればそこに停めると良いでしょう。なお、道幅も狭い上に急坂なので注意してください。駅から近いので鉄道をつかって徒歩で攻城するのも手段です。
城郭基本情報
名称(よみ) 富士山城(ふじさんじょう)
通称・別名 なし
所在地 栃木県足利市借宿町
問い合わせ 足利市
分類・構造 山城
天守構造 なし
築城主 岡田長親
築城年 天正年間
主な城 岡田長親、岡田秀親
廃城年 天正18年(1950)か
遺構 土塁、郭
指定文化財 足利市指定史跡
跡地 山林
おすすめ度 ★★★☆☆
見学所要時間 20分
服装目安 普通〜しっかりめ
2022年02月25日 つか征夷大将軍ぽ
北条氏や武田氏の備えとして、足利城を本拠とする足利長尾氏の出城として、築城されたそうです。
3つの峰で構成されていて、それぞれ浅間山城、富士山城、坊主山城と呼ばれることもあるようです。
小田原征伐で足利長尾氏は壊滅し廃城になったそうです。









