植野城(うえのじょう)

植野城の基本情報

通称・別名

堀田佐野城、佐野陣屋

所在地

栃木県佐野市植下町

旧国名

下野国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

堀田正高

築城年

貞享2年(1685)、文政8年(1825)

主な改修者

主な城主

堀田氏

廃城年

遺構

土塁、移築門

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

椿田城(栃木県佐野市)[2.6km]
佐野城(栃木県佐野市)[2.9km]
館林城(群馬県館林市)[6.5km]
藤岡城(栃木県栃木市)[6.6km]
唐沢山城(栃木県佐野市)[7.0km]

植野城の解説文

植野城(佐野陣屋)は栃木県佐野市植下町(下野国安蘇郡)にあった陣屋で、佐野藩の藩庁である。堀田氏は当時城主格とされていたので植野城と呼ばれる。

概要
佐野房綱が豊臣秀吉に仕え、その後、養子の佐野信吉が後を継いだが、徳川家康の世に信吉の実兄の伊予国宇和島藩主、富田信高の改易に連座する形で改易されてしまった。

その後、佐野藩は天領となるが、下野国古河藩主であった時の老中で(後の大老)の堀田正俊の次男の正高が貞享元年(1684年)に分知により、1万6000石で諸侯に列したのに始まる。

後に近江国堅田藩に転封され、佐野陣屋は廃されるが、正高より4代目の正敦が文政8年(1825年)再び佐野の地に移封し、文政11年(1828年)陣屋を改めて築いた。正敦より、数えて4代の正頌の時明治維新を迎えた。

遺構
陣屋址は住宅地や耕地となり、土塁の一部が残り、公園になっている処に城址の碑が立つ。

なお、遺構として大手門が東光寺(市内寺中)に、裏門が市内赤坂町、中門が市内田島町のそれぞれ民家に移築されている。

植野城の口コミ情報

まー宮内卿様[2016年01月01日]
国道50号線沿いで城跡に繋がるところにセブンイレブンがありそこに駐車し歩いて200m以内のところに城址石碑と城内図(石碑)がありました。そばに泉水跡があり現在公園整備のため工事中でした。また公民館に居た地元の方に聞くと残っているものはないと言われましたがその公民館の下にある土塁は城内図を見ても明らかに土塁の一部ではないかと思われます。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore