水戸城(みとじょう)

水戸城の基本情報

通称・別名

馬場城、水府城

所在地

茨城県水戸市三の丸1他

旧国名

常陸国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

三階物見[3重/1609年築/焼失]、独立式層塔型御三階櫓[3重5階/1766年再/焼失(空襲)]

築城主

馬場資幹

築城年

建久年間(1190〜1198)

主な改修者

佐竹義宣、徳川頼房

主な城主

大掾氏(馬場氏)、江戸氏、佐竹氏、徳川氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、門、藩校、土塁、空堀

指定文化財

国特別史跡(藩校)、県史跡(水戸城跡(塁及び濠))、県指定文化財(旧水戸城薬医門)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

武熊城(茨城県水戸市)[0.9km]
吉田城(茨城県水戸市)[1.8km]
見川城(茨城県水戸市)[3.5km]
勝倉城(茨城県ひたちなか市)[3.8km]
河和田城(茨城県水戸市)[6.2km]

水戸城の解説文

水戸城(みとじょう)は、現在の茨城県水戸市三の丸にあった城である。徳川御三家の一つ「水戸徳川家」の居城である。茨城県指定史跡。三の丸にある藩校・弘道館は国指定特別史跡。

概要
水戸市の中心部、水戸駅の北側に隣接する丘陵に築城された連郭式平山城である。北部を流れる那珂川と南部に広がっていた千波湖を天然の堀としていた。本丸の西側に二の丸が配され、さらに西に三の丸が配され、それぞれが空堀で仕切られていた。また、城郭には石垣がなく、全て土塁と空堀で構成されていた。徳川御三家の居城であったにもかかわらず、尾張藩の名古屋城、紀州藩の和歌山城に比べるとかなり質素で、防衛上の重要性がなかったためか城郭と言うよりはむしろ政庁としての性格が強かったようである。

江戸時代の櫓は、二の丸に現在の茨城県立水戸第三高等学校と茨城大学教育学部附属小学校・附属幼稚園にまたがる形で存在した。三の丸には藩校などがあり、本丸は主に倉庫として使用されていたとされる。本丸を中心として使用していたのは江戸氏の頃とされる。天守は建造されず、3重5階建ての御三階櫓があった。

御三階櫓は明治の解体を免れたが、太平洋戦争時の空襲で焼失し、以後再建されていない。城跡は二の丸・三の丸付近が整備されており、土塁・空堀が現存している。また、三の丸には水戸藩藩校であった弘道館(国の重要文化財、特別史跡)が現存している。また、薬医門(茨城県指定有形文化財)は銅板葺に変更されたものの現存しており、現在は旧本丸にある茨城県立水戸第一高等学校に移築されている。

現在の城跡は文教地区となっており、水戸一高の他、水戸三高、水戸市立水戸第二中学校、水戸市立三の丸小学校、茨城大附属小・幼稚園が建っている。三の丸小学校は校門や塀、校舎の多くをレトロ調にしている。

本丸と二の丸、三の丸の間には堀があり橋が掛けられていたが、明治期に二の丸と三の丸の間の堀は道路(県道232号市毛水戸線)として、本丸と二の丸の間の堀は鉄道(JR水郡線)として転用された。

御三階櫓
水戸城の御三階櫓の初代は「三階物見」と呼ばれる三重櫓であり、1764年に焼失した当時は銅板葺であったが、以前は茅葺であり極めて簡素であったという。焼失後、1766年に再建され三階櫓という実質上の天守となった。2代目の御三階櫓は、外観3重内部5階の最上重の入母屋以外の破風のない層塔型で、櫓台はなく、地面に敷かれた礎石の上に建っているものであった。初重下部を石垣の代わりに海鼠壁で覆い、あたかも石垣の上に3重の櫓が建っているかのように見せていた。昭和初期までは現存し、旧国宝に指定されていたが、1945年の水戸空襲により焼失した。

歴史・沿革
江戸時代以前
築城は古く平安時代末期まで遡る。常陸国の大掾であった平国香の子孫である馬場資幹により建久年間(1190年 - 1198年)に築かれたとされる。以後、大掾氏(馬場氏)の居城となった。このため、佐竹氏が入城するまで馬場城と呼ばれていた。

1416年 室町時代に入り、上杉禅秀の乱で、当主の大掾満幹は上杉禅秀側に加担したが、幕府側についた江戸通房に敗れた。これにより、代わって江戸氏が新城主となり、その支配は以後7代(約170年間)続いた。以後、江戸氏は度々主家である佐竹氏と対立する。...

水戸城の口コミ情報

播磨守せんとくん様[2017年05月08日]
水戸駅から、弘道館の前の大手橋を渡り、水戸第一高校にある薬医門を目指して行く途中に、模擬塀と杉山門が再建されてました。
杉山門の予備知識がなかったので驚きました。
杉山門を通過し、水戸第一高校に着く前の橋の下に、水郡線の線路があったが、昔は堀だったのでしょう。
水戸第一高校の校門を入ってすぐに、薬医門があります。
徳川御三家の城に相応しい立派な門です。

ジャミ相模守様[2014年04月26日]
車ではじめから水戸城を目指して来ると何処に車を停めていいのか?どう見ればいいのか?わかりずらかったです。
弘道館を目指して無料駐車場(現時点13台分)に駐車し、水戸城跡通りをみて回ると見易いと思いました。

大田原釆女正資清様[2013年03月10日]
弘道館、2013/03/09現在、孔子廟が拝観可能になっています。
正庁等は震災復旧の為、工事中でした。

まさだ左近衛中将様[2013年02月19日]
JR水戸駅より徒歩10分。
現存する建物は薬医門のみ。水戸一高の敷地内にありますが、見学者は門のところまでは入れます。
城らしさを感じるのは大手門跡。門は現存しませんが土塁が往時を偲ばせます。
大手門の正面には藩校の弘道館があります。こちらは建物も現存しているのですが、震災被害を受けており現在は修理中。敷地内には入れますし、工事用のフェンスは一部に透明のアクリル板が使われているので、そこから覗く事は可能です。

徳川内大臣源朝臣康武様[2012年07月25日]
藩校弘道館、今現在も入館無料でした。あちこちが修理工事中で、幕囲いばかり^^;

傾奇揚げ仙兵衛様[2012年05月07日]
薬医門の写真を撮りに行く時 場所が高校なので挙動不審だと変質者に間違われ通報されないようにコソコソするのは辞めましょう。

しまさ大納言様[2012年02月26日]
「100名城スタンプ情報」
弘道館料金所窓口で訪ねると出してくれました。
(2012/2/19時点)

サムライ修理大夫はる様[2011年10月14日]
震災の影響で閉鎖されていた藩校弘道館が先週から部分公開中です。正庁などの建物の中は見学出来ませんが、震災当時のまま修復が必要な部分も多々ある模様。
公開時間は9:00〜16:30までで入館料は無料ですが無料の期間は不明。
弘道館前の道路は一方通行。しかも駐車場は数台程度しか置けないので、でお越しの際は近くの三の丸かJR水戸駅の駐車場をお勧めします。

サムライ修理大夫はる様[2011年09月27日]
震災から半年が過ぎましたが水戸城三の丸にある弘道館は今も閉鎖中国の重要文化財でもある正庁・至善堂は外壁・屋根損傷、塀の瓦も大部分が落下し、警鐘は全壊したままでブルーシートが掛けられたまま・・・修復作業は始まっている様子ですが再開はいつになるかはわからず

天神様[2010年09月20日]
弘道館はすばらしい。あんな所で勉強すると身に付くのも早いだろうなあ〜

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore