和歌山城(わかやまじょう)

和歌山城の基本情報

通称・別名

虎伏城、伏虎城、竹垣城

所在地

和歌山県和歌山市一番丁

旧国名

紀伊国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

連立式層塔型[3重3階/1605年築/焼失(落雷)]、連立式層塔型[3重3階/1850年再/焼失(空襲)]、連立式層塔型[3重3階/1958年再/RC造外観復元]

築城主

豊臣秀長

築城年

天正13年(1585)

主な改修者

浅野幸長、徳川頼宣

主な城主

豊臣氏、浅野氏、徳川氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、横堀(水堀)、門、塀、庭園

指定文化財

国重要文化財(岡口門・続塀)、国史跡(和歌山城)、国名勝(西の丸庭園)、市文化財(追廻門)

再建造物

天守、櫓、門、橋、石碑、説明板

周辺の城

中津城(和歌山県和歌山市)[1.8km]
太田城(和歌山県和歌山市)[2.3km]
秋月城(和歌山県和歌山市)[3.0km]
弥勒寺山城(和歌山県和歌山市)[3.2km]
雑賀城(和歌山県和歌山市)[4.1km]
中野城(和歌山県和歌山市)[4.3km]
薗部城(和歌山県和歌山市)[4.6km]
雑賀崎城(和歌山県和歌山市)[5.2km]
木本城(和歌山県和歌山市)[5.9km]
日方城(和歌山県海南市)[8.0km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

62 和歌山城

設置場所

和歌山城天守閣チケット売り場[地図

和歌山城の解説文



和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁にある日本の城(平山城)。徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城である。城跡は国の史跡に指定されている。

概要 

和歌山城は和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)山頂に建造され、北部を流れる紀の川を天然の堀とする。本丸の北側に二の丸が配され、その外に大きく三の丸が配された、梯郭式平山城である。

徳川頼宣は1621年(元和7年)より城の大改修と城下町の拡張を始め、計画では完成時より更に大規模な城構えになる予定であったが、大規模な改修であったため幕府より謀反の嫌疑をかけられるほどであった。しかし、附家老安藤直次の弁明で事なきを得た。また、外堀も拡張して総構えにしようとしたが、これも幕府より嫌疑をかけられ中止させられてしまったため、堀止の地名が残っている。後、数度の火災に遭ったが、その度に再建された。現在、城跡として現存しているのは最盛期の4分の1ほどの面積である。

その他、特徴としては時代によって異なる石垣の積み方などがある。それに、豊臣・浅野時代の石垣には刻印された石垣石がある。模様は約170種類、2,100個以上の石に確認されているが、その大半が和泉砂石である。

明治維新後も本丸の天守、櫓群は遺ったが太平洋戦争末期の和歌山大空襲で焼失する。 現在は、本丸と二の丸が市立和歌山城公園となっており、本丸南西部には和歌山県護国神社があり、南の丸には和歌山城公園動物園がある。主に三の丸跡等には和歌山県庁舎、和歌山市役所や和歌山市消防局、和歌山地方裁判所・和歌山家庭裁判所・和歌山地方検察庁をはじめ公的機関や学校、商業施設、オフィス街、和歌山中央郵便局、県立近代美術館・県立博物館などがある。

遺構として石垣、堀をはじめ、公園内には岡口門と土塀、追廻門が現存している。中でも岡口門と土塀は国の重要文化財に指定され、二の丸にある大楠は和歌山県指定天然記念物である。また、大小天守群とそれに続く櫓・門、大手門・一之橋が外観復元されてあるが、老朽化により今後大小天守群、二の丸御殿を木造復元する予定である。

歴史・沿革 

安土桃山時代

豊臣秀吉の弟・豊臣秀長は、1585年(天正13年)の紀州征伐の副将軍として参陣し、平定後に紀伊・和泉の2ヶ国を加増された。当時は「若山」と呼ばれたこの地に秀吉が築城を命じ、自ら「吹上の峰」[1]を城地に選定し縄張りを行った。普請奉行に藤堂高虎、補佐役に羽田正親、横浜良慶を任じ、1年で完成させた。この際に「若山」が「和歌山」と改められている。

1586年(天正14年)、桑山重晴に3万石を与え城代に据えた。重晴は本丸を中心に手直しを行った。1596年(慶長元年)重晴隠居に伴い孫の一晴が城代を継いだ。

江戸時代

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの後、東軍に属した桑山一晴は正式に紀伊和歌山に2万石を与えられたが、まもなくして大和新庄藩に転封となった。その後、同じく東軍に属した浅野幸長が軍功により37万6千石を与えられ紀州藩主となり入城した。幸長も引き続き城の改修を行っている。1605年(慶長10年)頃、下見板張りの天守が建てられた[2]。その後、長晟が土塁から石垣に改修した。

1619年(元和5年)、浅野氏は改易となった福島正則の後、広島藩に加増転封となった。代わって徳川家康の十男・頼宣が55万5千石で入城し、南海の鎮となる御三家の紀州徳川家が成立した。頼宣は兄の2代将軍徳川秀忠より銀5千貫を受領し、これを元手に1621年(元和7年)より城の改修と城下町の拡張を開始した。しかし、この改修が大規模であったため幕府より謀反の嫌疑をかけられるほどであった[3]

1655年(明暦元年)11月、西の丸に隣接する家臣屋敷より出火。西の丸・二の丸に延焼した。1813年(文化10年)には西の丸大奥より出火し西の丸御殿が全焼した。

1846年(弘化3年)7月26日に雷雨があり、天守曲輪に落雷。御殿を除く大小天守など本丸の主要建造物が全焼した。当時の武家諸法度では天守再建は禁止されていたが、御三家という家格により特別に再建が許可され、1850年(嘉永3年)に大小天守等が再建された。

近現代

1871年(明治4年)、全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(廃城令)により廃城となり、多くの建造物が解体もしくは移築された。二の丸御殿は、1885年(明治18年)に大坂城へ移築され、1931年(昭和6年)より大阪市迎賓館(紀州御殿)として使用され、戦後米軍施設として使用中1947年(昭和22年)失火により焼失した。

1901年(明治34年)に本丸・二の丸一帯が、和歌山公園として一般開放された。

1908年(明治41年)城内の二の丸に和歌山県立図書館が開館。

1931年(昭和6年)に国の史跡に指定され、1935年(昭和10年)には、天守など11棟が国宝保存法に基づく国宝に指定された。しかし、1945年(昭和20年)7月9日のアメリカ軍による大規模な戦略爆撃(和歌山大空襲)により天守などの指定建造物11棟すべてを焼失した。 1947年(昭和22年)、昭和天皇が焼け跡を行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[4]

1957年(昭和32年)、岡口門とそれに続く土塀が国の重要文化財に指定された。翌1958年(昭和33年)に天守群が東京工業大学名誉教授・藤岡通夫の指示を受け、鉄筋コンクリートにより再建された。

1983年(昭和58年)には1909年(明治42年)に老朽化し崩壊した大手門と一之橋が復元された。

2006年(平成18年)4月、二の丸と西の丸を結んでいたとされる御橋廊下の復元工事が竣工した。また、同年4月6日、日本城郭協会から日本100名城(62番)に認定された。

2010年(平成22年)6月から、2011年(平成23年)2月にかけて、大天守(1層)や天守曲輪の一部に対し、クリーニング及び再塗装を実施した。

2019年(平成31年)3月8日、都市公園としての名称が和歌山公園から和歌山城公園に変更された[5]。これに伴い、同年4月1日に園内の動物園も和歌山城公園動物園へ改称された[6]

構造 

本丸

本丸御殿は、虎伏山の頂上付近にあったため、藩主は二の丸御殿に住むようになっていった。初代・徳川頼宣と正室・瑤林院(加藤清正の娘)、14代・徳川茂承と正室・倫宮則子女王(伏見宮邦家親王の娘)が邸宅に定めた。また、倫宮則子女王が住んだため、宮様御殿とも称された。

1621年(元和7年)に造られた本丸庭園には、宝船を模した七福の庭があったが、給水場設置に伴い、1923年(大正12年)に松の丸へ移築された。

=== 天守曲輪 ===

天守曲輪は菱形にちかい平面をしており、基壇の面積は2,640m2ある。

  • 大天守
  • 小天守
  • 乾櫓
  • 二の門櫓
  • 天守二の門(楠門) - 戦災で焼失した天守曲輪で唯一、木造で復元された。
  • 台所

天守

天守は大天守と小天守が連結式に建てられ、更に天守群と2棟の櫓群が渡櫓によって連ねられた連立式と呼ばれるものである。姫路城松山城と並んで日本三大連立式平山城の一つに数えられている。

1850年(嘉永3年)再建当時の大天守は3重3階で、天守台平面が菱形であるため、初重に比翼入母屋破風を用いて2重目以上の平面を整えている。南面に入母屋出窓があり、初重には曲線的な石落としが付けられていた。焼失した天守の創建年は不明であるが、それについては浅野幸長が創建したとする説(1600年(慶長5年)築)と頼宣が創建したとする説(1619年(元和5年)築)[7]がある。創建時は、下見板張りの壁面であったと考えられている。

1847年(弘化4年)に焼失した際、大天守を5重にする案も出され、天守雛形(木組み模型)と図面が作成されたが、幕府への遠慮と財政難のため、構造は先代天守を踏襲し外部壁仕上げを下見板張りから白漆喰総塗籠めへ意匠を変えるにとどまったものとみられている。

天守は国宝(旧国宝)に指定されていたが、和歌山大空襲で焼失し、現在のものは、1850年(嘉永3年)の天守再建時の大工棟梁・水島平次郎の子孫である栄三郎が所蔵していた天守図と『御天守御普請覚張』を参考にして1958年(昭和33年)に再建されたものである。復元には東京工業大学名誉教授藤岡通夫の指示を受け、鉄筋コンクリート構造による外観復元とされた。復元設計にあたり、参考にされていた文献や図には天守群の高さが記入されていなかったため、焼失前に撮影された写真に写る他の建造物との高低比から天守群の高さが算出された。

二の丸

初代頼宣と14代茂承以外の藩主は、二の丸御殿に住んでいた。また、二の丸御殿は江戸城本丸御殿を模していたため、表・中奥・大奥に分かれていた。また、大奥があるのは、江戸城・和歌山城・名古屋城のみである。表は紀州藩の藩庁、中奥は藩主が執務を行う普段の生活空間、大奥は藩主の正室や側室たちの居所として機能した。現在、二の丸御殿の表・中奥に相当する場所は広場として開放され、大奥に相当する場所は芝生が養生され整備されている。

西の丸

和歌山城西之丸庭園は、江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園で、紅葉渓庭園とも呼ばれる藩主の隠居所であった。城の北西麓という地形を活かし、鳶魚閣や二段の滝が設けられている。しかし、戦災で天守などとともに焼失しその後、図面などを基にして1972年(昭和47年)に鳶魚閣が再建されたが、御橋廊下復元の際に再び庭園の池などの調査を行った。それによると、鳶魚閣は実際には現在の場所ではなく、池の中央付近にあったと推測されている。また、松下幸之助から茶室紅松庵が寄贈されている。西の丸庭園は、江戸時代初期の遺構を残す大名庭園として、国の名勝に指定されている。

また、鶴の渓門跡に浅野時代の鶴の渓庭園跡がある。西の丸庭園前の山吹谷は、徳川時代までは水堀であった。

御橋廊下

藩主が生活している二の丸と、庭園がある西の丸をつなげる傾斜のある橋。藩主が移動するのを気づかれないために、壁付になっていた。江戸時代の図面をもとに木造復元されており、実際に通ることができる。

三の丸

紀州藩の重臣である水野家や安藤家、三浦家などの上流藩士の邸宅が建ち並んでいた。廃藩置県の後は、公的機関や学校、商業施設、オフィス街になっている。

御蔵の丸

東堀沿いの石垣には、かつて多聞櫓が建てられていたため、城兵の昇降用の長大な雁木が残っている。

松の丸

松の丸櫓台から初代・頼宣が紀州富士(龍門山)を眺め、故郷の駿河国を偲んだといわれている。

城門

岡口門
浅野時代には大手門であったが、浅野時代の後期に大手門から搦手門として修復された。1621年(元和7年)に徳川頼宣が行った城の大改修の際に再建された櫓門が現存している。現在の門櫓は切妻屋根であるが当初は、門櫓の両側に続櫓があった。

追廻門
砂の丸の乗馬調練場と門外の扇の芝馬場を結ぶ門である。馬を追い回したことからそう呼ばれた。姫路城などに見られる旧型の高麗門である[8]。1984年(昭和59年)から翌1985年(昭和60年)にかけての解体修理により、江戸時代には朱が塗られていたことが分かり、赤門であったと見られている。
赤門は御守殿(三位以上の大名家に嫁いだ徳川将軍家の娘)の住む御殿の門として建てられる、または御守殿を迎えた折りに門を赤く塗られたものをいうが、和歌山城の場合は二の丸の「御座の間」(藩主の居所)から見たとき裏鬼門(坤(南西))の方角に当たるため、魔除けのために赤く塗られたと推測されている。

京橋門
大手門(一之橋門)から北に伸びたところにあった櫓門。北堀(現・市堀川)に面しており、物見櫓もあったとされる。京橋の側に石碑が建つ。

本町門
京橋からさらに北にあり、真田堀に面したところにあった櫓門で城下町の境としていた。参勤交代の際は必ずこの門を通ったという。

不明門
「あかずの門」とも言われ、急を要する場合のみ開かれ、通常は閉じられたままであったという。和歌山城南側の三年坂に面した場所にあり、現在は和歌山城駐車場のゲートが置かれている。

吹上門
旧中消防署の前にあったとされる門。西側には吹上御門もあったとされるが明治期に埋め立てられた。現在、鳥居が建っている。

石垣

時代により石材や積み方の技法が異なっている。 豊臣秀長の時代は緑色片岩を中心とした自然石を切り出してそのまま積んだ「野面積み」の石垣が作られた。 浅野幸長の時代には、友ヶ島等に石切場を整備し、石を打ち欠いて加工しはぎ合わせて積む「打込みハギ」の石垣が作られた。 徳川期には熊野の花崗斑岩を用いて、切石で精密に積んだ「切込みハギ」の石垣が作られた。[9]

文化財 

重要文化財

  • 岡口門(附:土塀)

市指定文化財

  • 追廻門

国指定史跡

  • 和歌山城

国指定名勝

  • 和歌山城西之丸庭園(紅葉渓庭園)

県指定天然記念物

  • 一の橋の樟樹

焼失した文化財

以下の建造物は、国宝保存法に基づく国宝(文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定されていたが、1945年(昭和20年)7月9日、戦災で焼失した[10]

  • 大天守
  • 小天守
  • 北西隅櫓
  • 西南隅櫓
  • 楠門(櫓門)
  • 北東多門(単層櫓)
  • 北西多門(単層櫓)
  • 西多門(単層櫓)
  • 南多門(単層櫓)
  • 東倉庫
  • 西倉庫

現地情報 

交通アクセス

  • 南海本線・紀勢本線「和歌山市駅」徒歩10分ほど。
  • JR西日本・和歌山電鐵「和歌山駅」→和歌山バス『和歌山城前』下車、徒歩。

2012年度から高齢者や足の不自由な障害者向けに、天守入り口まで電動車いすで案内するスタッフを常駐させる[11]

周辺

  • 和歌山城ホール
  • 和歌山県庁舎
  • 和歌山市役所
  • 和歌山県立近代美術館
  • 和歌山県立博物館
  • 和歌山中央郵便局
  • 岡山の時鐘堂
  • 無量光寺 - 首大仏の寺

その他 

姉妹城

  • 大坂城 - 1985年(昭和60年)11月2日提携

松下(パナソニック)との関係

和歌山城再建の際、松下幸之助(和歌山市出身)は最も多額の寄附をした。市の側でも松下の寄附を期待しており、「二ノ丸」の復原を依頼しようとしていたが、「寄付をするので天守閣にナショナルの看板を掲げさせてほしい」と冗談を交えて和歌山市に打診したという。

時代劇・童謡

『水戸黄門』、『暴れん坊将軍』、『影武者徳川家康』、『徳川風雲録 八代将軍吉宗』、『天下騒乱〜徳川三代の陰謀』、『逃亡者おりん』などの時代劇を中心に撮影が行われている。中でも徳川家や吉宗に関するものは多い。

紀州の殿様を謡った童謡『まりと殿様』(作詞:西条八十、作曲:中山晋平)が城内のチャイムに使われており、八十直筆の歌碑が天守前広場に設置されている。再建50周年の城郭整備基金の寄付証書としても発行された[12]

チャイム

『まりと殿様』のチャイムは午前7時、午前9時、正午、午後3時、午後5時、午後9時、の1日計6回鳴らされる。午後9時のみドボルザーク交響曲第9番「新世界より」の第2楽章「家路」をアレンジしたチャイムである。この「家路」チャイムはかつて午後10時に鳴らされていたが、近隣住民からの苦情に伴い2010年頃を境に取りやめた。2018年5月8日より午後9時チャイムの「まりと殿様」を代替する形で復活した。

参考文献 

  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」

和歌山城の口コミ情報

2024年09月27日 おっくん
和歌山城



一度来てみたい!実現して最高な気分です。坂道キツかったけど、天守から見る風景に疲れ吹っ飛びました。

2024年08月28日 RED副将軍
和歌山城



偶には有名城を口コミ投稿!

徳川御三家のひとつである紀州徳川家の居城🏯

日本100名城

1585年に羽柴秀長により築城。
羽柴秀長は紀州征伐に副将軍として参陣し、紀州を平定すると紀伊・和泉の2国を加増されます。そして紀伊国の一大拠点として羽柴秀吉の命により築いたのが和歌山城です。譜勢は築城の名手である藤堂高虎で、羽柴秀長は大和郡山城を本拠地としたので重臣の桑山重晴が城代として入城しました。
1600年の関ヶ原の戦い後、東軍に属した桑山一晴は大和新庄藩に転封となり、代わって浅野幸長が入城。この頃に連立式の天守群を築き、城下町の整備をするなど大改修が行われたとされます。
1619年、浅野長晟が安芸国広島へ移封となると、徳川家康の十男である徳川頼宣が駿府城より入城。紀州徳川家が成立し、御三家として明治まで存続しました。

見所
標高49mの虎伏山に築かれ、北部の紀の川を天然の堀としています。山頂の西に天守曲輪、東に本丸を置き、北麓に二の丸、西側に西の丸と砂の丸、南側に南の丸を配し、その外側に三の丸を配した梯郭式平山城。
戦災により天守は焼失し、現在のものは1958年に築いた鉄筋コンクリート造の天守群ですが古写真に基づき復元されています。
美しい石垣は「紀州青石」と呼ばれる緑泥片岩が多用されており、豊臣時代の古い野面積みも残ります。
御三家に相応しい名城です。

2024年08月07日 琉城A和泉守
京橋と京橋御門[和歌山城  碑・説明板]



和歌山城三の丸(武家屋敷)と城下町を隔てた市堀川に架かる京橋の門として存在した京橋御門の石垣。算木積みも見られます。 説明板からも分かるように京橋御門は巨大な櫓門で、和歌山城の大手門よりも規模が大きかったようです。(ちなみに、シティ和歌山近辺には城下町とその外を隔てる、こちらも規模の大きい本町御門がありました。住宅街には今でもクランクが残っています) 京橋広場の西側に階段があり、そこを降りるとリバーサイドウォークできます。階段を降りてすぐ後ろを振り返ると白いビルの下に石垣があるのを確認できます。階段をくぐって進むと写真のような風景を撮影できます。上からでも見れますので和歌山城を訪れた際はぜひお立ち寄りください

2024年05月10日 中務大輔 ほげらばり
和歌山城



和歌山城の向かいにある和歌山市役所の14階に眺望スペースがあります。見晴らしが良く、和歌山城の姿がよく見えます!レストランもあり、和歌山城を眺めながら食事もできます。(ランチタイムは人気なので予約がオススメ!)

2024年03月25日 あんどー左馬頭
和歌山城



朝一で行きましたが、まあまあの人出。桜咲く前でしたが、平日割と混んでました。緩やかに登る天守閣まで。思ってた以上に広い。すべての門まで廻る時間なく断念。しかし、徳川の威信を感じる立派なお城で、和歌山市は城下町であると認識。忍者隊の方たちにお願いすると写真撮ってもらえます😁

2024年03月12日 鈴木剛
掘の遊覧船乗り場[和歌山城  その他]



桜の花を掘から眺められるそうです。令和6年3月中旬頃から運航予定だそうです。

2024年03月10日 修理亮まさ
和歌山城



山の上に建っているので、天守閣まで少し山登りが必要ですが、見晴らしがよく、訪れる価値ありだと思います。

天守閣に続く門は、入場料が必要で、17時が最終受付なのでご注意下さい。

2024年02月18日 鈴木剛
紀伊湊城[和歌山城  周辺城郭]



紀伊国名所図会には「久保丁のはま南にあり」とあり和歌山市要には「湊久保町四丁目の紀ノ川に臨み土地やや小高い所を小名城山という」とあるそうですが近世から地形改変が著しく城郭跡らしき場所は残っていません。海善寺の西から河岸児童公園の辺りが城山と言われているようです。元禄期の資料にはすでに町になっていると書かれているようで大きな楠も有り城山の楠と親しまれていたようですが、それも枯れて無くなってしまっています。城主は吉川平介、豊臣秀長の家臣で紀伊国の大将と呼ばれ、材木奉行等を務めていたようですが1588年12月材木横領罪で打ち首になったそうです。

2023年11月11日 式部少輔若武者稲荷
和歌山城

南海和歌山市駅やJR和歌山駅からバスがあるので行きやすいです。途中、階段や坂道が多いです。入場料大人410円小人200円です。

2023年11月04日 ぱぱ〜ん伊豆守
和歌山城



堀、石垣、虎口、門、櫓、天守。どれを見ても味わいのある作りのお城です。紀州徳川家のお城なのに見せないところは質実な石垣なのは個人的に感動した。

2023年09月07日 千葉相模守早雲
和歌山城



羽柴秀長が紀州征伐のために築城。藤堂高虎が普請奉行を務めました。
その後、関ヶ原の戦いの功により浅野幸長が入城し、改修を行うも病死。弟の長晟が家督を継ぎますが、安芸広島に転封。
その後は家康十男の頼宣が入城し、ここに紀州徳川家が誕生。御三家に相応しい大改修を施しました。

時代により石材や積み方が異なるところが見どころです。秀長時代の緑色片岩の野面積みはあまりお目にかかれないので、必見です♪

1.大手門。
2.岡口門。
3.緑色片岩の石垣。
4.大天守と小天守。
5.左が二の門櫓、右が乾櫓。大天守&小天守と渡櫓で結ばれている。
6.渡櫓の下部にある埋門跡。立ち入れず、上から撮影。
7.本丸から見た天守。
8.御橋廊下と天守。

2023年03月21日 にっちょ弾正尹
和歌山城



17:30閉場のところ、17:00に到着し何とか入場させてもらう事ができました。3/20は城内の桜はつぼみ(城外はちらほら)でしたが、次週はきっと満開だと思います。

2023年03月13日 鈴木剛
四箇郷一里塚[和歌山城  遺構・復元物]



和歌山城の外堀にかかる京橋から一里(4km)の地点にある塚、昔の旅の目安として街道に作られた。藩主が参勤交代の時には藩士はここまで見送り、ここで帰りを迎えたそうです。

2023年02月01日 鈴木剛
和歌山城の抜け道[和歌山城  遺構・復元物]



和歌山城の抜け道であると言われています。和歌山城落城の際天守埋門から南の丸の不明門周辺に抜け穴があって、岡山の下を潜り三光寺東の溝を通って南に逃れるルートがあったと言う。裏付ける資料は無いが長保寺の方でも「和歌山城が落城した時は藩主が寺を拠点に戦い」と、まことしやかに語り継がれていたようです。

2023年02月01日 鈴木剛
和歌山城女中門[和歌山城  遺構・復元物]



和歌山城の女中門だと伝えられています。女中とは大名などの生活の場と言う意味で御殿などの生活空間に使用していたと思います。現段階ではその根拠はないそうですが、和歌山城の城門の扉は、全て透かし扉であるのに対して和歌山城本丸台所だった光恩寺庫裡の扉と類似している事を考えれば、生活空間の建物にあった門と言ってもいいように思います。説明看板などはありません。

2023年01月22日 tower428太閤
和歌山城



南海本線和歌山市駅から20分歩きました。天守に行くまでかなり登るので石段の昇降を覚悟してください。庭園も素敵なので帰り道に寄る事をオススメします。

2023年01月14日 黒田主馬首孝高
和歌山城



徳川御三家のお城と言うことで楽しみにしていました。確かにお城、堀と石垣はよかったです。あと、天守からの眺めも良いですね。陸奥宗光の銅像は少し驚きました。現地へ行く意外性?なのかも知れないですね。

2023年01月03日 百舌鳥
和歌山城



和歌山城へ行きました♪和歌山城は、石垣に特徴があり、映える写真が撮れる城に選ばれたようです!JR和歌山駅では、たま駅長で有名な、和歌山電鉄が停まってました。

2022年11月08日 胡蝶
和歌山城



門越しに見える紅葉と城🏯朝イチ着いて帰る頃には駐車場かなり渋滞してました。お出かけはお早めに。。

2022年11月05日 IDS主計頭ハタハタ王子
大天守[和歌山城  遺構・復元物]



天守裏の石垣は埋門という黄金水に繋がる道があります。また表の石垣に比べて転用石がたくさんあります。四角いいしや五輪塔の一部が大きめに使われています。

2022年11月05日 IDS主計頭ハタハタ王子
水ノ手曲輪[和歌山城  遺構・復元物]



水ノ手曲輪は普段は非公開だがイベント等で入れます。黄金水という井戸があるため水ノ手曲輪という。籠城するときに天守からすぐ降りて水を汲みに行けます。

2022年10月31日 IDS主計頭ハタハタ王子
黄金水[和歌山城  遺構・復元物]



黄金水は水ノ手曲輪にあります。普段は入れませんがイベント等で見に行けます。今はもう埋まっていますが、当時は天守に籠城した時にすぐ天守の埋門から坂を降りて水を汲みにいけたそうです。

2022年09月25日 左兵衛督ストリーム
駐車場[和歌山城  駐車場]

大手門からの入城には便利です。最初の60分は無料です。

2022年09月08日 IDS主計頭ハタハタ王子
大天守[和歌山城  遺構・復元物]



和歌山城はは毎年秋になると天守付近を綺麗に竹灯夜で飾られる。(他のところも飾られる)これは前の写真です。今年もあったらいいですね

2022年07月18日 野良犬しろチロ丸
和歌山城



今回、ボランガイドさんに案内してもらいました。仲間だけでまわるのも楽しいですが、ボランティアガイドさんのお話を聞くのも、新しい発見があり、勉強になります。

2022年06月29日 Tsumuko
和歌山城

石垣素敵でした✨石垣で2時間、天守閣で1時間、3時間で攻城🏯

2022年06月29日 尼崎城駿河守一口城主
和歌山城



5月22日、和歌山在住のOBに連れていってもらい登城🏯3回目の登城でしたが、過去2回見落としていた100名城スタンプのイラストの場所の岡口門に行けて良かったです。岡口門の道の反対側の岡公園にも寄って、幕末、明治と活躍された陸奥宗光公の像も見てきました。
天守閣登城の際、過去登城した時にはまだなかった御城印も入手✌️天守の展望階からの眺めは海も山もよく見え吉宗公になった気分でした。
天守を出た後、本丸御殿跡に上がり天守閣を撮影。足下を見るとクランクの続く石段が続き、もし戦になっても攻め上がって来る敵を色んな角度から迎え撃つことが出来るなと感じました⚔️
御橋廊下、わかやま歴史博物館に寄った後、市役所の展望階に連れて行ってもらいました。このスポットは知らなかったので地元在住のOBに案内してもらい感謝です😊
流石、御三家のお城だけあって石垣も芸術的で広大な規模で撮影スポットが数多くある名城だなあと感じました。

2022年03月17日 琉城A和泉守
和歌山城



和歌山城の地形

和歌山城が築かれた虎伏山周辺には砂丘がありました(吹上砂丘)。【砂の丸】という郭は全国で和歌山城だけにしか無く、今はグラウンドになっています。城内に砂があるのは珍しいようだ。写真①
三年坂からよく見える高櫓台に登ると、市内が一望できます。正面には近代美術館と岡山城(奥山稲荷)が見えます。岡山の時鐘堂のところですね。この辺りも丘のようになっていて、それが南にずっと続いています。これも吹上砂丘のものです。写真②
城内にある護国神社の参道には大きな鳥居⛩があります。参道は緩やかな坂道になっていて、右手には土盛りが見えます。これらは砂丘の名残です。写真③

和歌山市にはかつて、国内最大級の砂丘がありました。昭和初期までは一部現存していたそうですが、今はよく分かりません。しかし、城内を歩いていると、砂地になっているのが分かりました。

因みに、現在、和歌山城の伏虎像のグランプリを記念して、3月15日から、資料館で、先着2022名に記念御城印が配布されています。興味がある方は、是非。

2022年03月04日 鈴木剛
和歌山城



久しぶりに上まで登りました☺️本丸御殿跡が天守閣の撮影ポイントになっていましたがここから撮影すると連立式天守の良さは写りません😰これでいいんでしょうか?市役所の食堂の方が個人的にはお勧めです あくまで個人の感想です🙇

2022年01月29日 左衛門督かじくん
和歌山城



さすが紀州徳川家の居城、連立式天守が立派ですね✨復元された御橋廊下も実際渡ってきました♫なかなか趣があって、西ノ丸庭園からの景色も写真映えしてGoodです👍

2021年12月13日 陸奥守吉行宮内丞
和歌山城



和歌山市駅からさらに向かいましたが,駅近で,行く途中に勝海舟邸跡があり,坂本龍馬も来ていたそうです😊
石垣を見るのが楽しく,少し粗めの石垣や現代かのような綺麗な加工の石垣があったり、、、、天守以外にも楽しめる所があり,1日かけて散策しました😆

2021年12月12日 dynatopapa
和歌山城



市役所14階のレストランからの全景は素晴らしいです。天守への門では敷石がハート型に敷き詰められておりデートにもお勧めですよ

2021年11月21日 琉城A和泉守
和歌山城



和歌山城 埋門
普段は非公開の埋門。1945年7月の和歌山大空襲で天守を含め旧国宝の建造物が全て焼失。この時、埋門の外側の扉が焼け、門上部の石垣も一部崩れた。
御台所から石段を下りたところにあり、この門を出て水の手(黄金水という井戸がある郭)に行くことができる。内部には虎伏山の岩盤が見られ、その上に石垣を積んでいる。埋門の公開は年に1回あるかないかなので、公開の日は是非是非。

2021年03月28日 くっしー治部大輔尚人
和歌山城



紀州藩のお城ですが、豊臣秀長の築城に始まり多くの大名が関わったお城です。
石垣に使われている石が特徴的ですね。この地元の材料を使ってるんですかね?その辺は詳しくないので、誰か教えてください。
縄張は舛形が多様されていますね。優美さ持ちながら守りも考えた城というところです。
岡口門が重要文化財に指定されています。小さいながらも趣がありました。
駐車場は不明門から入って城内にとめられますが60台分ほどしかないので、満車なら周辺の駐車場を探す必要がありますよ!

2021年03月06日 のり。
和歌山城



JR和歌山駅よりバス公園前(和歌山城)に乗車し6分程度です。料金は¥230
徒歩でも30分位の距離です。
天守 入場料 ¥410
西ノ丸庭園
御橋廊下
岡口門 等見どころあります。

あと小さいながら動物園もあり熊さんやペンギンさんもいます。

2021年03月02日 しげしげ主税頭信繁
和歌山城



日本100名城のスタンプはわかやま歴史館(復元天守)チケット売り場で申告すれば出してくれます。
わかやま歴史館の入場料は大人410円、子供200円。


2021年02月26日 【城郭道】たっきー
乾櫓[和歌山城  遺構・復元物]

連立式天守を構成する櫓の一つ。天守から見て西方面に位置する。 ディアゴスティーニ日本の城33巻より


2021年02月26日 【城郭道】たっきー
大手門[和歌山城  遺構・復元物]

和歌山城の三の丸から内郭へ入る正面の門。1982年(昭和57)に再建された。紀州藩5代藩主徳川吉宗の代に訴訟箱(領民の訴えを取りあげるための訴状箱)が設置されていた。 ディアゴスティーニ日本の城33巻より

2021年02月25日 【城郭道】たっきー
岡口門[和歌山城  遺構・復元物]

城の大手が北側に変更されるまでの大手門。扉は内開きで柱の角及び扉には鉄板が張られている。切妻造・本瓦葺の厳重な櫓門。現在の門は1621年(元和7)建築と考えられる。重要文化財。 ディアゴスティーニ日本の城21巻より

2021年01月14日 天道式部卿早雲
水軒海防堤防の移築保存展示[和歌山城  遺構・復元物]



水軒交差点改良工事の際に地中より発見された堤防を移築保存されたもの。
江戸時代の18世紀後半に造られた石と土で造られた南北1kmに及ぶ海浜の堤防だったそうです。
発見された16段(高さ4m)のうち上部6段が移築され保存展示されています。
説明板写真にある発見当時の全体も見たかったぁ〜

2020年12月07日 イオ左衛門佐
本願寺鷺森別院[和歌山城  寺社・史跡]



鷺森御坊は、永禄六年(1563)に御坊山(秋葉山)から移転して築かれた紀州門徒の拠点で、石山合戦の講和後は大坂本願寺を退去した門主・顕如を迎えて、貝塚に移るまでの約3年間、この地が浄土真宗の本山「鷺森本願寺」となりました。

和歌山大空襲で焼失してしまい、現在の本願寺鷺森別院に往時の遺構は見られませんが、南隣の学校敷地での発掘調査では大規模な堀が確認され、陶磁器や瓦、鉄砲玉なども大量に出土しています。

また、今年はコロナの影響で中止になりましたが、例年3月には本願寺鷺森別院で孫市まつりが開催されており、武者行列や鉄砲演武などが行われますので、興味のある方はどうぞ。

2020年10月26日 摂津守ようちん
和歌山城



再建天守で内部は博物館だけど、なかなかの見ごたえ♥️手裏剣投げコーナーや動物園など、子供連れでも楽しめる❗️

2020年08月30日 蔵人頭みの
和歌山城



登城者は少なめ、気温33℃の炎天下の中黒い衣装の忍者の皆様ご苦労様です★
けど、歩きにくい急な階段上がってきたおじさんに不意に声かけても応対できないからちょっと待ってあげてね(笑)

2020年08月16日 めぐむ
和歌山城



駐車場入り口からすでに立派な桝形でびっくり!たまたま出会った語り部さんに和歌山城は岩盤の上に建ってると教えられました。野面積みと打ち込みはぎと石垣がよく観察できて、天守閣からの眺めも最高。

2020年08月08日 琉城A和泉守
和歌山城

御城印

和歌山城天守閣チケット売り場に売っています。通常版と8月限定版、2種類売っています。私は、限定版を買いました。

2019年11月09日 天道式部卿早雲
和歌山城天守閣チケット売り場[和歌山城  スタンプ]

100名城スタンプは係員の方に尋ねたら、中から出してくれました。

2018年02月26日 小夜月左衛門督三葉
湊御殿[和歌山城  遺構・復元物]

という経緯なので、現地には遺構は何もありません。強いて言えば、御殿の庭園背景として取り入れられていたであろう市堀川・水軒川を利用した材木工場が多く存在するところでしょうか。
養翠園の隣に移築された奥御殿(和歌山市西浜1161、0734444188)は、観覧料100円、9時~17時(4月~8月は18時)、無休(臨時休館あり)。無料駐車場あり。バス停は養翠園前。

2018年02月26日 小夜月左衛門督三葉
湊御殿[和歌山城  遺構・復元物]

紀州藩2代徳川光貞が、元禄11(1698)年に隠居地として造営した御殿です。多くの建物があったようですが、明治に入って取り壊されましたが、寺や個人への売却などでいくつかの建物が移築保存されています。和歌山市西浜の養翠園にある湊御殿(奥御殿)は、天保5(1834)年11代藩主斉順が再建したものを移築したものです。
和歌山城から南西、現在の湊御殿1~3丁目あたりに所在していました。

2018年02月05日 まるき〜陸中守
和歌山城

和歌山城内、わかやま歴史館にて…
「お城が見えるレストラン」
の案内板を見て行ってみました。
お城の北側にある市役所の14階
「十四階農園」というレストラン
土、日、祝日はバイキング方式のみですが料理の種類も多くソフトドリンク、デザートも充実していて大変満足のいく食事ができました。

何よりも和歌山城天守を目の前にしての食事は至福のひと時を楽しめると思います。

土、日、祝は午前11時〜午後2時まで営業
一般でも利用できます。

料金
大人(中学生以上)1280円税抜
子供880円
幼児480円

市役所西側入り口より入館
ゆっくり観覧できる展望スペースもありますので食事に悩まれたら是非寄ってみて頂きたい所だと思いました。

2017年11月05日 織田上総介晃司
和歌山城

動物園側に有料駐車場があります。

連立式天守に目が行きがちですが(岡口門からの天守も含め)石垣にも特徴があり長時間かけて散策するのがいいでしょう。

写真にアップした石段をよじ登る木の根っこは以前「ナニコレ珍百景」に投稿されたらしいです。探してみては?

ご当地ラーメン・和歌山ラーメンは豚骨醤油ラーメンでややコッテリ系。早寿司と呼ばれる押し寿司と一緒に食べるのが主流。



2017年10月26日 図書頭
和歌山城

天守閣に至るまでの道のりは大変だったけど、大きな石垣と木々に囲まれて、別世界感を味わえてよかった。

西ノ丸庭園にあるお茶室・紅松庵は気軽な割に雰囲気が味わえてオススメ。復元された御橋廊下もよかった。

わかやま歴史館(天守閣共通入場券有り)で上映されてる映像を先に見ておいたら、お城のイメージがしやすいかも。

2017年06月01日 KOMA
和歌山城

顔ハメパネルを3カ所で発見。
観光案内所では無料で甲冑を試着出来ます。
トイレもキレイで、和式、洋式揃っています。
城の周りには吉宗公ゆかりの地もあり、1日かけて楽しめます。

2017年05月12日 ( *¯ ³¯)っ旦
和歌山城

和歌山城の外観の見方と写真
内堀に入ってしまうより、内堀の周りを回った方が天守好きな方には合っていると思います。
特にJRから降りてきて、城に入らずに直進すると天守と御橋廊下、お堀が観れます。
御橋廊下入り口もこちら側で、
手前左手に馬に乗ったお殿様の顔くり抜き看板があります。
写真を撮っている人は見たことがないですけど。

無料動物園側は見所が少ないかもしれませんが、なかなか立派な石垣の横を通ることになります。


2017年03月19日 紀伊守有酸素運動
和歌山城

歴史館そばで二時間無料貸出してくれる忍者衣装無料期間は今月いっぱいらしいです

2017年01月19日 涼
和歌山城

最寄り駅は和歌山市駅ですが、駅から徒歩15分程度離れた場所にあります。
連立式天守で、1〜2階は具足や刀剣、発掘された瓦などが展示されてます。3階からは和歌山市の風景が見えます。
100名城スタンプラリーをされてる方は、入閣券販売受付にスタンプがあるので受付の方に頼んで貸して頂きましょう。
天守閣入閣券にわかやま歴史館の入場券も付いているので、時間がある方はどうぞ。
最近できたようで、2度目の再建以降の城の様子がわかるシアターも上映されています。
天守も良いですが、個人的には天守に続く野面積みの石垣が苔や草に覆われていてとても好きです。

2016年09月27日 青コアラ美濃守
和歌山城

本丸にあった御台所という建物が、和歌山市内の光恩寺に移築されて庫裡として残っています。

2015年07月30日 まるき〜陸中守
和歌山城

和歌山城には、おもてなし忍者が土日、祝日に出没します。
主に観光のお手伝い、ベビーカーや車椅子の方を階段の上まで上げてくれたり、
写真撮影をしてくれたり、道の案内や撮影スポットを教えてくれたり
暑い日は霧のミストでお出迎えしてくれたりと…
困った時にはとても頼りになる忍者さん達です。(;^_^A

そんな忍者との絡みも含めて
和歌山城を見学するのも楽しいと思います、天守からは海も見えます。

お城は連立式で天守内、櫓、渡り廊下部分には展示物、資料、博物館になっています。トイレも有り
本丸を降りて行くと無料の簡易動物園もあるので小さいお子さんが居ても楽しめるかと思います。



2014年05月26日 松平大宰大弐元康
和歌山城

ところどころ屋根の隅に桃の飾りが付いています。

2014年05月07日 しゅんぱつ弾正大弼ぬるま湯
和歌山城

5/3に登城しましたが、天守曲輪の転用石のある部分が立入禁止になっていました。
問い合わせしたところ、蜂の巣があるとの事での処置だそうです。
何時までの処置かは判りませんが、行かれる方は問い合わせてから、訪れる事をお勧めします。

2012年10月14日 三沢出羽守伊兵衛
和歌山城

市役所最上階からの眺めがいいのだが、窓の汚れをなんとかして欲しい。

2011年01月30日 左京進花蘭
和歌山城

護国神社鳥居側からの入り口の階段のところに、階段をよじ登ろうとする小人さんのような根っこがあります。

2010年08月08日 栗林勘解由次官忠道
和歌山城

現在改修中なのであまりおすすめできません。見苦しかった

和歌山城の周辺スポット情報

 岡口門(遺構・復元物)

 乾櫓(遺構・復元物)

 二の門櫓(遺構・復元物)

 御橋廊下(遺構・復元物)

 大手門(遺構・復元物)

 表坂(遺構・復元物)

 不明御門跡(遺構・復元物)

 七福の庭(遺構・復元物)

 銀明水(遺構・復元物)

 鶴の渓(遺構・復元物)

 大天守(遺構・復元物)

 小天守(遺構・復元物)

 砂の丸(遺構・復元物)

 (遺構・復元物)

 水軒海防堤防の移築保存展示(遺構・復元物)

 湊御殿(遺構・復元物)

 追廻門(遺構・復元物)

 湊御殿(遺構・復元物)

 南の丸櫓跡(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 天守曲輪(遺構・復元物)

 御蔵の丸(遺構・復元物)

 二の丸御殿跡(遺構・復元物)

 西の丸御殿跡(遺構・復元物)

 南の丸(遺構・復元物)

 岡中門(遺構・復元物)

 中門(遺構・復元物)

 北堀(遺構・復元物)

 西外堀(遺構・復元物)

 西堀(遺構・復元物)

 東堀(遺構・復元物)

 番所西櫓跡(遺構・復元物)

 水ノ手曲輪(遺構・復元物)

 黄金水(遺構・復元物)

 和歌山城石垣(遺構・復元物)

 和歌山城女中門(遺構・復元物)

 和歌山城の抜け道(遺構・復元物)

 一ノ橋(遺構・復元物)

 四箇郷一里塚(遺構・復元物)

 松ノ丸櫓台(遺構・復元物)

 本丸表門跡(遺構・復元物)

 徳川吉宗生誕の地(碑・説明板)

 百間長屋跡(碑・説明板)

 陸奥宗光伯生誕地(碑・説明板)

 本丸御殿跡(碑・説明板)

 二の丸・大奥(碑・説明板)

 吹上口(碑・説明板)

 西の丸跡(碑・説明板)

 三の丸(碑・説明板)

 北内堀と石垣上の櫓(碑・説明板)

 一の橋と大手門(碑・説明板)

 家老三浦家上屋敷跡(碑・説明板)

 付家老の安藤家と水野家の上屋敷跡(碑・説明板)

 御付家老水野家屋敷地跡(碑・説明板)

 京橋と京橋御門(碑・説明板)

 納屋河岸(碑・説明板)

 北外堀(碑・説明板)

 勝海舟寓居地(碑・説明板)

 二の丸・中奥(碑・説明板)

 二の丸・表(碑・説明板)

 大手門と一の橋(碑・説明板)

 四箇郷一里塚(碑・説明板)

 湊橋と湊橋御門(碑・説明板)

 名勝 西之丸庭園(碑・説明板)

 堀詰橋跡(碑・説明板)

 復元·御橋廊下 西之丸(碑・説明板)

 漆喰池(碑・説明板)

 二之丸(大奥部分)(碑・説明板)

 扇之芝(碑・説明板)

 田中善蔵顕彰碑(碑・説明板)

 木下次郎四郎屋敷跡(碑・説明板)

 東内堀と広瀬御門(碑・説明板)

 南方熊楠生誕地碑(碑・説明板)

 藩校跡(碑・説明板)

 天守郭と天守閣(碑・説明板)

 岡山城(周辺城郭)

 紀伊湊城(周辺城郭)

 本願寺鷺森別院(寺社・史跡)

 岡山の時鐘堂(寺社・史跡)

 紀伊徳川家廟所(報恩寺)(寺社・史跡)

 報恩寺(寺社・史跡)

 恵雲寺(寺社・史跡)

 旧大村家住宅長屋門(寺社・史跡)

 石切場跡(寺社・史跡)

 刺田比古神社(寺社・史跡)

 桑山重晴墓(寺社・史跡)

 珊瑚寺(寺社・史跡)

 大泉寺(寺社・史跡)

 禅林寺(寺社・史跡)

 和歌山県護国神社(寺社・史跡)

 寺町(寺社・史跡)

 紀州徳川神社(寺社・史跡)

 鷺ノ森遺跡(寺社・史跡)

 若宮八幡神社(寺社・史跡)

 御城印(御城印)

 和歌山城天守閣チケット売り場(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 御手洗(トイレ)

 和歌山城桜林公衆トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 和歌山ロイヤルパーキング(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 二輪車用駐車場(駐車場)

 わかやま歴史館(関連施設)

 和歌山城公園(関連施設)

 動物園(その他)

 徳川吉宗公之像(その他)

 喫煙所(その他)

 和歌山市観光土産品センター(その他)

 喫煙所(その他)

 お天守茶屋(その他)

 台所門虎口の人型の根(その他)

 掘の遊覧船乗り場(その他)

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