中津城(なかつじょう)
中津城の基本情報
通称・別名
- 中州城、中野島城
所在地
- 和歌山県和歌山市中之島
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 土橋平右衛門
築城年
- 天正年間(1574〜1592)
主な改修者
- 雑賀権太夫
主な城主
- 雑賀氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
和歌山城(和歌山県和歌山市)[1.8km]
太田城(和歌山県和歌山市)[1.9km]
秋月城(和歌山県和歌山市)[2.5km]
薗部城(和歌山県和歌山市)[2.7km]
中野城(和歌山県和歌山市)[4.0km]
弥勒寺山城(和歌山県和歌山市)[4.8km]
木本城(和歌山県和歌山市)[5.6km]
雑賀城(和歌山県和歌山市)[5.8km]
北野城(和歌山県和歌山市)[6.7km]
雑賀崎城(和歌山県和歌山市)[7.0km]
中津城の解説文
[引用元:Wikipedia「中津城」の項目]
中津城(なかつじょう)は、紀伊国(和歌山県和歌山市)にあった日本の城。
概要
- 1577年(天正5年)、織田信長の紀州征伐の際に要衝の弥勒寺山城を守るべく築城したとされる。
- 1585年(天正13年)、豊臣秀吉の紀州征伐の際にも前線となり、10万の大軍を迎え討って落城している。
- 城は平城で遺構はない。城の規模は現在のJR西日本紀勢本線紀和駅から駅南側の西覚寺まであったとされる。
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中津城の口コミ情報
2024年10月30日 noble権中納言弥勒菩薩
中津城
雑賀攻め時に名が出てくるお城。紀和駅辺りが城跡と言われています。
しかし、鉄道、宅地で全く隠滅しており、掘り返しでもしないともはや不明です。まぁ、掘り返されることはないでしょうね。
なので、写真は電車車中(しかも高架駅)からのものです😝
2023年04月11日 第六天魔王 近江守 八咫烏
中津城
JR紀和駅があり、駅周りは公園で整備されており、遺構どころか案内看板もない感じでした。が、やはり現地に出向いて思いを馳せるのは気分が良くなります!
2023年02月02日 鈴木剛
血洗いの手水鉢[中津城 その他]
鷺ノ森の合戦の時に雑賀孫一が血の付いた槍を洗った手水鉢だと言う言い伝えがあります。説明看板などはありません。
2022年12月01日 鈴木剛
有本城[中津城 周辺城郭]
西側を南北に流れる小川を城の川と俗称されこの川を西堀として四方を堀で囲んだ屋敷構えの城郭で北側を城の前南を城の浦と言われていたそうです。居城者の伝承は乏しく諸説有るようです。
2022年01月08日 鈴木剛
中津城
紀和駅構内に大きな石がいくつか埋まっていた 和歌山市内の観光ガイドに中津城の記事があり「紀和駅構内に遺構がある」と書いてあり言われてみればあれが石垣だったのかと思った やがて紀勢本線の高架工事が始まり紀和駅も改修工事された 工事が終わり駅に行くと石垣跡は綺麗に消えていた 和歌山市は貴重な観光遺産を無くしたと言う気がした 高架なんだからあの下に石垣を再現して説明看板でも建ててくれればよかったのに
2018年03月01日 小夜月左衛門督三葉
中津城
お城の説明は『和歌山城郭研究』12(2013年)に詳しく載っています。
中津城は信長の紀州攻め以降史料に現れず、廃城になったと思われます。安政2年の和歌山城下地図に中津城の堀跡と思われる「蓮池」が記されています。
鉄道敷設黎明期(明治後期)、紀和駅は当初東和歌山駅として和歌山の玄関口として発展しました。市電の敷設や周辺の工業化で開発が進み、城郭の名残は完全に消滅したと思われます。今はJR和歌山駅と南海和歌山市駅の中継駅として、寂しい状態ですが。
その過去の開発の中でも、西覚寺は瓦や石垣を練り込んだ立派な土壁に囲まれた大きな敷地を有していますので、城郭と何らかの関係があったと想像しながら散策すると楽しいです。
駐車場はないので、電車を利用した方が良いかも。最近整備された紀和駅直下の公園のトイレは綺麗でした。
2012年12月28日 雑賀孫一
中津城
人がいなくて城らしい影もなかった