雑賀崎城(さいがざきじょう)

雑賀崎城の基本情報

通称・別名

所在地

和歌山県和歌山市雑賀崎

旧国名

紀伊国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

雑賀孫市

築城年

天正年間(1573〜1592)

主な改修者

雑賀氏

主な城主

雑賀氏

廃城年

天正13年(1585)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

雑賀城(和歌山県和歌山市)[2.8km]
弥勒寺山城(和歌山県和歌山市)[3.1km]
湊御殿(和歌山県和歌山市)[3.9km]
和歌山城(和歌山県和歌山市)[5.2km]
太田城(和歌山県和歌山市)[6.9km]

雑賀崎城の解説文

雑賀崎城(さいがざきじょう)は、紀伊国(現・和歌山県和歌山市雑賀崎)にあった城。

概要
天正年間に石山本願寺を追われた教如を匿うため、雑賀衆棟梁雑賀孫市によって築城された。教如は崖下にあった上人窟(現存、和歌山県指定天然記念物)に隠れていたという。

安政年間に紀州藩が海上の防備のために築いた元番所台場もこの付近にあり、入り組んだ地形が天然の要害の役割を果たしたようである。

1585年(天正13年)の豊臣秀吉の紀州征伐の後に廃城となった。

城は山城で、城址に遺構はなく、現在は観光地施設として雑賀崎灯台が建てられている。灯台の奥には上人窟に繋がる遊歩道があるが、現在、台風により崩落しており、危険が伴うとして途中までしか行けない。

雑賀崎城の口コミ情報

石工集団穴太衆様[2018年11月17日]
雑賀崎城の遺構は消滅しているそうですが
その周辺には雑賀崎台場と番所庭園があります

【雑賀崎台場】は幕末に異国船が日本沿岸に現れたとき幕府が各地の沿岸部に造らせた大砲台場で和歌山市加太から和歌山県下津町大崎には三十数カ所あったそうです
雑賀崎台場跡は、その内の一つで、紀州藩が築いた台場で、中でもこの台場は遺構が良く残っていて、素晴らしかったです

【番所庭園】は、番所の鼻と言い、平坦で海に長く突き出た地形で、紀州藩が海の防備見張りのため遠見番所を設けました、藩領の長い海岸線十数ヶ所に番所がありましたが、ここはその中でも和歌山城に最も近い番所として、狼煙場と共に重要な所でその後、遠見番所は鷹の巣山頂へ移転したので、ここは「元番所」と呼ばれています

小夜月左衛門佐三葉様[2018年03月03日]
雑賀崎城(旧雑賀崎小学校)は、雑賀崎を北側から登り、灯台と雑賀崎集落に分岐するY字路の左手の切り通りの上部にかかる橋を灯台方面に登ってすぐの位置にあります。防災放送塔やドコモのアンテナが立っている広場です。それら施設と一応の公園化で下草は刈ってくれていますが、眺望は……残念。夏場は侵入困難かもしれません。
伝狼煙場には、広場向かいの急な坂道を信じて登ったピークですが……畑になってます。周囲の雑木が育って、こちらも眺望は残念。……景色は灯台で(笑)
駐車場、トイレはありません。バス亭は雑賀崎
ちなみに、少し田野方面に走ったカフェ(Nゲージが走ってました)でお茶を頂いて、そちらの店長様に理由を話して車を置かさせてもらいました。

小夜月左衛門佐三葉様[2018年03月03日]
『紀伊続風土記』に狼煙場の記事があり、雑賀崎小学校『創立百周年記念誌』に「山の上にもとの学校の辺りを城の内・どんべ(土塀)と呼びますが、戦国時代の雑賀党の見張り場があったからです」と記録されています。伝狼煙場からは、北の水軒浜や紀の川河口、西の紀伊水道が見渡せます(雑木が多くて見にくいですが)。
『和歌山城郭研究』12 には、雑賀崎集落による海上を見張る昨日に特化した城郭ではないかとしています。
雑賀崎灯台の他にも、付近には幕末の台場(番所の鼻)、上人窟などの名所もあり、厳密にはお城ではないかもしれませんが、雑賀崎城として大きくまとめるのも悪くない気がします。

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