木本城(きのもとじょう)

木本城の基本情報

通称・別名

木ノ本城

所在地

和歌山県和歌山市木ノ本910

旧国名

紀伊国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

木本(湯浅)宗保

築城年

鎌倉時代後期

主な改修者

主な城主

木本氏、湯浅氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

中野城(和歌山県和歌山市)[1.7km]
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薗部城(和歌山県和歌山市)[6.2km]

木本城の解説文

木本城(きもとじょう)は、紀伊国(現・和歌山県和歌山市)にあった城。

概要
築城時期は不明だが、湯浅宗重の孫宗保が築城し、木本氏を称したという。

城は山城だが、宅地造成が行われて原形は留めていない。2005年(平成17年)発行の和歌山市北部の地図には「城山」と記載され、和歌山県警察学校の南西に位置する。

木本城の口コミ情報

小夜月左衛門佐三葉様[2018年03月06日]
現地は、大規模霊園が営まれてますので……駐車場はあります。お彼岸などの時期を避けて迷惑のない見学なら良いのかな?
バスは、76系統176系統の「警察学校口」
トイレはないです。
警察学校を挟んだ北東奥の山頂(160m)には、雑賀党が築き、織田軍が占拠・使用した長尾城があります。西の宮舞山を挟んで、獅子舞で有名な木本八幡宮が鎮座しています。木本氏はこちらが本拠かもしれません。

「城山遺跡現地説明会資料」(和歌山市教育委員会、同市文化体育振興事業団、1993)、
益田雅司「和歌山市城山遺跡(木本城)について」(『和歌山地方史研究』25.26、1994)、
同氏「城山遺跡の発掘」(『定本和歌山県の城』)、
北野隆亮「和歌山平野における円錐形鉛インゴットと鉛製鉄砲玉ー城山遺跡の「織豊系陣城」評価と出土遺物の検討」(『紀伊考古学研究』16)、
白石博則「木ノ本城跡」(『和歌山城郭研究』13)

小夜月左衛門佐三葉様[2018年03月06日]
城山(擂鉢山)に築かれていましたが、1993年に造成され墓地になっています(ほとんどが空き地なので、造成する必要性はあったの?)。
伝承では、湯浅党に属した木本氏の居城とされていたようですが、破壊が決定して考古学的な調査が入り、学術研究が進んだ結果、信長の紀州攻めからそれ以降に関連した城であったとされています。
切岸ではなく土塁を使った曲輪、曲輪内部を方形に区切る造成、虎口の明確化など、和歌山県下とくに紀北の山城では、非常に珍しい構造をしていました。この特徴は、播磨三木城攻めの陣城や賤ヶ岳合戦の砦に非常に類似しているそうです。
城の後背に木本峠が位置している立地条件から、和泉山脈で雑賀衆のゲリラ攻撃に悩まされた織田侵攻軍の、和泉と紀伊の物資輸送の繋ぎの城と築城され、雑賀地域の織田支配に機能したたと想定されています。
城跡に火災落城の形跡が見られなかったのは、信長の敗死後、親織田派の鈴木氏が反織田派の土橋氏に追放された際、織田勢力が自主的に退去して、その機能を終えたからではないかされています。
研究史は多いので、別途書いておきます。

北川幸人様[2016年08月11日]
現在、大規模霊園になっています。遺構は確認できません。

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