淡輪城(たんのわじょう)

淡輪城の基本情報

通称・別名

淡輪邸

所在地

大阪府泉南郡岬町淡輪字城の藪

旧国名

和泉国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

淡輪氏

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

淡輪氏

廃城年

遺構

土塁

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

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淡輪城の口コミ情報

2021年07月05日 イオ紀伊守
法福寺[淡輪城  寺社・史跡]



法福寺は「お菊寺」とも呼ばれ、豊臣秀次と小督局の娘であるお菊の木像が安置されています。

秀次切腹事件に連座して小督局が斬首された際、まだ生後一か月だったお菊は助命され、母のいとこにあたる後藤興義の養女として育てられますが、紀伊国山口の代官・山口喜内の嫡男・山口兵内に嫁いでまもなく大坂の陣となり、山口氏が豊臣方について夫が大坂入りしたため、お菊は男装して大坂への密使を務めました。しかし、返書を持って戻る途中に徳川方に捕らわれ、助命の申し出を拒んで処刑されました。そして、わずか20歳で生涯を閉じたお菊を哀れんだ養母が、後藤氏の菩提寺である法福寺に木像を納めたと伝わります。

# 小督局は淡輪城主・淡輪徹斎の娘であり、お菊は徹斎の孫にあたりますので、淡輪城でスポット登録しています。

2021年07月05日 イオ紀伊守
淡輪城



鎌倉期に土着の国人・淡輪氏が築いた城館で、織豊期までこの地を領しましたが、淡輪徹斎の娘が豊臣秀次の側室「小督局」となっていたことから、秀次切腹事件に連座して没落しました。その後、徹斎の長男・重利は紀州藩の浅野氏に仕え、二男・重政は大坂の陣で豊臣方につき、夏の陣の樫井の戦いで討死しています。

周囲に土塁をめぐらせた方形館で、東辺、南辺、西辺に土塁が残りますが、曲輪内は私有地で立ち入りできない上に、土塁のあたりには樹木が生い茂っていて北側の道路から見てもよくわからず、かろうじて説明板が立てられている西辺の土塁を確認できるくらいでした。

2021年05月29日 おでんくん
淡輪城

なんにもないのですが、土塁?最近のもの?みたいなものはあります。でも人んちなので、これもまた…。近所の船守神社の大楠は信長も見たに違いないし、本殿は秀頼の命で建てられた古いものです。そちらは一見の価値ありです。

2021年04月27日 シゲ之輔民部大輔
淡輪城



立て看板があるだけでお城の後は今は残っていません。ただ近くには前方後円墳があります。小さな古墳ですが逆に形がわかります。近くの山はツツジがきれいです

2017年04月30日 シバヤン近江守雲外蒼天
淡輪城

追記。淡輪重政の墓はJR新家駅から樫井川に架かる大正橋をわたり右に曲がった所にあります。墓の後ろの水田の用水路が昔の樫井城の跡との事。想像力を働かしてみるに武家屋敷に壕を巡らした姿と思いました。
樫井川で待ち伏せの浅野軍五千に早朝から夕方迄五百程の兵でよく戦い、団右衛門戦死の後も樫井城の要害を使い味方を鼓舞し
何度となく斬り込み激闘する重政に敵の浅野軍も舌を巻いたでしょう。
味方の潰滅を見届け伝家の宝刀振りかざし猛獣の咆哮をあげて最期を遂げたのでしょう。
古戦場の石碑や重政の墓は大変立派です。
地元の顕彰会か保存会の方々の労力のおかげかと推測します。こちらもお時間あれば見てやって下さい(^_^)ノ
水田の稲穂がキラキラ輝き今年も豊作のようです。

2017年04月30日 シバヤン近江守雲外蒼天
淡輪城

続)父の徹斎から淡輪城で武将としての生き方を受けて武芸、領国経営を見て過ごした若き頃の故郷をもう一度取り戻したいと考えて兄の浅野仕官を断る。
戦雲漂い時節到来!秀頼から過去の父の所行を謝る、徳川に勝利の暁には旧領回復を約束の誘いが。兄の重利は大反対!兄と激論を交わしたが敵味方になる決断する。
浅野討伐の郷導使を受ける、道半ばには淡輪城がある彼の期待はいかばかりか。
しかし彼はついてない!同軍の団右衛門と岡部が先陣争いを始めてしまい浅野軍に樫井川で激突、奮戦虚しく潰滅する。
やっと最後の旧領回復のチャンスを不本意な形で潰えた彼には同情を禁じ得ません。

船守神社まで行くと往事の繁栄ぶりが、感じられたのが唯一の慰めになりました。

2017年04月29日 シバヤン近江守雲外蒼天
淡輪城

大坂の陣に参戦した淡輪重政の城を訪ねる向かう。南海電鉄の淡輪駅から海に向かい歩く大きい目印はスーパー淡輪店。過ぎた所の信号を左に折れて右手の西林寺を見つけたら左手に畑になってる所に淡輪城の案内板があります。唯それだけです。
個人所有の畑の中のおばさんに話をし、入らせてもらい散策。その中に僅かに土塁と思われる物がある、それだけでした。
お勧めはしません。まるで寝たきりの病人の生命維持装置を付けて余命を伸ばしているかの姿に寂寥感にため息が出ました。
幸村、又兵衛に比べて認知度がない彼はこんなものなのかとがっかり。

淡輪重政は秀次切腹に連座で改易、小西行長に拾われ関ヶ原敗戦で浪人に。兄の重利は浅野に仕官叶う。悶々として兄の庇護のなか世に出る機会を待ってたんでしょう。
(これからは私の妄想です、お付き合い下さい。)


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