淡輪城(たんのわじょう)
淡輪城の基本情報
通称・別名
- 淡輪邸
所在地
- 大阪府泉南郡岬町淡輪字城の藪
旧国名
- 和泉国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 淡輪氏
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 淡輪氏
廃城年
- -
遺構
- 土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
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淡輪城の口コミ情報
シバヤン近江守肝胆相照様[2017年04月30日]
追記。淡輪重政の墓はJR新家駅から樫井川に架かる大正橋をわたり右に曲がった所にあります。墓の後ろの水田の用水路が昔の樫井城の跡との事。想像力を働かしてみるに武家屋敷に壕を巡らした姿と思いました。
樫井川で待ち伏せの浅野軍五千に早朝から夕方迄五百程の兵でよく戦い、団右衛門戦死の後も樫井城の要害を使い味方を鼓舞し
何度となく斬り込み激闘する重政に敵の浅野軍も舌を巻いたでしょう。
味方の潰滅を見届け伝家の宝刀振りかざし猛獣の咆哮をあげて最期を遂げたのでしょう。
古戦場の石碑や重政の墓は大変立派です。
地元の顕彰会か保存会の方々の労力のおかげかと推測します。こちらもお時間あれば見てやって下さい(^_^)ノ
水田の稲穂がキラキラ輝き今年も豊作のようです。
シバヤン近江守肝胆相照様[2017年04月30日]
続)父の徹斎から淡輪城で武将としての生き方を受けて武芸、領国経営を見て過ごした若き頃の故郷をもう一度取り戻したいと考えて兄の浅野仕官を断る。
戦雲漂い時節到来!秀頼から過去の父の所行を謝る、徳川に勝利の暁には旧領回復を約束の誘いが。兄の重利は大反対!兄と激論を交わしたが敵味方になる決断する。
浅野討伐の郷導使を受ける、道半ばには淡輪城がある彼の期待はいかばかりか。
しかし彼はついてない!同軍の団右衛門と岡部が先陣争いを始めてしまい浅野軍に樫井川で激突、奮戦虚しく潰滅する。
やっと最後の旧領回復のチャンスを不本意な形で潰えた彼には同情を禁じ得ません。
船守神社まで行くと往事の繁栄ぶりが、感じられたのが唯一の慰めになりました。
シバヤン近江守肝胆相照様[2017年04月29日]
大坂の陣に参戦した淡輪重政の城を訪ねる向かう。南海電鉄の淡輪駅から海に向かい歩く大きい目印はスーパー淡輪店。過ぎた所の信号を左に折れて右手の西林寺を見つけたら左手に畑になってる所に淡輪城の案内板があります。唯それだけです。
個人所有の畑の中のおばさんに話をし、入らせてもらい散策。その中に僅かに土塁と思われる物がある、それだけでした。
お勧めはしません。まるで寝たきりの病人の生命維持装置を付けて余命を伸ばしているかの姿に寂寥感にため息が出ました。
幸村、又兵衛に比べて認知度がない彼はこんなものなのかとがっかり。
淡輪重政は秀次切腹に連座で改易、小西行長に拾われ関ヶ原敗戦で浪人に。兄の重利は浅野に仕官叶う。悶々として兄の庇護のなか世に出る機会を待ってたんでしょう。
(これからは私の妄想です、お付き合い下さい。)