吉田城(よしだじょう)

吉田城の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県水戸市元吉田町

旧国名

常陸国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

吉田(大掾)盛幹

築城年

平安時代後期

主な改修者

主な城主

吉田氏、江戸氏、車氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

武熊城(茨城県水戸市)[1.1km]
水戸城(茨城県水戸市)[1.8km]
勝倉城(茨城県ひたちなか市)[3.9km]
見川城(茨城県水戸市)[4.2km]
河和田城(茨城県水戸市)[6.8km]

吉田城の解説文

吉田城(よしだじょう)とは、茨城県水戸市元吉田町に江戸以前にあった中世の居館である。

概要
半島状台地には三方(一つは旧千波湖)を沼囲み、森林が茂り、武士の居館として最適な要害であった。正確な年代はさだかではないが、平安時代後期に築城されたと推定される。大掾盛幹が初め館を建てて吉田氏を称してこの地を統治した。

しかし応永23年(1416年)になると水戸は江戸氏の支配下になり、吉田城は江戸氏のものとなる。その際、土塁や濠を強化したと推定される。他方、天正18年(1590年)江戸氏が佐竹義宣に攻略されると水戸は佐竹領となり、同城も佐竹氏の統治下となる。佐竹氏は水戸城の増築と城下町の整備に力を入れ、吉田城は水戸城の支城としての性格が強まる。重臣である車斯忠(車丹波)に吉田城は与えられた。

だが、佐竹氏国替に伴い廃城となった。それ以降、水戸藩主第2代徳川光圀により跡地には常照寺が建てられ、現在に至る。

吉田城の口コミ情報

立花飛騨守様[2017年07月25日]
バスで行きましたが、場所がわからず、地元のおばさまに聞いてもわからず。おばさまの高台の上にも、お寺がるという言葉を頼りに、なんとか見つけましたが、すでに真っ暗でした。空堀と土塁が確認できました。

まさ大膳大夫猛虎 様[2015年10月24日]
今は常照寺となっています。水戸駅南方で水戸第三中学校の南の小高い岡ノ上に。常照寺を目指すと良いです。山門には光圀公が、自筆と言われる拂日山の額が揚げられている。山門や本堂は光圀公の創建です。屋根には、徳川の葵の紋が数ヶ所に有る。光圀公は、寺の完成前に亡くなり見ることは、出来なかった。

野呂利駿河守休三7/29様[2015年06月03日]
常照寺の裏に空堀があります。

太田武蔵守道灌!?様[2015年05月31日]
吉田城趾は常照寺となっていますが城跡に常照寺を建てたのが、徳川光國だそうで、山門に三つ葉葵の御紋がしっかりとありました。(°▽°)

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