吉田城(よしだじょう)
吉田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県水戸市元吉田町
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 吉田(大掾)盛幹
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 吉田氏、江戸氏、車氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
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吉田城の解説文
[引用元:Wikipedia「吉田城」の項目]吉田城(よしだじょう)とは、茨城県水戸市元吉田町に江戸時代以前にあった中世の居館(日本の城)である。
【概要】
半島状台地には三方(一つは旧千波湖)を沼囲み、森林が茂り、武士の居館として最適な要害であった。正確な年代はさだかではないが、平安時代後期に築城されたと推定される。大掾盛幹が初め館を建てて吉田氏を称してこの地を統治した。
しかし応永23年(1416年)になると水戸は江戸氏の支配下になり、吉田城は江戸氏のものとなる。その際、土塁や濠を強化したと推定される。他方、天正18年(1590年)江戸氏が佐竹義宣に攻略されると水戸は佐竹領となり、同城も佐竹氏の統治下となる。佐竹氏は水戸城の増築と城下町の整備に力を入れ、吉田城は水戸城の支城としての性格が強まる。重臣である車斯忠(車丹波)に吉田城は与えられた。
だが、佐竹氏国替に伴い廃城となった。それ以降、水戸藩主第2代徳川光圀により跡地には常照寺が建てられ、現在に至る。[続きを見る]
吉田城の口コミ情報
2020年09月10日 水天一碧
吉田城
吉田城は、現在は主郭に常照寺が建つ空堀や土塁が良好に残る見応えのあるお城です(先人様の写真のとおりです)。自分はあえて遺構を見て探す楽しさがある四郭を1番オススメいたします。
四郭の場所は、蓮乗寺と常照寺を繋ぐ舗装された歩道の辺り一帯、遺構はそこから見える森の中にあります。
明らかに削平され舗装路側より段差をつけられて低い位置にある広い郭や土塁(は、現代の改変かもですが)など、探し見出す楽しみが詰まっています。また、蓮乗寺側の墓地の奥の森には大きな堅堀があります。この城で1番大きな遺構だと思います。
この四郭の写真は何をどうしても藪にしかなりませんでした。藪が薄くなる秋冬にはさらにはっきり遺構を捉えられると思います。
縄張り図だけを見るとパッとしない城に見えますが、水戸城に来たら少しだけ足を伸ばしてぜひ楽しんで欲しいお城です。(徳川光圀公に縁のお寺でもありますし、来る途中には、綺麗な備前堀も見られます。)
〈駐車場について〉
ナビによっては、なぜか蓮乗寺の中を回り込むようにして常照寺へ案内されるかもしれません。蓮乗寺に乗り込んで車を回すのは無理です。蓮乗寺手前にある中沢池公園の駐車場か、その少し先にある蓮乗寺の駐車場をお借りするといいと思います。そこから徒歩での攻城をオススメします。蓮乗寺内には、常照寺までつながる舗装された歩道があり迷わずにすぐ行けます。
2017年07月25日 立花飛騨守
吉田城
バスで行きましたが、場所がわからず、地元のおばさまに聞いてもわからず。おばさまの高台の上にも、お寺がるという言葉を頼りに、なんとか見つけましたが、すでに真っ暗でした。空堀と土塁が確認できました。
2015年10月24日 まさ宮内卿猛虎
吉田城
今は常照寺となっています。水戸駅南方で水戸第三中学校の南の小高い岡ノ上に。常照寺を目指すと良いです。山門には光圀公が、自筆と言われる拂日山の額が揚げられている。山門や本堂は光圀公の創建です。屋根には、徳川の葵の紋が数ヶ所に有る。光圀公は、寺の完成前に亡くなり見ることは、出来なかった。
2015年06月03日 野呂利左衛門督休三
吉田城
常照寺の裏に空堀があります。
2015年05月31日 独眼竜大宰大弐道灌?!
吉田城
吉田城趾は常照寺となっていますが城跡に常照寺を建てたのが、徳川光國だそうで、山門に三つ葉葵の御紋がしっかりとありました。(°▽°)