加倉井館(かくらいやかた)

加倉井館の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県水戸市加倉井町909

旧国名

常陸国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

波木井実長

築城年

正安年間(1299〜1302)

主な改修者

主な城主

加倉井氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

河和田城(茨城県水戸市)[4.2km]
長者山城(茨城県水戸市)[5.6km]
見川城(茨城県水戸市)[6.6km]
那珂西城(茨城県東茨城郡)[8.0km]
宍戸城(茨城県笠間市)[9.6km]
水戸城(茨城県水戸市)[9.7km]
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湯崎住吉城(茨城県笠間市)[10.7km]

加倉井館の解説文

加倉井館(かくらいやかた)は、茨城県水戸市加倉井町にあった日本の城。

立地 

加倉井館は、鶏足山塊南側の標高約42mの丘陵地上に位置する。館周辺の丘陵地は桜川の本支流に開析された谷が入り込んだ鋸歯状の高台地形となっており、加倉井館もこうした高台の1つに占地し、谷地との比高差は10~15mを測る。現在は妙徳寺の寺域となっている。

構造 

規模は東西約220m、南北約110mの長方形を呈する。城域の北側と東側に二重の土塁と堀が残る。西側・北側は近世期の土地利用によって土塁・堀が削平されたが、堀1条の底部が残存しているため城域の四至は明確である。本来は二重土塁と堀が館を囲繞していた単郭の方形館であった。

歴史 

加倉井館は加倉井氏の居城であった。13世紀末、甲斐に出自を持つ波木井実氏が館を築いたとされる。4代後の通久の代に加倉井氏を名乗り、江戸氏重臣となった。館は天正18年(1590)の佐竹氏による水戸進出により廃城となり加倉井氏は帰農した。館跡には、加倉井氏が代々帰依した妙徳寺が移転し現在に至っている。

参考文献 

『茨城県の中世城館』

情報提供:水戸市教育委員会


加倉井館の口コミ情報

2022年06月30日 マグロ常陸介祐平
加倉井館



城址のある妙徳寺は、現在の場所に1408年からあるようですので、主の加倉井氏とお寺は曲輪内に同居していたようです。加倉井家の初代は、日蓮上人の弟子でもある波木井実長の次男実氏で、妙徳寺は実氏の母の菩提寺として建立された水戸地区最初の日蓮宗寺院とのことです。室町~戦国期まで江戸氏の有力な家臣だった加倉井氏は現在も続いているようで、境内の墓地には南部光行からの略系図を刻んた墓碑が見られます。山門の前には堀の跡と思われるコンクリートの溝、寺の背後には土塁と空堀が残っています。

2017年07月25日 
加倉井館

お寺の裏から、民家の裏口にかけて土塁と空堀が確認できます。

赤塚駅、水戸駅からバスで行けます。


2015年05月31日 道灌武蔵守?!
加倉井館

妙徳寺のご住職が声を掛けてくださり、石碑と空堀の場所を教えて頂きました。石碑の内容を読んでみたら…!?…ご子孫の方かなぁ!?Σ(゚ロ゚;)

2010年06月12日 半日皇帝下野守
加倉井館

現在、妙徳寺というお寺になっています。
お寺で少し話を聞いたら、周辺は「加倉井」さんが大多数だそうです(´ー`)

加倉井館の周辺スポット情報

 土塁(遺構・復元物)

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