宍戸城(ししどじょう)

宍戸城の基本情報

通称・別名

(宍戸陣屋)

所在地

茨城県笠間市平町192

旧国名

常陸国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

宍戸家政

築城年

建仁3年(1203)

主な改修者

秋田氏

主な城主

宍戸氏、秋田氏、松平氏(陣屋)

廃城年

遺構

土塁、移築門(陣屋)

指定文化財

県指定文化財(旧宍戸城表門)、市史跡(宍戸城址土塁)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

笠間城(茨城県笠間市)[4.9km]
湯崎住吉城(茨城県笠間市)[5.2km]
難台山城(茨城県笠間市)[7.3km]
加倉井館(茨城県水戸市)[9.6km]
飯沼城(茨城県東茨城郡)[10.3km]

宍戸城の解説文

宍戸陣屋(ししどじんや)は常陸国(現在の茨城県笠間市平町)にあった陣屋で、水戸徳川家御連枝の宍戸藩の藩庁が置かれたところである。

概要
宍戸陣屋の前身の宍戸城は鎌倉時代初期に八田氏が築いたといわれる。戦国時代になると佐竹氏の持城となった。

慶長7年(1602年)秋田実季が出羽国より入り、正保2年(1645年)子の俊季の代に陸奥三春藩に転封となった。

天和2年(1682年)、水戸藩主徳川頼房の7男・松平頼雄が1万石を与えられ、城を陣屋に改めた。

以後9代頼徳まで続くが、幕末の元治元年(1864年)、天狗党の乱の鎮圧に失敗し、藩主自ら幕府より責任を問われ切腹を言いわたらせている。その後廃藩となってしまった。その後、幕府の代官支配で明治維新を迎えるが、慶応4年(1868年)朝廷のとりなしで再度立藩することとなった。

遺構
陣屋の長屋門形式の表門が隣町の旧家に移築され、県の文化財に指定されている。また、土塁の一部が残っている。

宍戸城の口コミ情報

殺三千世界鴉⚡️晋作様[2016年11月27日]
宍戸城は鎌倉・安土桃山・江戸に大きな転機を迎える。

宇都宮宗綱の四男である八田知家が、源義朝の没落と頼朝・頼家の幕府体制に歴仕する中で常陸守護職に任じられる。
長男の知重こと常陸小田氏を宗家とし、次男の有知が美濃伊自良氏・三男の知基が下野茂木氏と分派する中、四男の家政は常陸宍戸を領す。(宍戸古館)

また、この宍戸氏からは足利尊氏に従った功により安芸に下向して、のち毛利元就の縁戚になる安芸宍戸氏も派生する。
室町・戦国時代は宗家でもある小田氏と連携しながら佐竹氏と勢力争いを繰り広げるが、のち服属。
宍戸義長は佐竹氏の秋田移封には従わず土着したが、一族には秋田に移住した者もいる。
代わって入封したのが秋田実季で、この頃に城郭が整えられた。(宍戸城)

正保2年に子の俊季が三春に移封されると、天領の時期を経て、天和2年に徳川光圀の弟の松平頼雄が水戸支藩として1万石で入封。(宍戸陣屋)
幕末、9代頼徳の頃、水戸で蜂起した天狗党の鎮圧に失敗し、切腹及び改易を命じられるという悲劇もあった。

慶応4年、頼徳の父で8代藩主だった頼位が新政府の命により再相続して立藩。

武蔵守一休.道灌!?様[2015年09月28日]
軽く迷いましたが、宍戸コミュニティーセンター隣の末廣稲荷神社が宍戸城址です♪(^^)

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