柿岡城(かきおかじょう)
柿岡城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県石岡市柿岡(柿岡小学校)
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 柿岡時家
築城年
- 建久3年(1192)
主な改修者
- -
主な城主
- 柿岡氏、梶原氏、真壁氏、長倉氏、国分氏、立花氏、稲葉氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(柿岡城址)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
志筑城(茨城県かすみがうら市)[6.5km]
難台山城(茨城県笠間市)[7.7km]
真壁城(茨城県桜川市)[8.5km]
府中城(茨城県石岡市)[8.7km]
石岡城(茨城県石岡市)[10.1km]
多気城(茨城県つくば市)[11.2km]
小田城(茨城県つくば市)[12.3km]
湯崎住吉城(茨城県笠間市)[13.9km]
宍戸城(茨城県笠間市)[14.4km]
海老ヶ島城(茨城県筑西市)[14.5km]
柿岡城の口コミ情報
2023年07月09日 マグロ常陸介祐平
片野城[柿岡城 周辺城郭]
嫡子である太田氏資に岩槻城を追放された太田資正が佐竹義重を頼り築城したお城です。資正の子の資武が結城秀康のもとに去り、佐竹一族の石塚氏が城主となり、江戸時代に入っては元織田信雄の家老滝川雄利が2万石で入っています。
主郭の入口には土塁と案内板があり、畑を進むと土橋があります。土橋の左手は民家ですが、右手は深い空堀が確認できます。土橋の先に主郭があるようですが、雑草が腰の高さまで育っており断念しました。
案内板の向かいには、城の守護神として佐竹郷から勧請された七代天神社、少し下った所には郭内に建立された太田資正の墓がある浄瑠璃光寺、さらに下った所には、滝川氏の墓(山県大弐の墓のとなり)がある大寧寺があります。
2022年07月25日 maki156
柿岡城
小学校があり歴史に携わる事ができる。こんなものかなと思うが行ってみる価値あり。
2022年05月13日 水天一碧
吉生砦[柿岡城 周辺城郭]
吉生砦は、小田氏の家臣の小幡氏が築いたとされます。
吉生小学校の校庭の先にあります。平日でもおことわりすれば、見学させていただけるらしいです。場所が場所だけに、休日に見学させていただきました。
ちなみに、学校を通らないで無理やり西側から砦に張りつくのはやめた方がいいです。冬も意外と藪だし意外と高い位置にあるので面倒だと思います。いい場所にあるのはすごく体感できるとは思います…。
砦は、規模は大きくて郭も広くて、さっと見学するつもりが味わってしまい、時間を取られました。もはや、小学校を含めての城じゃないのかな…と思いました。小学校の校庭と木橋で接続していて雰囲気も良く、かなり大きないい堀とアスレチック遊具がついています。この学校で六年間、堀底を周回しながら遊べる子供たちが羨ましいです🤣
ここは縄張図から思うより、すごく良かったです。
オススメです😊
以下、案内板より。
戦国時代の永禄年間(1558〜70)小幡入道道三が、築いた城の一つがこの吉生砦と言われている。(小田軍記)
小幡氏は小田氏の城持武将の一人といわれ、今の小幡宿に館を構えてその館を守るために周囲の村々に手葉井砦・菅間古城・諏訪山砦・古久保砦・青柳要害などの城を築いていた。
戦国時代までの城は、集落から離れた山や台地の上に敵との戦いためにのみ築いたもので、建物の数・土塁や堀の大きさで城・砦・要害などと区別している。
吉生砦の東側には、明治初期まで小幡と柿岡を結ぶ唯一の街道があり、古くは『瀬戸井街道』などが通った重要な場所に作られた砦であった。この砦は城よりも小さいので砦と呼んでいて、建物は掘ったて式なので遺構は残っていないが、周囲に掘ってある堀は箱堀と呼ばれる最も堅固に造られたものである。水を入れていない空堀であるが、堀の深さ・幅の広さなどは、八郷町に残っている城跡の中では根小屋集落の片野城と双璧の遺構である。
2022年02月11日 昌幸近江守更に吉
二条山館[柿岡城 周辺城郭]
石岡市宇治会(うじえ)にある二条山館(にじょうやまだて)別名:宇治会館。
城主は小田氏被官の路川氏だったが佐竹氏に追い出され、同氏の地域支配のために改修の後、現在の姿になったと言われます。
比高30mの丘陵という築城に適さない地形に三重堀、いや三段堀(高低差あり)を配した技巧的な城です。残念ながらかなりの薮なので「これが1つめ、これが2つめ…」と確認しながらの見学になりますが(笑)
主郭は北側に前述の三重堀、東西は深い横堀があり、南側はニ郭と土橋で繋がっています。
二郭は東西南三方に竪堀を配してます。
車は近くの源照寺に停めました。そこから10分以内で城郭に着きます。
【写真の説明】
①三重堀1条目。しっかり残ってます。当時はもっと深かっただろうなあ。
②三重堀2条目。微妙…
③三重堀3条目。凹みが分かる。
④主郭西側の横堀。
⑤主郭南東側、堀の折れ。
⑥主郭-ニ郭間の土橋。
⑦ニ郭横堀。左の虎口へと誘う。
⑧ニ郭南側の竪堀。
2021年05月17日 つか征夷大将軍ぽ
柿岡城の碑[柿岡城 碑・説明板]
高台になっている学校内にあります。平日など学校ある日は気を付けましょう。
2021年05月17日 つか征夷大将軍ぽ
土塁[柿岡城 遺構・復元物]
土塁の一部が残ってます。南側には堀跡があります。
2021年05月11日 つか征夷大将軍ぽ
片野城 堀切[柿岡城 遺構・復元物]
深く広いですが整備されてないので降りるのは難しい
2021年05月11日 つか征夷大将軍ぽ
片野城 堀切[柿岡城 遺構・復元物]
丁度太田資正のお墓の裏ぐらいにあり道路からはっきり見えますが不法投棄のゴミが多くあり残念です
2021年05月11日 つか征夷大将軍ぽ
七代天神社[柿岡城 寺社・史跡]
片野城の曲輪の1つです。
参道は南側になりますが北側も通路があります。
2021年05月11日 つか征夷大将軍ぽ
浄瑠璃光寺[柿岡城 寺社・史跡]
太田資正のお墓があるお寺です。
地図に名前が出て来なかったりします。
車を停めるスペースはあります。
2021年01月24日 国府左京大夫城介
片野城[柿岡城 周辺城郭]
片野城へのアクセス方法
石岡駅から柿岡車庫行きで、根小屋入口で下車し、徒歩20分程となります。
登城口は、七代天神社を目安にしてください。車はその付近に路上駐車するしかないかと思われます。
なお、Google map上の片野城跡は、もろに民家なのでそこから登城できません。
2021年01月24日 国府左京大夫城介
片野城[柿岡城 周辺城郭]
太田資正が築城し、その終焉の地となった城
【歴史】
文永年間(1264~1274)に八田将監が築城したと伝わる。
永禄9年(1566)頃に、佐竹義重からこの地を預けれた太田資正が現在の片野城を築城。
佐竹氏が秋田に転封された後、滝川雄利が2万石で片野藩を立藩するが、寛永2年(1625)に滝川正利が幕府に領地を返上したため、片野藩は廃藩となり、片野城も廃城となった。
【遺構】
根小屋地区にある比高20mほどの台地上全てが片野城の城域となります。東西700m、南北200mにもなる大城郭です。
郭は全部で9つあるようですが、集落自体がお城であるため、当然入れない場所も多々あります。
しかし、当時の遺構を残した状態であるため、道の脇に堀切を確認することができます。また、この辺りではあまり見かけない角馬出も備えています。北側には、水堀も現存しています。
Ⅲ郭は七代天神社に、Ⅴ郭は浄瑠璃光寺(太田資正公の墓所)になっている。
【感想】
集落全体が城であるため、個人宅の敷地が遺構になっているところもあり、全ての郭を確認することはできませんでした。Ⅰ郭からⅤ郭は普通に入ることができます。ただし、Ⅳ郭である角馬出は、藪で覆われており、中に入る気が薄れるレベルです。外側からなんとか角馬出であることを確認することができます。写真だと何が何だか分からない状態になっていますが…
一番の見所は、Ⅰ郭北側にある堀切は、かなり幅広な上、藪に覆われていないので、かなり見やすいです。ただし、堀の西側には個人宅の倉庫が塞いでおり、個人の敷地の可能性もあるので、降りることはできませんでした。
城内の藪を刈るなど、整備を進めると、かなり見応えのあるお城になる気がしますが、中々難しそうですね。また、残念なことに堀切にゴミを不法投棄する不届きな輩もいるようです。
【写真】
1:登城口付近(左側がⅡ郭、右側がⅢ郭で、道が往時の堀切)
2:Ⅰ郭南側の土塁
3:Ⅰ郭北側の堀切
4:Ⅲ郭(七代天神社)
5:Ⅳ郭の土塁
6:Ⅲ郭から見たⅣ郭(肉眼だと、角馬出であるのが分かるんだけど…)
7:Ⅷ郭
8:Ⅵ郭の北側にある水堀
2020年07月21日 水天一碧
高友古塁[柿岡城 周辺城郭]
丸山古墳という5世紀頃の前方後方墳をそのまま取り込んでいる古塁です。少し小高い丘のようなところにあります。
古塁の詳しい来歴はわからないようですが、すぐ側にある佐志能神社(丸山古墳の駐車場に駐車したまま徒歩ですぐに行けます)の神主の居館らしいです。しかし、現地の土木を見たら、うーん、佐竹さんがそこにさらに手入れしてませんかねと言いたくなります。神主の居館という字面からは想像できないしっかりとした堀が見所です。
この古塁は古墳全体に大きな改変は加えずに、その周囲を大きな堀でぐるりと方形に囲んでいます。夏でも、大きくて深い堀に下りて、ぐるりと一周することができます。
Googleマップには、丸山古墳として出ています。駐車場は普通車3台分あり、そこに至る道は短い距離ですが行き違えない道です。何度か訪れていますが、対向車に会ったことはありませんので大丈夫かと…。
2020年06月15日 龍馬備中守【佐竹扇】
高友古塁[柿岡城 周辺城郭]
茨城県の石岡市にある高友古塁☆
丸山古墳が目印です☆歴史が不明の為誰がいつ何の為に造ったのか分かっていません☆
古墳なのか☆城なのか☆案内にも丸山古墳としか記載なし☆城跡として認定されてません♪でもでも行ってみて直ぐに城跡だ☆って思いました☆※個人的な見解です☆少し歪な形をした方形型の単郭の周りにはグルリと囲む堀☆単郭の外側には藪化しているモノノ同じく削平された広大な土地☆更にはココより別の場所には無数の郭☆小高い台地上を取り囲む様に3つの川の合流点がココを守ります☆
更にここを取り囲む様に佐竹氏の砦が築かれてます☆佐竹氏は良く古墳を取り込んだ城郭を築いてます☆結構特徴的です♪極め付けに土木量☆あっw佐竹氏の城だ☆って思った高友古塁でありました☆
2016年06月10日 まー刑部卿
柿岡城
柿岡城趾の石碑は小学校門の内側に入らないと正面から撮影出来ません。保育園前にある残存土塁ありますが案内図による堀跡は土塁に上がらないとわかりません。駐車場はありませんが通行車両が少ないため路駐可。
2015年12月06日 カーネル
柿岡城
真壁城から東へ向かいます
東には筑波山と加波山の稜線がありますが、その一番低いところを超える県道7号があります
この車道には歩道がありませんが、交通量が少ないのが救いです。車道は直登だけど傾斜はそれほどでもないです
とはいえ、疲労が蓄積し下りは惰性であるく。道が平らになるとぼちぼち家が出始めて、振り返ると加波山も小さくなり、遠くまで歩いたなぁと実感できます
石岡市に入り、城の遺構を求めて柿岡小学校の回りをウロウロしてから、最寄の関鉄グリーンバスの[新宿]バス停へ
ここから土浦行きと石岡行きバスが出てました
バス停に着くまで、岩瀬駅をでて真壁城を経由して6時間歩きっぱなしでした
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです