手葉井山城
手葉井山城([柿岡城 周辺城郭])
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手葉井山城の口コミ情報
2025年09月15日 くろちび上野介
8回城を奪われその都度奪回を繰り返していた小田氏治が恒久的に城(小田城)を失い、佐竹氏が東方の衆と呼ばれる常陸、下野、下総の領主衆を率いる契機となった手這坂の戦いは筑波山麓石岡市小幡周辺で。小田氏はこの小幡集落に対佐竹他敵対勢力に対する戦略拠点を多く置いていた。
小幡へは筑波神社から筑波山ロープウェイ駅に向かって県道42号線を走る。ロープウェイ駅手前の風返峠4差路信号にでると右手に常陸牛料理ひたち野があるが、左手そのまま42号線をイノシシ渓谷と書いてある案内板に沿って入る。手葉井山中なので狭路。そのまま下ると小幡集落だ。峠から10分程。(小幡城とは違う。一族という説もあるが)
手葉井山へは坂途中左手に桜地蔵が見えてので左に入る。車2台分の駐車スペースがある。登り口は左手赤滝方向。まっすぐは下り口。登り口すぐの所で小川にぶつかる。丸木橋がかかっているが、連日の雨でか4本中2本が腐蝕していて、立って渡るには危険なので這って渡った。深さ1m程。泥濘で全身泥になった。(個人所有の山なので、自己責任の範囲内である。)そこからは片側深いV字堀切の杉山になり、暫く行くと両側谷。ただし普通に歩けば危険な道ではない。下り方向は全く問題なし。正直言ってどこが曲輪か土塁なのかよくわからない。自然の要塞の山に見える。
「小田氏十五代、ふるさと文庫」にはこの山に小田方信田和泉守重成300騎が先陣、菅原左衛門尉正光300騎が後陣として陣どった、とあるが、おそらく下り道のどこかに置いたのだと思う。
手這坂の戦いの話の一つに、佐竹氏が片野城太田三楽と柿岡城梶原美濃守親子に小田氏を攻略すれば小田城を与える、とそそのかし偽情報で小田氏を誘き寄せる戦略をとらせ、小田氏がそれにのって片野城攻略に出陣してしまったというものがある。戦が起こった11月24日前、あまりの寒さに小幡の衆が水田や屋敷内の藁塚を焼いて暖をとっていたのを太田氏側が、小幡の民家が焼き討ちにされた、という偽情報にして小田氏方に流したという。小田氏出陣の知らせを受け、太田、梶原親子も出陣。真壁氏も加勢し、風返峠から小幡集落辺りで小田方と対戦する。太田側別動隊は小田氏留守の小田城を攻略してしまう。
一説に小田氏治はこの時太田側を軽くみて兵1000人率いて行ったという。小田氏16万石の豪族だが小田城には鉄砲60、兵馬600。この戦いで小田側では死傷者2800人。太田側35人。手葉井山では谷に置かれた太田側の伏兵によって銃矢が雨のごとく降りそそがれ、多くが谷に落ちたという。小幡集落の民も手葉井山中を這うように逃げ、谷には血の池ができたという。
2025年01月14日 【雪薄】修理大夫こーへー
【歴史】
★1569年(永禄12年)小田氏治が佐竹勢と戦って敗れた手這坂の戦いの場所とする説があるが不明。
【遺構】
★横堀、竪堀、堀切、虎口、切岸他
【別名】
★長峰城、膳棚城
【写真】
①登城道(大手道?)を行くと見られる坂折れ虎口、堀切
②城先端部の横堀・切岸
③城先端部の横堀〜竪堀
④城先端部大堀切
⑤城先端部大堀切
⑥段郭虎口に見られる石積遺構?
⑦主郭先の土橋・竪堀
⑧主郭先の土橋・竪堀
【感想】
★死ぬまで攻めたい戦う山城50で紹介されている山城。登城道を登ると最初に見られる大堀切と横堀は必見です!
主郭近辺はほぼ藪状態ですがその先に見られる土橋、竪堀群もこの時期はお勧めです。本にも記載されてますが車で行く際は狭い箇所があるので要注意です。