真壁城(まかべじょう)
真壁城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県桜川市真壁町古城
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 連郭式平城
天守構造
- -
築城主
- 真壁長幹
築城年
- 承安2年(1172)
主な改修者
- -
主な城主
- 真壁氏、浅野氏
廃城年
- 江戸時代前期
遺構
- 土塁、堀割、土居、曲輪
指定文化財
- 国史跡(真壁城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
海老ヶ島城(茨城県筑西市)[7.1km]
柿岡城(茨城県石岡市)[8.5km]
多気城(茨城県つくば市)[10.4km]
難台山城(茨城県笠間市)[10.8km]
富谷城(茨城県桜川市)[11.4km]
下館城(茨城県筑西市)[12.5km]
伊佐城(茨城県筑西市)[13.4km]
小田城(茨城県つくば市)[13.9km]
関城(茨城県筑西市)[14.0km]
大宝城(茨城県下妻市)[14.4km]
真壁城の解説文
[引用元:Wikipedia「真壁城」の項目]
真壁城(まかべじょう)は、茨城県桜川市真壁町古城(常陸国真壁郡)にあった戦国時代の日本の城(平山城)。大掾氏の一族である真壁氏が代々支配した。国の史跡[1]。
概要
真壁駅跡の東に位置し、加波山系の足尾山西麓にある台地上に築かれた連郭式の平城である。また、古代の真壁郡家が存在したとも言われ、真壁郡の中心地に位置していた。
城は東西に延びる尾根状の微高地に立地し、中央の本丸を同心円状に囲む二ノ丸があるほか、二ノ丸の東側に三の郭(中城)・四の郭(外郭)が続き、外郭南東端には鹿島神社が祭られている。本丸西側にも郭が連なっていたが、市街地化により消失している。城の南北は湿地や川が防御となっていた。
築城は承安2年(1172年)と伝わる。大掾直幹の子・長幹が真壁郡に入って真壁氏を名乗り、郡家の場所に築城した。以来真壁氏の居城として続いた。
文献上で真壁城が初出するのは興国2年(1341年)12月で、北畠親房の「御方城々」として、真壁城がみえ、南朝方の城であった。のち北朝方に立場を変え、真壁氏は地頭職を有している。応永30年(1423年)、真壁慶幹のとき小栗満重の乱に小栗方で参加したため足利持氏軍によって落城したが、その後の混乱の中で慶幹の従兄弟・朝幹が真壁に復権した。
17代久幹のときに次男義幹が柿岡城に分家し、18代氏幹に至って甥の柿岡城主房幹(義幹の子)に家督を譲ったため、真壁城は真壁本家の城ではなくなった。その後、慶長7年(1602年)佐竹氏の秋田転封の際、佐竹氏の家臣団化していた真壁氏も出羽角館へ移住し、真壁城は空城となった。そののち慶長11年(1606年)浅野長政が隠居料として真壁藩5万石を与えられ、同16年(1611年)に長政の跡を継いで真壁城に浅野長重が入城した。元和8年(1622年)、浅野長重は加増され、真壁は領有し続けるものの常陸笠間城へ移動となり、真壁城は廃城となった。
城門のうち薬医門が各々一棟、楽法寺黒門(旧大和村、伝大手門)・個人宅表門(旧協和町)として移築され現存している。縄張りは本丸以東は良好に残るが、二の丸の西側以西は市街地化しほぼ消滅している。本来は真壁町古城地区全域が城域に当たる。古城地区の西に大手前の地名が残っており、同地近辺が大手だったと伝わっている。本丸跡には旧真壁町立体育館があり、二の丸跡には体育館建設での残土が盛られているなど中枢部の保存状態は良くない(二の丸には櫓台のような高所があるが、残土の山で遺構ではない)。建物遺構も検出されるのは痕跡のみが多く、廃城となった際に撤去されたためと考えられている。
1934年(昭和9年)以来、本丸の一部が茨城県指定史跡となっていたが、1994年(平成6年)10月28日に国の史跡に指定された。
1997年(平成9年)以降発掘調査が続けられており、成果に基づき外曲輪の土塁や壕が復元されている。また中城(三の郭)の発掘調査では、水路や池を伴う大規模な庭園の遺構と共に、茶室や能舞台と思われる建物群の痕跡が検出され、その規模は茨城県内でも最大級と見られている。
参考文献
- 平井聖〔ほか〕編集『日本城郭大系』第4巻、新人物往来社、1979年。
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真壁城の口コミ情報
2024年10月16日 伊勢修理大夫まあぼ
真壁城
筑波山の帰りに寄りました。体育館の駐車場に停めて歩きました。
2024年08月12日 千葉相模守早雲【権六】
真壁城
常陸国に勢力を誇った大掾氏の分家が真壁郡に入って真壁氏を名乗り、真壁城を拠点としました。佐竹氏に従っていたため、佐竹氏の秋田転封に伴って角館へ。
真壁氏が去った後は、浅野長政が真壁藩主となり、城下町を発展させましたが、真壁城は廃城となり、政治の中心は市街地中央の陣屋に移ったそうです。
本丸は現在は体育館と駐車場となっているが、本丸北側にⅠの堀に続く虎口があります。本丸の東側には二の丸、中城(曲輪Ⅲ)、外曲輪(曲輪Ⅳ)が並ぶ。二の丸は当時は本丸を同心円上に囲んでいたらしく、半分消滅したのは残念。
中城や外曲輪には土塁が復元されていて、土塁の折れによる横矢掛けや城内道のクランクなど防御の工夫がよく分かります。外曲輪の東端には鹿島神社があり、その背後には当時の土塁が残っています。中城は発掘調査中で、今後の調査結果が楽しみ。
1.Ⅰの堀。
2.中城の土塁の折れ。
3.Ⅱの堀。
4.Ⅲの堀。向かいは外曲輪。
5.外曲輪南虎口。
6.外曲輪土塁。鹿島神社の裏手。
7.外曲輪の復元土塁。
8.中城前のクランクとⅢの堀。
2024年07月23日 RED副将軍
真壁城
400年以上に渡り統治した真壁氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★★
1172年に真壁長幹により築かれたと云われます。真壁氏は桓武平氏の系譜である大掾氏の庶流であり、大掾直幹の四男である長幹が常陸国真壁郷を領して真壁氏を称したのが始まりです。
初代当主の真壁長幹から400年以上もの間、真壁城を居城としてこの地を支配しましたが、周辺には小田氏、江戸氏、結城氏などの有力国人がひしめく中で北条氏や佐竹氏に属しながら生き残りました。
最終的には佐竹氏に属し、1602年に佐竹氏が出羽国秋田に転封となると真壁氏も従い、出羽国角館城へと移りました。
1606年に浅野長政が空城となっていた真壁城に隠居領として入封し真壁藩を立藩。1611年に三男の浅野長重が継ぐも1622年に笠間へ転封となり、1624年に稲葉正勝が入封。しかし1628年に下野国真岡を継ぎ廃藩。その後は天領となり廃城となりました。
見所
筑波山系のきのこ山から北西へ派生した丘陵地に築かれています。
本丸の周囲を二の丸と中城が囲み、東側に外曲輪、西側に五の郭が連結した構造となっています。
西側には城下町が形成され、現在も集落となっています。
調査により現在残るのは戦国時代後期に改修されたものとされ、土塁や空堀が良好に残存し国史跡として整備されています。
2024年05月21日 RED副将軍
竜ケ井城[真壁城 周辺城郭]
尾根沿いの切り通しが見事な真壁氏の属城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代等の城史は不詳。
平安時代には平良兼の居館であったとされ、937年には領地争いで甥の平将門が攻め寄せて平良兼は山中に逃げ込んだとの伝承が五所駒瀧神社の口碑にあります。
縄張りは技巧的であるため戦国時代後期のものとされ、竜ヶ井城の北東1.5kmには佐竹氏重臣の真壁氏の居城である真壁城があることから真壁氏の属城と考えるのが自然です。関ヶ原の戦いに際して、徳川勢の下館城に対する真壁城の後詰めの城とも云われています。
見所
筑波山系の湯袋峠から北西に派生する尾根末端に築かれています。
城郭遺構かは分かりませんが、尾根筋に折れが伴う切り通し道が約1kmも続くのが特徴的です。深さもあり場所によっては二重構造にもなっています。
北側から登るとまず巨石を多数用いた虎口があり、主郭北側の堀切に連結しています。
主郭は南北に50mほどの広さはあるも削平は甘いです。
東側尾根は堀切で遮断され、堀切は横堀となり主郭東側へと回り込みます。張り出しによる横矢掛かりも認められます。
南側は三段の腰郭が配されといますが、西側は自然地形で特に手が入っていない様でした。
行き方は、北東麓の多賀神社を目標に設定。駐車場はありませんが多賀神社の登り口付近の路肩が広く駐車しました。
多賀神社の裏手を尾根沿いに登っていくと辿り着きます。比高は約90mで地元保存会によりキレイに整備がされていました。
2024年05月05日 マグロ常陸介祐平
亀熊城[真壁城 周辺城郭]
真壁城から北西に2km程の所にあり、真壁氏が真壁城に移る以前の本拠とする説もあるようです。真壁城の築城は1450年(パンフレットの記載、発掘では室町時代後半に方形の館)、伝承では1172年,文献上の初出は1341年、亀熊城の城域からは14~16世紀の遺物が出土しているようですので真壁城に移ったあとも使用されていたようです(スッキリしないですね、真壁城の築城の伝承や初出は亀熊城のこと?)。
高台のオテラヤマと呼ばれる墓地が主郭で、墓地の北側(民家の庭先、声を掛けて見させていただいた、写真1,3枚目)と西側(石材置き場の脇から入る、写真4枚目)に空堀が残っています。
城域は広さがあったようで、主郭から200m程南には、民家の庭の中に残土の山と見間違えるような大きな土塁が見られます(写真6枚目,お庭の中の写真は遠慮しておきます)。土塁の南西部分には高台に祠(写真7枚目)があり、土塁の南側に水堀が確認できます(見えにくく写真撮れない)。
オテラヤマの墓地には、古い五輪塔(写真2枚目)がありますが、遍照院にある真壁氏累代の墓碑群と形式や大きさは同様のものです。遍照院のものより古いようには感じられないため(早い時期に埋没して風化を免れた?)、一族又は真壁氏に近いレベルの領主層のものでしょうか。
2024年03月25日 _ClaD雅楽頭リアの季節
谷貝峰城[真壁城 周辺城郭]
峯氏(左近将監)が築いたとされますが詳細は不明な、真壁城の関連城郭です。
1辺70メートルほどの方形の主郭を幅20メートルを超える横堀が取り巻き、土塁も1メートルほどあります。東辺に平虎口があったようですが笹藪でした。
周囲の二郭を囲む堀は断片的に残っていますが、破壊されたのではなくもともと未完成で放棄されたとの説もあります。特に南西隅は比較的見やすく、塁線の折れが見事です。
城内まで舗装道が通ります。座標36.2887, 140.0548付近は路肩が広くて駐車可能、主郭のすぐ南側です。
2024年01月07日 ファン掃部助トム治郎
真壁城
筑波山の北側、静かにときが流れる真壁の町とともに散策しました。南麓に位置する小田城と雰囲気は似ていますが山容が異なりともに筑波山を楽しめる城です。
2023年11月16日 橘出羽守太郎政貴
真壁城
筑波山を背景にし、防御力の高い土塁、堀の遺構が見られます。今週末はイベントがあるとのこと。地元の発掘調査の方の情報です。
2023年11月15日 ムサコ駿河守
真壁城
本丸は体育館の敷地・駐車場になっていますが二の丸他が国史跡になっています。南側は復元土塁あり、見応えありました。ブルーシートに覆われたところも多く、まだ発掘中、という雰囲気です。パンフレットは駐車場に置いてあります。
2023年08月31日 大膳大夫しろし
真壁城
36°暑い。11月18日発掘調査報告会があるとの事。
2023年05月08日 ポニョ
真壁城
入口は少し分かりにくかったですが、城跡の敷地には体育館など町の施設が併設されています。
2023年04月25日 あきくん
真壁城
桜川市真壁体育館の駐車場脇に石碑と堀跡が残っています。
2023年01月15日 源田右近衛中将論山
真壁城
想像以上に遺構が良く残存し、発掘中の場所以外は概ね回れます。また復元土塁なども整備されており、とても見やすい城です。
2022年12月31日 鶏系男子下野守智ぞう
真壁城
真壁城入り口ポストに入っているパンフが新しくなり見やすくなりました🆕
それと城内の説明看板数ヶ所横にQRコードあり、それをスマホで読み込むとその場所に合ったリアルタイムの説明動画が流れますので
お一人で見学の際もスマホ一つあれば説明を聴きながらゆっくり楽しめます
2022年05月26日 武蔵守さとし
真壁城
駐車場も整備されていて見学しやすい城趾です。水をたたえた堀が残されていて当時の雰囲気が出ていました。
2022年05月25日 昌幸近江守晩秋リア旅
竜ケ井城[真壁城 周辺城郭]
真壁城の2㌔南にある竜ケ井城。真壁城を隠すように伸びた尾根の中腹にあります。古くは平将門の叔父である平良兼が住み、身内の領地争いで将門に攻められたと伝えられています。戦国の世では筑波一帯を治めた小田氏に備えた城と思われます。
この城の特徴は延々と続く堀底道です。「竜ヶ井城山の会」が発足し、整備がすすめられ大変ありがたいことです。
その中で主城域から尾根を上がった「百貫石」と呼ばれる所も大分整備されました。最初は“合わせて百貫になるくらい沢山の石がある所”という認識だったのですが、先述の堀底道が百貫石下を通っており、竪堀(と思いたい遺構)もありました。もしかしたら百貫石付近は遠見番所としての機能を有していたのかなと思います。※あくまでも個人的見解です。
【写真の説明】
①堀の向こうに腰郭と主郭が見える。
②百貫石へ繋がる堀底道。
③百貫石
④百貫石下の堀底道(横堀)
⑤さらに上に繋がる尾根を遮断する堀切。
⑥四ノ堀と称される百貫石上の堀底道。
城域はここまでと推測。
⑦堀底道は二重になっている所もあり、下りはそちらを通る。
⑧もっと堀底道を下る。
2022年05月11日 昌幸近江守晩秋リア旅
真壁城移築門(黒門)[真壁城 遺構・復元物]
雨引観音(雨引山楽法寺)の黒門。真壁城の城門(大手門の説あり)であったものが、関ケ原の合戦以降、楽法寺の表門として麓の集落に移築され、さらに平成11年に現在の場所に移転修復された。
2022年05月04日 お城初心者
真壁城
本丸は体育館になってしまっていますが、そこから外側の曲輪が整備もあり堀・土塁が判りやすく保存されてます。
2022年03月31日 戸沢夜叉九郎正樹
真壁城
筑波山口から桜川市バスに乗り約30分で到着します。現在整備中で土塁、堀が復元されており、更なる整備、復元に期待が持てます。又、城跡から徒歩10分の場所に真壁陣屋跡があり、遺構はありませんが、現在は歴史資料館が建っており、城と真壁氏の展示があります。なお、ここで御城印を購入出来ます。
2021年12月05日 国府左京大夫城介
雨引山城[真壁城 周辺城郭]
雨引山の山頂に築かれた城
【歴史】
築城者、築城年代は不明。
ただし、「大和村史」によると、「天正年間の笠間氏と益子氏の戦いで益子氏支援に派遣された結城家臣で橋本城将の片見伊賀守晴信が雨引山に砦を築く」という記述があるとのこと。(参照:北緯36度付近の中世城郭)
【遺構】
真壁城から北に6.9kmに位置する雨引観音で有名な雨引山山頂(標高409m)の尾根沿いに築かれている。
東西に約170mほどの細長い郭と、その両端には堀切が施されている。また、郭の南北には腰曲輪が備えており、北側の腰曲輪には土塁・横堀・竪堀が残っている。
【感想】
このお城は最近発見されたばかりのお城らしく(余湖さんのサイト曰く)、まだ城郭として認定はされていないようです。雨引山は関東ふれいあいの道として、ハイキングコースとなっており、多くの人が訪れていますが、お城に興味がなければ、全くお城としては認識しないのでしょうね。
実際に訪れてみると、堀切に、腰曲輪ががっつりと分かる形で残っています。雨引観音から登ると、まず最初に堀切がお出迎えしてくれます。個人的には、北側の腰曲輪には竪堀や横堀、土塁といった防御機構があり、見所だと思います。横堀は、年月を経たためか、かなり浅くなっていますが、見る人が見れば、横堀だと分かると思います。
しかし、写真だと微妙なものばかり。肉眼だとちゃんとした遺構が分かるのだが…
歴史の項でも触れましたが、「大和村史」によると、橋本城(口コミ登録あり)の詰城として、益子氏が築城したとのことです。確かに、橋本城と雨引山城は同じ山域にありますが、益子氏の領地からだと南にありすぎて、孤立しそうな感じがします。
雨引山からだと、筑波山や真壁城が一望できる位置にあることから、真壁氏が築いたのではないでしょうか。城内の動きを監視できる場所が敵に抑えられるのを防ぐためにも、真壁氏がここに城を築くのは全くおかしな話ではないと思います。
【アクセス】
水戸線岩瀬駅から「筑波山口」行きにバスに乗り、「雨引観音」で下車し、徒歩で20、30分で山頂に着く。ただし、バスは土日祝日のみ「雨引観音」に停車するので、平日は要注意。
【写真】
1:堀切(東)
2:主郭
3:主郭からの景色(筑波山と真壁町)
4:堀切(西)
5:腰曲輪(北)
6:腰曲輪の土塁
7:腰曲輪の横堀
8:腰曲輪の竪堀
2021年06月21日 たろ
真壁城
つくば霞ヶ浦りんりんロードからすぐ近くですのでサイクリングついでに寄るのも有りかと思います。本丸に説明板や案内資料のプリントがあります。堀跡等は分かる状態になってます。
2021年05月10日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
竜ケ井城[真壁城 周辺城郭]
茨城県の桜川市にある竜ケ井城☆モトクロス場に登城口があります☆
歴史詳細は分かっておらずではありますが真壁城の南側の筑波山から長く伸びた尾根上の山腹(真壁城からは南西側)に城郭は存在します☆南側には筑波山を挟み小田氏治の小田城に筑波街道☆北側には水戸・笠間街道とこの辺りは交通の要衝地でもあります☆
城郭のある尾根は北側に張り出したものになっていて如何にも城郭がありそうな雰囲気が漂っています☆
城郭としては割と簡単な印象で少し広めの尾根部を加工しています☆少し長めの方形状の単郭を主郭として数段の郭に武者走り、動線を付属☆主郭廻りを堀切、横堀で遮断しています☆城郭としては簡単な印象ですが堀の造り方は緩やかにクランクさせていたりと戦国期の顔をしています☆モトクロス場がある北側方面が大手側であると思われ、モトクロス場に面しながら西に進むと堀底道の様な動線が残ります☆恐らくコレが大手口と思われ、真壁城方面に口を開きます☆
更に城郭の南側には筑波山に向かうであろう、二重に掘り切られた堀底道が長く続いていてコレも動線の一部だと思われます☆
途中、堀切部分もあったりと筑波山に向かう途中の尾根を大きく加工し切通しを造っています☆この先を抜けると石岡市、笠間市、更には水戸方面へと抜ける事も可能で往時の抜け道?の様なモノになっています☆搦手要素もあると思われます☆
立地や環境面を考えた時に、真壁城の支城の一つとして機能した城郭なんじゃないかなぁ〜???と個人的には思いました♪
2021年05月05日 織田上総介晃司
真壁城
真壁体育館の駐車場に停めて見学するようになります(体育館が本丸です)
真壁城入口に案内板とパンフレットがありますのでゲットして行きましょう。
真壁城から北に約6km進むと雨引山楽法寺(雨引観音)に真壁城黒門が移築されてます。
見学後お参りと御朱印をいただくのもありでしょう。
2021年05月03日 ゆ陸前守
真壁城
体育館脇に石碑とポストの中に無料パンフレット
2020年09月22日 kazuyou大蔵大輔
真壁城
本丸、二の丸、中城、外曲輪から成り、一部は堀が埋められたり土塁が崩されたところもありますが、復元土塁や木橋等もあり、楽しめます。本丸には、体育館が建っており、駐車場🅿️はあります。発掘中の場所もありました。パンフレットあります☝️
2020年09月08日 よねこ
真壁城
山の麓にあります。石碑や案内板から奥まった場所を訪れる、山一帯を見ると昔の人もこの風景を見たのかなと何故か感動しました。
悠久の時半流れを感じられました。
2020年08月24日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
真壁城
平城なのに防御がしっかりと対策されています。半端ない土木量と、地元の方々の熱い思いを感じました。
2020年02月09日 【籠城中】下野守智ぞう
真壁城
土日限定で真壁伝承館にて10:00~15:00でマンホールカードが頂けるようです。
2019年11月28日 恭任非参議侍従
真壁伝承館[真壁城 関連施設]
変な名前ですが、要は資料館です。無料。展示物はどうということはないのですが、ここで販売している「真壁氏」の郷土資料は一読の価値があります。
2019年08月25日 フー甲斐守
真壁城
2019/8/24現在の情報です。
主郭内部への道が立ち入り禁止されており、半分程度しか見て回れませんでした。通常ルートは西側真壁体育館から見学すると思いますが、ここからは本丸へは行けません。北側桜井農村公園側からの入口も封鎖されていました。原因は整備とイノシシ被害のようでした。
但し、遠く本丸付近で犬の散歩されてる方もいましたので、東側か南側から入れるのかもしれません。
登城をお考えの方は駐車場含めて事前に現地確認される事をお勧めします。
2019年07月21日 GINTOKI
真壁城
国の史跡に指定され、発掘や整備が進んでいる模様!本丸以外は状態は良くないものの旧状を留めている模様!
2019年06月23日 太閤 なつりん
真壁城
真壁城跡は筑波山の山麓の広大な平地に築かれた。本丸・二の丸・中城・外曲輪を水堀で囲った堅固な城郭であった。
写真は中城と二の丸に張り巡らせた水堀を復元している見応えのある国指定史跡。
2017年09月15日 【籠城中】下野守智ぞう
真壁城
ちなみに真壁伝承館はフラッシュたかなければ撮影大丈夫との事です。
2017年09月15日 【籠城中】下野守智ぞう
真壁城
私が行った時市の職員が草刈り作業などやっておりました。職員さんの話だと発掘調査で茶室跡が見つかったらしく、後で復元するとのこと。
何気に真壁城は紅葉の穴場とも言われてました。是非紅葉の時に足を運んで見てください。
広い規模の遺構が残っているので、これから城跡の整備の進展が楽しみです。
2017年07月25日
真壁城
草が伸びすぎて、堀が埋もれてます。小田城跡のような、整備された姿が、見られる日は来るのだろうか?
2016年12月07日 牢屋見廻り同心マダオ
真壁城
平成28年度真壁城発掘調査現地説明会に行ってまいりました。
平成28年度は中城(三の丸)庭園北部の調査で、庭園北池の規模が確定。東西約27m、南北約17m。中心部に東西約15m、南北約8mの中島があり、池の水深は30〜50cm。
北池から北西に延びる溝跡の確認、溝は上幅3m、下幅50cmほどの薬研堀に近い形状で深さ1.5m〜1.8mあり、池から流れてきた水を排水するためのものと考えられますが、排水だけでなく水溜の機能もあったと思われます。溝の端部は調査区域外に延びており、二の丸堀に繋がっていると思われ次年度調査予定です。
出土した遺物の多くは「かわらけ」ですが、青磁の碗や盤、染付碗・皿など中国産磁器の破片が数点出土しています。また天目茶碗や茶臼などの茶道具も複数出土しています。遺物の多くは排水路を埋め戻した土の上の方から出土しており、庭園が使われなくなったあとに捨てられたものと思われます。
詳しいことは真壁伝承館歴史資料館へ。出土遺物も展示しています。
2016年12月04日 牢屋見廻り同心マダオ
真壁城
真壁城東にある初代真壁藩主・浅野長政の菩提寺である伝正寺ですが現在、災害復旧工事中のため、檀家さん以外の立ち入りが禁止されています。
2015年12月06日 カーネル
真壁城
水戸線 岩瀬駅を出てからすぐの道が狭いので、りんりんロードを歩くのがお勧めです。この道は廃線跡を利用したサイクリングロードにもなっていて歩きやすく、廃駅跡も見れます
駅を出て2時間半で、桜川市の公式HPに埋め込まれているGoogleMapのポイントに到着
が、さんざん散策したところで城の要素が全くなく、看板には『みかげ憩いの森』とあり真壁城が全然違うことに気付き、下山して真壁城に向かう・・・皆様お気をつけください
正解は本丸跡に建つ、真壁体育館を目指すとよいです
城は土塁と堀が、近年きれいに整備されていて、入り組んだ堀と土塁の組み合わせが見てて楽しいです
道に迷ったのもありますが、散策し終わったのは岩瀬駅をでてから4時間後です。これから柿岡城に向かいます
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2014年03月05日 コロ助
真壁城
ショベルカーが停まっていると思ったら「3/15まで城跡整備作業」の看板がたっていました工事はお休みで、入っても大丈夫と聞いたので見学してきましたが、土塁横に工事用土砂が積まれていて、どこまで土塁なのか解り辛い部分もありました。整備後に再訪したいと思います
城跡の石碑横のポストに、城跡説明が書かれた紙が入っています。雨や土で少し汚れているので、気になるようでしたら、城跡から徒歩15分程の真壁伝承館(入場無料)に同じ説明用紙が置いてあります。
2013年02月24日 ぴゅんぴゅん
真壁城
真壁のひなまつりの時期だけ臨時バスが運行されます。つくば駅から往復1500円で行ってきました。アド街の放送の翌日なので人出は多かったです。
2012年10月27日 野舘宮内少輔サラマンダー
真壁城
2012年10月27日13時30分(40分)
セブンイレブンの脇道、真壁第1体育館の裏手の駐車場の左側に、石碑と稲荷神社があります
更に先に進んだ所が、公園として整備されている、真壁城跡になります
トイレはありません
近くで御借りするしか無いと思います
駐車場有り
とても広く良く整備されていますが、見た目草原です…
土塁は3mを越えている所もあるのですが、だだっ広いので迫力がありません…
地元の方に聞いた時も、始めは分かりませんでした…
真ん中辺りに郭らしき場所があり、一段、更に一段と高くなっており、その北、東、西は水堀のようです…・]
その西側には土橋…
土橋を東に進んで行くと鹿島神社があります
その北側に大きくて深い堀、土塁があり、その上を歩いて行けます
半周歩いて郭の北西側に来ると、水堀が途切れているので、郭の方に近付けます
郭には木が一本あり、そこをちょっと南下するともう一段高い場所が
期待して登ると…
中は空洞で、しかもコンクリの小さい小屋が…
という事で、説明版も何も無かったので、初心者の私には不満足でした…
2012年05月08日 ぎっちゃん
真壁城
城跡は整備中ですがどの土塁が復元なのか明記して欲しいです。この時期は下草が生え草原状態…
2012年01月20日 傾奇揚げ仙兵衛
真壁城
セブンイレブンの裏
2011年11月26日 さくら主膳佑にゃ〜
真壁城
公休希望を出す都合があったので、今年の現地説明会開催の有無を問い合わせたところ、実施されない(今年は調査を行っていない)との回答でした。昨年参加出来なかっただけに、娘共々楽しみにしていましたが残念
因みに小田城の現地説明会は開催されるそうです