竜ケ井城
竜ケ井城([真壁城 周辺城郭])
真壁城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「竜ケ井城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
竜ケ井城の口コミ情報
2024年05月21日 RED副将軍
尾根沿いの切り通しが見事な真壁氏の属城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代等の城史は不詳。
平安時代には平良兼の居館であったとされ、937年には領地争いで甥の平将門が攻め寄せて平良兼は山中に逃げ込んだとの伝承が五所駒瀧神社の口碑にあります。
縄張りは技巧的であるため戦国時代後期のものとされ、竜ヶ井城の北東1.5kmには佐竹氏重臣の真壁氏の居城である真壁城があることから真壁氏の属城と考えるのが自然です。関ヶ原の戦いに際して、徳川勢の下館城に対する真壁城の後詰めの城とも云われています。
見所
筑波山系の湯袋峠から北西に派生する尾根末端に築かれています。
城郭遺構かは分かりませんが、尾根筋に折れが伴う切り通し道が約1kmも続くのが特徴的です。深さもあり場所によっては二重構造にもなっています。
北側から登るとまず巨石を多数用いた虎口があり、主郭北側の堀切に連結しています。
主郭は南北に50mほどの広さはあるも削平は甘いです。
東側尾根は堀切で遮断され、堀切は横堀となり主郭東側へと回り込みます。張り出しによる横矢掛かりも認められます。
南側は三段の腰郭が配されといますが、西側は自然地形で特に手が入っていない様でした。
行き方は、北東麓の多賀神社を目標に設定。駐車場はありませんが多賀神社の登り口付近の路肩が広く駐車しました。
多賀神社の裏手を尾根沿いに登っていくと辿り着きます。比高は約90mで地元保存会によりキレイに整備がされていました。
2022年05月25日 昌幸近江守晩秋リア旅
真壁城の2㌔南にある竜ケ井城。真壁城を隠すように伸びた尾根の中腹にあります。古くは平将門の叔父である平良兼が住み、身内の領地争いで将門に攻められたと伝えられています。戦国の世では筑波一帯を治めた小田氏に備えた城と思われます。
この城の特徴は延々と続く堀底道です。「竜ヶ井城山の会」が発足し、整備がすすめられ大変ありがたいことです。
その中で主城域から尾根を上がった「百貫石」と呼ばれる所も大分整備されました。最初は“合わせて百貫になるくらい沢山の石がある所”という認識だったのですが、先述の堀底道が百貫石下を通っており、竪堀(と思いたい遺構)もありました。もしかしたら百貫石付近は遠見番所としての機能を有していたのかなと思います。※あくまでも個人的見解です。
【写真の説明】
①堀の向こうに腰郭と主郭が見える。
②百貫石へ繋がる堀底道。
③百貫石
④百貫石下の堀底道(横堀)
⑤さらに上に繋がる尾根を遮断する堀切。
⑥四ノ堀と称される百貫石上の堀底道。
城域はここまでと推測。
⑦堀底道は二重になっている所もあり、下りはそちらを通る。
⑧もっと堀底道を下る。
2021年05月10日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
茨城県の桜川市にある竜ケ井城☆モトクロス場に登城口があります☆
歴史詳細は分かっておらずではありますが真壁城の南側の筑波山から長く伸びた尾根上の山腹(真壁城からは南西側)に城郭は存在します☆南側には筑波山を挟み小田氏治の小田城に筑波街道☆北側には水戸・笠間街道とこの辺りは交通の要衝地でもあります☆
城郭のある尾根は北側に張り出したものになっていて如何にも城郭がありそうな雰囲気が漂っています☆
城郭としては割と簡単な印象で少し広めの尾根部を加工しています☆少し長めの方形状の単郭を主郭として数段の郭に武者走り、動線を付属☆主郭廻りを堀切、横堀で遮断しています☆城郭としては簡単な印象ですが堀の造り方は緩やかにクランクさせていたりと戦国期の顔をしています☆モトクロス場がある北側方面が大手側であると思われ、モトクロス場に面しながら西に進むと堀底道の様な動線が残ります☆恐らくコレが大手口と思われ、真壁城方面に口を開きます☆
更に城郭の南側には筑波山に向かうであろう、二重に掘り切られた堀底道が長く続いていてコレも動線の一部だと思われます☆
途中、堀切部分もあったりと筑波山に向かう途中の尾根を大きく加工し切通しを造っています☆この先を抜けると石岡市、笠間市、更には水戸方面へと抜ける事も可能で往時の抜け道?の様なモノになっています☆搦手要素もあると思われます☆
立地や環境面を考えた時に、真壁城の支城の一つとして機能した城郭なんじゃないかなぁ〜???と個人的には思いました♪