伊佐城(いさじょう)

伊佐城の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県筑西市中館522

旧国名

常陸国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

伊佐為宗

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

伊佐氏

廃城年

興国4年(1343)

遺構

曲輪跡、堀切跡

指定文化財

県史跡(伊佐城跡)

再建造物

石碑

周辺の城

下館城(茨城県筑西市)[1.9km]
久下田城(茨城県筑西市)[4.5km]
結城城(茨城県結城市)[8.6km]
中村城(栃木県真岡市)[8.7km]
桜町陣屋(栃木県真岡市)[9.1km]
海老ヶ島城(茨城県筑西市)[10.0km]
関城(茨城県筑西市)[12.0km]
薬師寺城(栃木県下野市)[12.1km]
富谷城(茨城県桜川市)[12.5km]
中久喜城(栃木県小山市)[12.7km]

伊佐城の解説文



伊佐城(いさじょう)は、茨城県筑西市(常陸国伊佐郡)にあった日本の城。伊佐氏の城。その城域は、東側に勤行川をのぞむ台地上の施無畏山延命院観音寺境内とその周辺で、「伊佐城跡」の名称で茨城県の史跡に指定されている。

築城 

築城年不明。築城者は、藤原北家山陰流の伊達朝宗(常陸入道念西)との説あり。また、天慶3年(940年)、下野押領使の藤原秀郷(俵藤太)が平将門追討の際に上館(元館)・中館・下館の三館築いたという伝説[1]があり、この三館のうちの中館を伊佐氏が改修したものが伊佐城との説もある。

概要 

南北朝時代までの伊佐城については記録がなく、その詳細は不明。同城のあった常陸国伊佐郡は、平安時代末期から鎌倉時代まで、伊佐氏の領地であった。

南北朝の争乱が常陸国に及ぶと、城主の伊佐氏[2]が同族の伊達行朝[3]を迎え、南朝方の北畠親房が拠る小田城[4]に呼応。大宝城関城など南朝方諸城とともに戦う。北朝方高師冬軍の攻撃に長く耐えたが、興国4年(1343年)に落城、以後廃城となる。

伊佐城の口コミ情報

2020年09月21日 kazuyou大蔵大輔
伊佐城



中舘観音寺境内周辺が城の中心部だと思われ、伊佐城跡碑が建っています。よくみると、各曲輪の段差があり、平な削平地となっており、曲輪だとわかります。堀の跡は道路となっていますが、わかります。車で行く方は、五行川沿いに駐車スペースがあるので、停められます。橋のすぐそばです☝️

2017年04月22日 音みく中務大輔闇サガン
伊佐城

地図情報の川沿いに駐車スペースがありますよ。

伊佐城の周辺スポット情報

 曲輪跡(遺構・復元物)

 堀切跡(遺構・復元物)

 天然の堀(遺構・復元物)

 伊佐城趾石碑(碑・説明板)

 中館観音寺(寺社・史跡)

 九代藩主 石川総管の墓(寺社・史跡)

 中館観音寺本堂(寺社・史跡)

 伊達宮内大輔行朝公塔(寺社・史跡)

 緑地駐車場(駐車場)

 観音寺駐車場(駐車場)

 市指定文化財 天然記念物 観音寺大欅(その他)

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